千日回峰行は、初めの百日の後、二年目と三年目は同じく百日間連続で、
無動寺から東塔、西塔、横川の三塔をめぐって下山し、
日吉大社に参拝して再び無動寺に登るという、山上山下七里半の行程を歩く、
三月末の不動明王の縁日という決まった日から二百日に増え、
五年間で七百日歩く。
道中の約二六〇ヶ所の拠点で祈りを捧げながら真言を唱えて歩く。
祈りを捧げる場所は、相伝であり、地図があるわけではない。
先輩から一度教授され、それを繰り返すことで覚えるという。
初めは、草履での歩き方にもなれず、回峰するのに八時間を要するが、
慣れてくると六時間で回ることができる。
草履は、山道を歩きを慣れていないと概ね一日でつぶれてしまう。
しかし、百日歩くために支給される草履は八〇足。丁寧に歩きなさいと
いう暗黙の教えなのである。また、真夜中の山道を照らすために、
懐中電灯を使うこともあるが、慣れてくると小田原提灯が最適であるという。
懐中電灯は遠くまで照らすことができるので、便利そうに思うが、
実際に遠くを照らす必要はない。近くを照らすことで十分であり、
もっとも蝋燭の値段より安価なのである。そして、五年間、七百日の回峰が終了する
と、回峰行の中でも最大の難行といわれる九日間の「堂入り」が行われる。
九日間、断食、断水、不眠、不臥、不臥とは横たわらないということで、
真言を唄え続けるのである。この行が終われば、生身の不動明王といわれ
る大阿闍梨となり、信者の方々に生き仏として拝まれるようになり、
今までの自利行(じりぎょう)から、化他行(けたぎょう)に移行する。
要するに、ここからの行は、自分のためでなく他の人々を救済するために行うことを
意味するのである。六年目は京都の赤山禅院までの往復が加わり、
一五里を百日間歩き、最後の年となる七年目は、初めの百日は京都大回りと呼ばれ
る行程二十一里を歩き、残りの百日は、初めの山上山下七里半に戻して、
千日の行を終えるのである。
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