宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
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(一)富士聖地野外特別統一会で 四次元の光を受けた意義について(14)

2014-10-11 08:34:42 | 祈り
         (前日からの続き)
 だから、何十年の人も五年前につながった
人の、そんなことは本当は関係ない。関係ない
けれど、色分けでも何かしてゆかないと、肉体
人間の想いが納得しないでしょ。納得しない
からこそ、何十年以上の人はこの印、この資格
の人はこの印とあるのですが、それは高低が
あるわけではないんですね。もっとちゃんと
言えば、本当に心が澄み極まっていった時には、
だんだんと上の世界の住者にみんななってゆく
のですが、例えば、山で例えて言うと、山の
上の方に行けば空気が薄くなりますよね。
 だけど高山に住んでいる人は、その空気の
薄いのにも大丈夫で生きていますね。しかし、
下から登って来た人は、高い山の空気がもう
しんどいし辛いでしょう。これは酸素が
要るなと思うでしょ。それと同じように、霊界
でもそうね。上の上の上の方にいる霊人達は
下の方の世界を見ると、非常にしんどいわけ
ですね。辛いわけです。ところが、このあいだ
行われた行事というのは、そういう霊界の中の、
天界の中での掟というものを瞬間に全部
取っ払って、上も下も無く、タテもヨコもない、
大調和の無げの世界の中へ、無限なる世界の
中へ、皆の意識を、身体と魂を全部放り込んで、
そうして一直線に光を降ろすということだっ
たんです。そういう中で、みんなが平等な光を
浴びたわけですね。ですから、あそこでやった
事は、とても大変なことを皆がやったんですよ。
 今までだったら、何十年かかってやっていた
事を、それも一人や二人の人しか出来なかった
ことが、皆がやれた訳ですね。それは、天界の
方でも霊界の方でも同じことなんです。
 あの瞬間に、扉が全部開いてね、高い所も
低い所も全部に光が通って行ったのね。上も
下もない。そうして光が通って行って、
みんなが神様から分かれて来た生命なんだ
ということを、その瞬間に霊人も我々この世に
生きてる者も、奥のところでしっかりと心に
つかまえて、生命を頂き直した訳です。
               (翌日に続く)

(一)富士聖地野外特別統一会で 四次元の光を受けた意義について(13)

2014-10-10 06:02:00 | 祈り
       (前日からの続き)
 人間とは本来そういうものですから、本来
そういう姿なんだということを、皆さんが地球人類
の中の先覚者として、あのような行事に耐えられた。
 それは何が何だか訳が分からないけれど、叫ば
されたり柏手を打たされたり印を組まされたとかね。
 そして、古い人とか新しいとか、二月に入った人、
三月に入った人、四月に入った人、あるいは、駆け
込みで三日位でつながった人とか、いろいろ
ありますよ。その時の心境によっても、何か
引っかかる人もそうでない人も色々あるけれども、
それは現象的なものであって、奥の奥の奥の心の
ほうでは、みんな分かっている訳です。

 ですから、分かっている人達がみんな先覚者
として、あそこへ寄り集まって、あの行事を心を
一つにしてやることが、神様の方から与えられた
大事な行事なんです。そして、皆さんの魂の進化、
地球人類全体の魂が進化するための、本当に
世界が平和になるためのセレモニーとして、単に
式典という意味だけではなくて、みんなが
一段階も二段階もレベルアップするために、
あそこでやった訳です。
                (翌日に続く)

(一)富士聖地野外特別統一会で 四次元の光を受けた意義について(12)

2014-10-09 06:08:06 | 祈り
        (前日からの続き)
 ですから、あのセレモニーは、皆さん、宇宙子科学
メンバーなどは、生命は要りませんということを宣言
させられていますけれども、本来生命なんてものは
全く無始無終ですからね、その生命が無くなるか
どうかは、本来考える必要のない存在なんだけれども、
要するに、自分の中でケジメをつけてね、肉体の
生命がなくなるかも知れないけれども、その生命が
無くなった時に初めて光が出て来るというぐらいの
覚悟でやっていただくと、本当に、ある一瞬に、
皆さんの肉体は死んだのだと思います。死ぬという
ことは、その時に、私という私心が全く存在しない
瞬間を持ったからこそ、あそこで光が降りたんで
あって、その時に皆んな一瞬死んでるわけですね。
 死んでいるけれども、守護霊守護神によって、他の
霊人天使達によって、皆さんの中にサーッと深い深い
霊波動、光が入って来たから、肉体死に至らないで
済んでいる。
             (翌日に続く)

(一)富士聖地野外特別統一会で 四次元の光を受けた意義について(11)

2014-10-08 07:48:54 | 祈り
        (前日からの続き)
 そういうことを何十年何百年とやって来て、
親鸞さんとか法然さんとかキリストなど先覚者の
人達が出て来て、皆さんを引っ張って来たわけ
です。しかしもう時期的に言って、末世の末世の、
光が生まれて来る直前の苦の状態に覆(おお)わ
れた今の時に、皆の祈りの光によってその闇を
破ってゆくこの時期に皆さんが出会ったわけ
ですね。出会った皆んなが、それぞれの持って
いる光、それぞれの持っている世界の中で、この
平和の祈り言にかえて、心を一つにして祈って
ゆく時に、守護霊守護神や宇宙天使の働きかけ
により、この間、四次元の光が降りて来たわけ
ですね。
             (翌日に続く)

(一)富士聖地野外特別統一会で 四次元の光を受けた意義について(10)

2014-10-07 07:58:48 | 祈り
       (前日からの続き)
 しかし、肉体の区切りとして、死があったり
生があったり、生まれ変わりがあったり
しますけれども、それは我々自身が死んだり
生きたりする訳ではないんですね。つまり、霊が
生きたり死んだりする訳ないですから、霊には
男性も女性もなんにもない訳ですね。霊
というのは、ただ神様の光を映している。神様の
光を受けてそこに生きている。生き生きと生きて
いる。そういうものなんです。だから、あなた方は
幽界にも霊界にも生き生きと生きているのね。
 そうして、この現世(うつしよ)に向かって
光を投げかけているもう一人の存在がそれぞれいる
訳ですよ。ここに存在して一生懸命働いている肉体
持った自分自身に、本来の自分から、直霊の自分
から、神様に近い自分から光が来て、その光に
よって生かされている。それによって三位一体と
なって、ああ私はここにも居るけれども、あそこ
にもいる。霊界にもいる。本当に一つにつながって
いるということを、瞬間でも思えた時にね、その
人は覚者になる訳です。これはもう、肉体人間の
思いとか煩いとかいうものを超えたものになる訳
ですね。
             (翌日に続く)