染物屋生活

神奈川県の住宅地(でも片田舎)の染物屋日記と、電気代が月1500円(原発反対なので)の節約生活を紹介「染め吉」と言います

釜石にイオン、その3

2016-04-10 23:47:37 | 日々の政治・哲学
福島県いわき市の新聞「日々の新聞」を、震災後、とっている。

イオンが建てられることについての記事がここに載っていた。
イオンのような大きい施設ができると、地元の小さな商店がやっていけなくなるのではないか。そして10年経って、撤退したときには、地元には小さい店もすべてなくなってしまった後なのではないか?そんな意見も読んだ。

ううっ、恐ろしいなあ、と被災地に建った量販店のことを考えていたら、どうしたわけか、まだいわきにイオンはできていないのだ。

こんな記事が日々の新聞に載っていた。


いわきだって、私は小名浜にイオンモールができることに反対ではありませんでしたが、あの一等地の場所はだめです。オーシャンビューのあそこに、イオンモールを建てたら、まちと海を分断し、まちはさらに閑散としてしまいます。

それにイオンモールは復興のための誘致だったのですから、いますでにオープンしていないとおかしいです。こんなやり方はないので、白紙にした方がいいです。
「いわきの魚を諦めるしかない」
割烹一平、女将
長谷川雅子さんの記事から一部を掲載

日々の新聞314号、2016年3月31日

イオンを作る場所がどんなところか、考えている。釜石は、イオンができたことで、人の流れはどう変わったのだろうか。
写真は宮古駅前の店。大きな量販店。一番下の階は、食料品売り場だった。お弁当購入。
カフェ・ド・ステーションは、ちょっとたばこの匂い?が煙かった。入らずにはいられない怪しい建物。
宮古駅前にある、増坂書店。昭和の古い作りの店だ。「こよみ(高島易断)」は、大事だ。買っていく人が多い、とおばさんが言っていた。 手前の棚にこよみが入っていた。
最後が、さんてつの宮古駅。左手にJRの駅がある。





釜石市のイオン、その2

2016-04-10 11:19:16 | 日々の政治・哲学
釜石市のイオン、で何が言いたいかというと、

街中にあった店、今もある店、これから建て直して再開する店は、どうなるのだろう?

どうやって復興していったらいいのだろうか?

イオンにはいれなかった店、入らなかった店が、青葉復興商店街にいる。復興商店街は、確か家賃はタダ。でも5年たった今、お客がなかなか来てくれない。釜石市民がここに来てくれないのだ。「洋食あべ」に3/23に来ていた夫婦は、
「関東から自動車で来た。311のあと、ボランティアであちこち来ていた。釜石は初めて。スマホで検索したら、この店がでていたので、来てみた」と言っていた。ネットでは出てくるのだが、釜石市民はここまで来てくれないのだなあ。

私は、釜石にいた2日間、「洋食あべ」で食べていた。ミートソーススパゲティ、「寿」つきオムライス、など。写真のオムライス、夫婦にちょっと分けたので、はじが欠けている。

でも、復興商店街は暇だ。お客が来ない。事務所だけになっていく。
花屋のお姉さんは、花が買ってもらえる、と言っていた。隣が寺と墓だから。お彼岸だから。

お茶屋さんは、自分の土地のかさ上げが終わったら、店を建てると言っていた。しかし、5年経ってしまった。先は長い。
「洋食あべ」でたへさせてもらったものの写真。
本屋の桑畑さんは、「復興なんて、してません」(2015年刊、第三書館)という本の中で、語る。元の場所にビルを建てるのもダメ。復興住宅の1階に入るのも、悩みがある。

今回、お会いしても、経済的に難しいことがいっぱい。先が見えない、といっていた。イオンにはよそから来たチェーン店の本屋が入っている。テナント料が高く、とてもはいれなかったそうだ。 かといって、復興商店街まで来てくれる客は少ない。
雑誌などの配達ももちろんしているけど。大変。

この項、続き。




写真は、同じ復興商店街の、お茶屋さんで売っていた、ナス型コースター。

釜石高校が、選抜で1回戦に勝ったときだった。街の中の、スポーツ用品店の掲示。