羽花山人日記

徒然なるままに

戒厳令

2024-12-09 20:36:39 | 日記

戒 厳 令

3日に起きた韓国ヨン大統領による非常戒厳のニュースは、解除された後に知ったが、民主国家と思っていた隣の国で、そんなことが起きるとはびっくりした。

暴挙といえる措置に、なぜヨン大統領が踏み切ったのか、種々取り沙汰されているが、成功しなかったのが当然の結果だといえよう。

わたしは、今回の事件を通じて、北朝鮮と日本の間に位置する韓国の存在感を改めて認識した。

戒厳令の解除には、韓国民衆の力が大きな役割を果たしたという。軍隊が壁を作る議事堂に数千名の人たちが集まって抗議し、国会議員が塀を乗り越えて議場に入るのを助け、非常戒厳の早期解除を勝ち取った。

わたしが1981年にJICAの仕事で行ったパラグアイでは、当時戒厳令が敷かれていた。すでに長期にわたっていて空洞化し、夜間の外出や非政治的な集会は自由だった。

しかし、実弾が籠められた銃を持った兵士が辻々に立っているのは、やはり気持ちのいいものではなかった。

兵士の壁に向かって抗議した韓国民衆の、民主主義を守ろうとする危機意識が伝わってくる。軍政や独裁を打ち破ってきた歴史が、韓国の人々の中にまだ息づいているのだろう。

日本でそんなことが起きたら、自分たちは同じようにできるだろうかという意見を、新聞やネットで散見する。しかしそんなことよりも、戒厳令が敷かれるような国に日本をしないことに意を注ぐべきではないだろうか。

出 芽

10月の初めに植えたクロッカスの球根からようやく出芽が見られた。来春の開花が楽しみである。

 

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お酒飲んでますか?

2024-12-07 21:04:42 | 日記

お酒飲んでますか?

今日の朝日新聞be面に、『お酒飲んでますか?』のタイトルで、読者2584人へのアンケート結果についての記事が載っていた。

そのアンケートに答えてみた。()内は紙面のアンケート結果

*お酒を飲んでますか?:はい(70%)

*その理由は?:おいしい(1167人)、酔い心地がよい(811人)

*好きなお酒は?:ワイン(831人)、日本酒(934)、ウィスキー(399)、ビール(934)、ブランデー(36)

*飲むペースは?:毎日(32%)

こうしてみると、わたしは比較的飲んべえの方で、嗜好としては標準的だといえるだろう。

毎日飲むといっても、一頃に比べるとぐっと量は減っている。食い物によって変えているが、晩酌はワイン、日本酒、ビールの3種類で、ワインにすると100mlがいいところである。痛風にかかったので、ビールを飲む頻度は少なくなっている。

ナイトキャップは週に2~3回で、ウィスキーかブランデー。ウィスキーだとシングルを水割りにしている。

酒を飲んで最初に酔っ払ったのは、中学1年くらいの時である。

当時外地から引き揚げてきた二人の従兄が時々家に遊びに来て、両親は酒肴でもてなしていた。

両親が不在のある日、二人がやってきて、姉二人は親を見習ってか酒席を用意した。そして、長男のわたしに接待を命じた。わたしは父の真似をして従兄からの盃を受けたところ瞬時にして酔っ払ってしまった。酔いが醒めた時いったのは「水を」だったそうで、それを聞いた従兄たちは酒飲みの素質があるといったそうだ。

その予言が当たったのか、酒との付き合いは70年近くに及んでいる。友人の下宿で飲んで酔っ払って迷い込んだ暴力バーで、身ぐるみはがされそうになって這う這うの体で逃げだしたなどという失敗もあったが、何とか無事に酒との付き合いを続けてきた。

若い時のような量は受けつけなくなっているが。生涯の友として酒との付き合いは続けていきたい。

旅先で求めた酒器の一部。ベネチアングラスは息子からの贈りもの。手前右の「夜光の盃」は思い入れが強い。

 

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博士と彼女のセオリー(映画)

2024-12-06 21:31:11 | 日記

博士と彼女のセオリー(映画)

2014年に公開されたイギリス映画で、世界的に著名な天才宇宙物理学者、スティーヴン・ホーキングをめぐる愛の物語である。11月29日に放映されたものをビデオで観た。

1963年、ケンブリッジ大学の大学院で物理学を研究するスティーヴンは、文学を学んでいるジェーン・ワイルドと恋に落ちる。

しかし、スティーヴンは全身の筋肉が麻痺する難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)にかかり、余命2年を宣告される。

ジェーンは、スティーヴンの父親の危惧を互いに愛し合っているからと説得し、スティーヴンと結婚する。

スティーヴンはブラックホールと時間の始まりに関する研究論文で博士の学位を得る。そして、順調に結婚生活と研究を重ね、宣告された余命2年を超えて、ジェーンとの間に2児を得る。

電動車椅子を家族から贈られ、スティーヴンは行動の自由を広げ、子供との接触も活発になる。そして、自分の学位論文の誤りを訂正した「ホーキング放射」として有名な理論を発表して、世界的な名声を得る。

