さようならU・M子さん
友人から、U・M子さんが亡くなっていたことを知らせるメールが来た。昨日のわたしのブログを読んで、第九コンサートの参加者がそのことを知らないでいることに気づき、知らせてくれたのだ。
昨日も会話の中で、彼女の病状が容易ならざる状態だということは話題になっていたが、まさか亡くなっていたとは。
U・M子さんは、高校同期の集まり、七四会にはなくてはならない存在だった。
誰とも分け隔てなく話し、気を配ってくれた。品のいい服装で、にこやかにしている彼女を集まりの中で見つけると安心感があった。
友の演奏を聴きに行った津軽路の旅、駿河路に共通の友を訪ねた旅、楽しい思い出は尽きない。
身内の不幸で喪中の知らせを差し上げると、いつも見舞いの書状をいただいた。思いやりの人だった。
彼女とは、1年生の時同じクラスになった。村出身のわたしには、町場出身の彼女は品よく毅然として近づき難かった。
英語の授業で、彼女の席はわたしの前になった。ある日、英文の訳を彼女に訊かれ、たまたま調べてあったわたしは教えることができた。それ以来、打ち解けて話ができるようになった。
彼女は授業中後ろ手を組む癖があった。目の前でひらひら動く指が眩しかった。今でも目をつむると浮かぶその幻影を見ながら、別れの挨拶を告げよう。
さようならM子さん。ゆっくり休んでください。
合掌
感謝と思いやり
12月21日付けの朝日新聞デジタルに、『きっかけは1通のメール 被団協への「感謝」、機内アナウンスに乗せ』と題する、小川崇記者による記事が載っていた。
スカンジナビア航空の客室乗務員渡辺慶子さんは、ノーベル平和賞を受賞した被団協の代表団が搭乗する帰国便を担当した。渡辺さんは代表団が往復の航空機でエコノミー席に座っていることをチェックしていた。
高齢の代表団がオスロで多忙な日を過ごし、エコノミー席で10時間以上のフライトで帰国するのは大変なことだと思い、ビジネスクラスの席に空きがあるので、そちらに移ってもらうよう、出発直前に、SAS航空のCOEにメールを出した。
COEから「大変いいアイデアだ」と返事をもらい、代表団の3人にビジネスクラスに移ってもらった。
(わたしは、被団協の代表団がエコノミークラスでノルウェーに行ったことに驚いている。彼らがビジネスクラス以上に乗ることに異議を唱える人はいないだろう。3人の方が謙虚だったのか、周りが気が利かなかったのか。)
かねてから、渡辺さんは被団協の活動に敬意と感謝の気持ちを抱いていた。その思いを到着時の機内アナウンスに添えて、日本語で読み上げた。
「これまで生涯をかけて行ってきた、そして、これからも続けていくであろう貴重な活動に対し、深く感謝すると同時に、核兵器も戦争もない平和な世界が一日も早く訪れますよう、心よりお祈り申し上げます」
「これからも平和への声を上げ続けてください。SAS乗務員一同、皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます」
機内からは温かい拍手が起こった。
いい話だ。
STOP WAR!