=よみがえる青春=
先ず1から順番かリクエストの項目か?全18テーマある為、気長にお付き合い下さい。
私が3つ目の職場となった教育大学附属高校での忘れられない幾つかの教訓!
4 附属高校外部入学生の都出(つで)君
早くは幼稚園、大半は小学校から中学、高校と同じ顔ぶれで、学校生活を過ごすことになる教育大学附属各学校、教育実験実習校としての位置づけが成せる技なのか、そんな経過をたどって高校生になろうとするタイミングで極々わずかな人数を、高倍率をぬって普通公立中学から入学してくる、外部入学生と言われる優秀な学力の持ち主が、早晩、メンタル面で狂いを生じるのが、私が在職したわずかな年数の中でも数名出た様に思う。毎年、教員希望学生による教育実習が彼ら生徒へ、教育実践実験校の定めとして定例化しているのも、何んらかの影響としてあるのか断定する事は出来ないが、私には多少あるように思われた。普通公立学校では、頻度としては希な教育実習は、子供達には歓迎の雰囲気が大きいと思われる。
今から紹介する都出君もそのひとりで、自分の置かれた境遇からまさに脱しようとしていたのである。都出君は、入学して少しして陸上競技部に入部してきたのが、私との最初の出会いであった。高校生活が一年を経過したタイミングであろうか、彼が、顧問の私のところに相談がありますと、陸上競技部活動を一旦休部させて頂いて、生徒会自治活動をやりたいのです、とアピールしたのです。私は、うすうす彼が悩み、ストレスにつぶされない手だてを何か企てているな、と察していたので、即座に彼に返答したのです。「君がやりたいと思うならやってみたら!」と、実は、私だって外部入学教員だったのですから、この附属高校は何かが違う、その何かがわかるにつれ克服の手だてを何度も試行錯誤を試みながら過ごしていたことも、ふと重なり、都出君の思いに応援をしたのです。
私は、生徒指導部の一員として、清掃監督場所は当時最も汚かった生徒昇降口であったことから、それは、徹底的に美しく、砂、泥、廃棄靴類を全て無くし、見違える風景、雰囲気にする事で、彼ら、つまり他人任せで横着者、本当の人間的エリートとはほど遠いエセエリートぶり、汚くした物、汚い物はその場に置いたままにするなど傍若無人ぶり、そんな雰囲気の払拭への挑戦であった。そんな生徒達の意識の変革実現にその時の私は賭けたのです。いや、本当のところは自分の毎日の充実の為に、毎日が嫌にならないように振る舞っただけだったように思う。次々と難題課題が押し迫って来たのである。
在任されている先生方はと言うと、日常何の問題もなく、平和に過ごしておられるように私の目に映ったのです。吉田先生!何を毎日慌てておれるのですか?何か良くないことでも起きたのでしょうか?と言う程度なんです。私からすれば明らかに異常で、何処かおかしいのです。転勤による違和感はいずれ多少あるはずです。それにしても私には我慢がならないのでした。
私が赴任するまでの体育祭が、これまた、突拍子もない行事であった様で、その執行役の体育委員窓口となったのが私なのです。生徒指導部の一員として逃げられない立場です。ところが、私には幸い有難い味方が出来るのです。これは、神の御加護と言っても過言ではありません。時には言葉による支援もあったが、ほとんどが行動による支援だったように振り返ります。
まず、突拍子もない体育祭とは、説明するのも心が折れそうですが、当日、もちろん全校上げての行事として、教職員、全校生徒が一同に、準備された会場グラウンドに集合しプログラムによって開会式が執り行われます。そして、準備運動の後、次々と種目が実施されるのが本来ですが、開会式の後からが大問題であります。多くの生徒達は校舎へ向かって移動します。もちろん先生方も各自の部屋に引き上げられます。グラウンドにはわずかな生徒と直接関係の先生方のみが残られていて、そんな中でプログラムが進行していくのです。読者の皆さん!そんな高校の体育祭って考えられますか・・・こんな状態をだれも何にも言わないし、手も打てないまま放置されてきたのです。私は、こんな様子を耳にして唖然としました。何かが狂うととことん狂いだし手に負えない状態にまでなってしまうのです。