一方ジェーンは自分の研究と育児の両方に追われ、ストレスが溜まっていく。見かねたジェーンの母親は、教会の聖歌隊に加わることを勧める。躊躇したジェーンだが、聖歌隊の指導者ジョナサンの人柄にひかれて聖歌隊に加わる。

ジョナサンは1年前に妻を亡くしていて、生来の人助けの気性と自身の寂しさを紛らわす気持ちから、長男のピアノ教師としてホーキング家に出入りするようになる。

スティーヴンは、ジェーンにはジョナサンの援助が必要で、自分は気にしないといって、ジョナサンを家庭に受け入れるようにジェーンを説得し、家族の一員として受け入れるようになる。

この辺の、3人の間の微妙な感情の動きが、見事に表現されている。

ジェーンは3人目の子供を身ごもり、その父親がジョナサンではないかとあらぬ疑いをかけられる。それを知ったジョナサンは、ホーキング家とは距離を置くとジェーンに告げ、お互いの好意を確認しながら去っていく。

ある日、スティーヴンはフランスのボルドーでのオペラに招待され、航空機嫌いのジェーンにはジョナサンから車で送ってもらえばいいと、自らジョナサンに依頼する。

ボルドーへの途中、キャンプで一泊した夜、ジェーンはジョナサンが一人でいるテントを訪ねる。

そのころスティーヴンはオペラ観劇中に肺炎の発作を起こし病院に運ばれる。急を聞いて駆け付けたジェーンに、医師は人工呼吸装置を外すか、気管切開をして延命するかの選択を迫り、ジェーンは医師の忠告を拒否して手術を希望する。

ジェーンを送ってきたジョナサンは、自分は身を引くと別れを告げ去っていく。

手術は成功するが、スティーヴンは声を失い、瞬きとスペリングボードで文字を拾うようになる。その指導と介護に言語療法士で看護師のエレインが雇用される。さらに、コンピュータと電子合成音声装置を使って、スティーヴンは話して書くことができるようになり、エレインの助けを借りて本の執筆を始める。

ジェーンはそんな二人の関係に入り込めない疎外感を覚える。そして、アメリカへの受賞講演にエレインを同道させたいとのスティーヴンの申し出を聞き、彼のもとを去り、ジョナサンと再婚する。

何年か後、スティーヴンとジェミーはエリザベス2世から大英帝国勲章叙勲のための招待を受ける。

久しぶりに再会した二人は、互いの敬意と愛情を確認する。そして、すっかり成長した3人の子供を指さして、スティーヴンは「僕たちの創造物を見てごらん」という。

エンディングロールで、時間をさかのぼるように映画のシーが映し出される。なんともしゃれた終わり方である。

難病を患うスティーヴンを演じたエディ・レッドメインはアカデミー賞主演男優賞を獲得している。

スティーヴン・ホーキングが亡くなったのが2018年なので、この映画は彼の存命中に公開されたことになる。

天才物理学者を愛をテーマにして描いたこの作品は、見ごたえのある佳作である。

なお、映画に出てくる彼の著書”A Brief History of Time”は世界的なベストセラーになり、日本でも百万部以上が売れたという。たまたまわたしは、ずっと以前書店で見かけて購入した。

拾い読みしかしてないが、最後の結語の部分が好きである。略して記す。

「もし、完全な理論が見つかったなら、それは万人が理解できるものであるべきで、なぜわれわれと宇宙が存在するかという議論からその答えを得ることができたら、われわれは神の心を知るだろう。」

 

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哀悼平野綏さん

2024-12-04 17:23:16 | 日記

哀悼 平野綏さん

前回に続いて追悼の言葉を書くのは辛い話しである。

茨城大学時代の盟友、平野綏さんが亡くなったことを、奥さんからの喪中葉書で知った。

平野さんとは、彼が東大の大学院に在学していた時に知り合った。確か稲のことを訊きにきたのがきっかけだった。

その後茨城大学に就職し、教授となってわたしを迎えてくれた。

生活全般、なにくれとなく面倒をみてもらい、大変助けられた。

専門は農業史で、組合製糸について信州の伊那谷をフィールドとして、実証的な研究をされていた。

わたしの実家が営んでいた製糸工場のデータもお持ちで、いろいろ知ることができた。

博覧強記、博物学者はだしの知識をお持ちで、特に春蘭に関しては何冊も著書があり、東京ドームの「世界らん展」では常連の入賞者だった。

大学に副学長制が敷かれた時、農学部からの人選を依頼され、平野さんに就任をお願いした。「水戸に島流しなの?」などと言いながら引き受けてくれ、全力投球で任に当たってくれた。

退職後、プロの先生についてカンツォーネを習っていると聞いた。朗々とした彼の美声にピッタリだと思ったが、発表会にいけず、聴き損なったのは心残りである。

農学部キャンパスを再開発した時、平野さんは植樹に心を配り、該博な知識を駆使して、サクラ品種のコレクションを作り上げた。正確には覚えていないが、30品種以上はあったと思う。毎年春には、町の人たちの散歩の目を楽しませてくれている。

