三つの小写真、クリック拡大
マンションのエントランスの照明
しめ縄お飾り
インフォーメーション玄関 のお正月飾り
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==以下==
太宰 治「斜陽」について・・・
飲み残した珈琲で無くて、飲みかけ抹茶の茶碗の底に沈み残っている溶け
切れなくて、再び白湯で飲める状態で飲み干す様なセオリーから外れた、
スッキリしない読後感が、私にはあった、爽やかさは無いのです。従って
今ここに、気がかりのまま放置できないので始末してしまいたい思いで今
アップしようとしている自分がいるのです。出来る事なら放置して時が来
て熟成すれば、それはその時処理すれば良いのだが、今はそんな気持ちに
ならないのである。従って、葬り去らないで、何かを言おうとする私が居
る、何か格好がつけられるとは思えないのを承知で綴っているのです。自己
分析では、誰かのブログで学んだのですが・・(半可通)と言われても反論
出来ないのです。つまり、いいかげんな知識しかないのに通人ぶる事、何も
通人ぶりたい気持ちは無く、メッキがことごとく剥がれて行くのが見えるの
である。よそう、言い訳は止め!本題に取り掛かろう。そもそも、彼太宰は
何を言いたかったのだろう?その辺は大きなポイントだ・・ここで、武器で
あるインターネット検索をして、後処理のしやすいように、背景やら、太宰
治氏の他の著書等も参考にしたほうが、彼が一体どのような思いであったの
かも知らねばならないと書いてもある。ますます、荷が重くなる。
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この『斜陽』は、四人の登場人物です。・かず子29歳・かず子の母・直治、
かず子の弟・上原二郎、直治が尊敬する小説家、この四人がゆるやかに破滅
して行く様子がこの斜陽に綴られている。抜けきれない貴族生活、かず子と
母は上流階級であったが戦争の影響で没落して行きます。主人公のかず子の
心境が中心に描かれて、ある分析ではこの小説のテーマを「ゆるやかな破滅
と、滅びゆく中の葛藤」とあります。※葛藤→"美しさ"としてあったが私は、
葛藤へ差し替えた。
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私が2回目の斜陽傾聴で、1回目の記憶が何であったか腕組みして絞り出した
のは、「不良」という言葉である。これは鮮明に覚えている。私が共感した
部分です。世間で良いと言われ、尊敬されている人たちは、みな嘘つきで、
にせものなのを、私は知っているんです。私は、世間を信用してないんです。
札付きの不良だけが、私の味方なんです。不良とは、世間的には立派だと評価
されていないが、本当は優しい人、と言う事が出来ます。と、かず子は言う。
追記 2019/10/09 のブログに第1回目の『斜陽』CD382分を聴いた
記録有・・・
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今回は、かず子の焦り、こんな表現が私は今回耳に残った。
私はただ、私自身の生命が、こんな日常生活の中で、芭蕉の葉が散らないで腐
って行くように、立ちつくしたままおのずから腐って行くのを予感出来るのが
恐ろしいのです。お金が尽きてしまうよりも、女としての生命が腐っていくの
が耐えられないのだ。と
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次に、道徳革命と彼女は言い、かず子自身や上原二郎そして弟の直治を「犠牲
者」だと言っている。"犠牲者"道徳の過渡期の犠牲者。道徳革命とは、古き時
代の道徳や因習を打破して、新たな価値観の生き方をすると言う事でしょう。
「斜陽」で描かれているのは終戦直後の日本。今の時代なら許容される事でも
当時の価値観では彼らの生き方は到底認められない事が多かったでしょう。
その時代に合った生き方を出来ないのが「犠牲者」と、かず子が言っていると
思われる。
お断り・・かず子の恋の成就と直治の死については・・私は消化不良でここではパスしたいと
思います。悪しからず・・
この『斜陽』の締めくくりを暗く情けなく締めくくっていなくて、力強く決意を
表明して終わっているのが、読む側としては幸いで良いと思った。
私生児と、その母。かず子は古い道徳とどこまでも争い、太陽の様に生きるつも
りです。と閉めている。
何とも、その後の展開がいかなる事になるのか、余韻と言うか、誠に興味深い思い
が尾を引いたのであります。 "上原二郎"が太宰自身であることはうすうす浮かび
挙がってきていた。・・又、かず子の上原へ突進する姿は100年弱経過している現代
でも許容を許さない行動との思いである。・・終
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気分の切り替えが必要!以下この『斜陽』とは、無関係の写真である。
昨日、菜の花とカワサキ・バイク、バックは雪の比良山系で記念撮影
している若者です。写真撮影に長い時間を費やしているので、撮って
見ました。 菜の花の咲いている横に残雪箇所が、
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