例年の話を耳して、さて今回の体育祭は如何に組み立てていくのか??真剣に考えるのですが、さてどうしたものか・・以下、附属高校の体育祭の取り組みと題してまとめを事後に作りましたので、それを、参考にして読者の皆さんに御理解を得たいと思います。
研究紀要 第45号 (京都教育大学教育学部附属高等学校)平成元年3月
昭和63年度 今年の体育祭を振り返って
今年のあの体育祭なら、他校で参考にしてもらえるのではないかと、掛け値なしに言える。過去3回の本校体育祭を、まのあたりに経験して、ただそれだけの話しと言うことだが、 ”さすが附属の体育祭 ”目指して委員そして全校生がよく一つにまとまれたと思う。完璧からは今だ遠いかも知らないが、なんとか多くの生徒、委員はもちろん先 生方からも、良い評価を頂いた事がその証しと言えます。
ー中略ー
私はたまたま一こまの歪みと接しただけであろうし、時代は巡る事を考えれば、今回の出来映えも自然の成り行きであると考えられます。
○「私の考えた体育祭に取り組む努力目標」
1 委員が全員参加、話し合いが大切、それ以上に仕事分担が大切、委員会欠席者・分担仕事の点検がもっと大切、
わがまま、怠け者を許さない。
2 情報はいろんな角度から流せるだけ流す。
無視されても、やり続ける執念から、動き出すきっかけとなる。
3 言いたいが黙る努力をする必要がある。前もって構想を代表者に渡しておく、代表者をたててやり、
2 情報はいろんな角度から流せるだけ流す。
無視されても、やり続ける執念から、動き出すきっかけとなる。
3 言いたいが黙る努力をする必要がある。前もって構想を代表者に渡しておく、代表者をたててやり、
マイナス発言を可 能な限り言わない。(気分の悪くなる話しは避ける)
4 事前に詳細にわたる準備をして、実施段階は大胆に実行する。
4 事前に詳細にわたる準備をして、実施段階は大胆に実行する。
今年の体育祭を分析します。生徒達の日頃の思考が、EVENT(行事)の際、そのまま出てくる。従って、日頃が大切なのです。些細なことでも積み重なると大変な事になるのです。
私は集団が如何に民主化していくか、積極化していくかをテーマに取り組んだつもりです。集団の質が変わるのに、何から、どの様に、取り掛かればよいのかを苦慮しながら、『たかが体育祭、されど体育祭』として取り組んできました。今回の取り組みから学んだ幾つかのポイントを挙げられます。
① 抽象的な概念を具体的項目に整理することから出発とする。
② 構成メンバーには残らず仕事分担する。もちろんリーダー・企画者も平等に割り当てる。
③ 見通しに見合った進行プログラムを早めに提示する。
④ 仕事分担・作業の締め切り期日に点検を厳しくする。
⑤ 仕事の遅れ会議欠席や遅刻等をしつこく追求しない。その事で欠落する事を明確にする。
⑥ あたりまえの事でも、今一度強調すると思慮が深まる。
⑦ 人にひつこく無く、物事にひつこくこだわる事。
⑧ 担当指導者は、メンバーと同じ感覚で物事を見る目と心を持つ事。
⑨ 事物伝承はあり得ない、その都度真剣に考え取り組む事を伝統としたい。
⑩ いつもいつも元気でいる。つまり積極思考。
いよいよ本題、綴る我が方もため息と、どっと疲労感が襲って来てます。体育祭の取り組みで学校の
モラルは明確に変化した。嬉しいことです。
ここで、都出君の登場です。
学期の節目に全校集会が実施されます。その集合係りは予想通り生徒指導部のペイペイの私であります。全校集会の場所はコの字の校舎に囲まれた、中庭で実施します。管理の上では楽と言えば楽です。全校集会開始時間から遅れること何分経過して執り行われるのが、ご多分に漏れず、予想通りでありました。過去の学校での経験が通じるのか?回を重ねる毎に改善はみられました。開始時刻からの時間の経過をカウントダウンしたのです。10分→7分→5、4、3、2分と徐々に全員静かに集会が開会出来る状態になってきました。当時、生徒会役員の都出君は一段高い前に並んでいたと思う。突然!私に向かって先生!僕にマイクをかしていただけませんか?と「ほぼ集合完了した生徒達に向かって檄を飛ばしたのです」生徒の意識変革の節目になった事は間違いありません。忘れられない場面となっています。
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