茨城大学農学部の彼岸桜。2022年3月撮影

来春も見事な開花を見せてくれるだろう。

年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず

残念だ。安らかに眠られることを。

 

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さようならK・A君

2024-12-02 20:08:54 | 日記

さようならK・A君

喪中のはがきでK・A君が亡くなったことを知った。

彼とは高校同期、隣村の波田中学の出身で、島々線(現上高地線)で一緒に通学した。

珍しく彼が出席した同期会で、シルクロードの旅行に誘われた。同じく波田中学出身のM・H君と、わたしと大学同級のK・Ak君が加わって4人組が結成され、シルクロードを手始めに、トルコ、ロシア、国内では長野、茨城とあちこち旅行した。

M君が無類のビール好きで、つられて朝から飲み始めるので、同行のツアー客からは、このじいさん連は何だろうと怪訝な顔で見られた。

K・A君の得意技は、歌舞伎十八番『三人𠮷三』の台詞回しで、興が載ると朗々と演じていた。

最後に会ったのは去年川崎の飲み屋でだったか。こんなに早く別れが来るとは思わなかった。

一緒に旅行したM君も鬼籍。わたしとAk君の二人だけになってしまった。寂しい。

ご冥福を心から祈ります。

2009年モスクワで。向かって一番左がK・A君。

 

忘  年  会

コカリナグループ「花音(カノン)」の忘年会に呼ばれて、柏まで行ってきた。

花音は、わが師小杉佐智子先生が手塩にかけて育て上げたグループで、わたしも何回か演奏に加えてもらったが、車をやめてから練習に通うのが大変になり、ご無沙汰している。しかし、何かあるとOBとして声をかけてくれる。

来年6月に小杉先生がコンサートを予定していて、そのバックコーラスをみんな担当するので、決起集会のような雰囲気もあった。わたしもその末席に入れてもらう予定だ。

和食の店で、蟹尽くしの昼食。2時間半の楽しい会だった。

中央が小杉先生、その左がわたしと同年のYさん。

 

キミガヨラン

荒川沖前にて今日撮影。

この季節に咲くのは珍しいと思うが。

 

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ヒトに噛みつくイルカ

2024-12-01 19:05:33 | 日記

ヒトに噛みつくイルカ

福井県の海水浴場で人に噛みつくイルカが出現するというニュースが話題になった。延べで50人くらいの被害があったという。

このイルカについて、朝日新聞デジタルに『傷ついた背ビレ イルカが人に噛みつくまで』という、乗京真知さんによるルポルタージュが、11月29日まで7回にわたって連載されていた。丹念な取材によって、このイルカがなぜ人に噛みつくようになったのかが解き明かされている。

野生との付き合い方を考える上で、非常に教訓的である。

件のイルカはミナミバンドウイルカで、背ビレについている傷跡によって個体判別ができる。

このイルカは2020年に能登半島沿岸で最初に目撃されている。2歳くらいで親からはぐれたらしく、海中での狩りの仕方を知らなかったらしい。

廃棄物の中から餌をあさっているのが目撃されている。また、沿岸の定置網の中に入り込んで魚を追い回しているのを筆者は観察している。その時同乗していた漁船員が「定置網の中はイルカにとってビュッフェです。」といったそうである。

このように、このイルカは人のそばで暮らすことに利益を見出し、人から見ればそれは人懐っこいかわいい動物と映ったことになる。

イルカに近づいてハグし、餌付けをし、観光資源として利用し、伝説上の神の使いとして「スズちゃん」と呼ぶこともあった。

異変が起きたのが2013年、福井の海水浴場で泳いでいた一人がイルカに突進されて肋骨を折るという事件が起きた。

筆者はその年のこととして、うるさく付きまとわれた漁師がナイフでイルカを刺したという話を聞く。また、尾びれにスクリューによる傷跡があるのが観察された。

人はおのれに危害を加える敵対物と、イルカはみなすようになったのではないか。

福井の海水浴場では、イルカの嫌う音を流して追い払おうとしたが、効果がなかった。イルカにしてみれば、自分の縄張りに人が侵入してくることになる。

筆者は今回の事件は、イルカと人の近づきすぎた関係の中で、人の問題行動が引き起こした「人災」であると断じ、記事の最後に次のように述べている。

「かわいさのあまりエサをやり、背びれをなで、抱きついた人たちが、たくさんいた。私も目の前にイルカが現れたら、つい触っていたかもしれない。

ただ、そうした悪気のない個人の行いが、百回、千回と重なって、イルカの性格をゆがめ、行動をエスカレートさせたのだとしたら、こんなに悲しいことはない。

イルカによるかみつきは、起きるべくして起きた「人災」と言っていい。

我々は、幼いイルカをペット化した代償を、当分払い続けることになるだろう。

イルカが人にかみつくようになったのは、人がイルカにかまい過ぎたからだということを、しっかりと記憶にとどめたい。

もう二度と、不幸なイルカの物語を生まないように。」

 

菊爛漫

 

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