(昨日の続きです)
実際に日本において縮小社会は可能でしょうか?そもそも縮小社会とは、どのような社会でしょうか。一つの実例としては、富山市、青森市、宇都宮市などの自治体が2000年代から推進しているコンパクトシティ政策があります。コンパクトシティ政策とは、市街地のスケールを小さく保ち、歩いて行ける範囲を生活圏と捉え、コミュニティの再生や住みやすいまちづくりを目指そうとするもので、2014年(平成26年)5月1日に施行された改正都市再生特別措置法(通称:コンパクトシティ法)により国レベルでも推奨されるようになりました。ブログ主自身も2009年春から2012年3月まで富山市に在住しておりましたので実際にこの政策を実体験してもいます。上の写真は富山市のコンパクトシティ政策を象徴する中心市街地公共交通システムの「セントラム」です。
この政策は、2024年現在必ずしもうまくいっていないという専門家の指摘があります。コンパクトシティ化が中心市街地の大規模開発の口実になっているということです(注)。富山市は、ほぼ100%車社会であることもあり、市中心部は北陸新幹線が停車するJR富山駅があるにも関わらず、東京や福岡と比べると閑散としています。
富山市のコンパクトシティ政策の詳細は、こちらをご参照ください。
⇒ https://news.yahoo.co.jp/feature/423/
この原因ですが、現状では富山市の道路、橋梁、トンネルなどの交通インフラが健在で「車社会」が維持できるので、わざわざ引っ越してまで市中心部に住む必要はないということが理由ではないかと思います。しかし富山市の人口は2010年をピークに少子高齢化による人口減少が進行しています。人口が減少し、それに伴い税収も減っていけば20年後、30年後にも市内外を結ぶ道路、橋梁、トンネルなどの交通インフラを健全に維持できるかどうかは心配です。そうしたインフラが劣化してしまえば車社会は維持することが難しくなります。しかし、そのような状態になってから慌ててコンパクトシティ政策を再開しても間に合わないかもしれません。
ここからはブログ主の妄想になります。交通インフラが劣化し、車が使用できなくなっても、郊外に住み続ける方法を考えれば良いのではないかと思うのです。ここは科学技術によるソリューションを考えます。電力は太陽光発電と蓄電池の組み合わせによるオフグリッドを装備し、上水は水蒸気結露給水システムで確保、下水処理は合併浄化槽で、火力は木材チップ(バイオマスとも表現できます)を燃料にすれば孤立しても生活できます。買い物はドローンを使います。仕事は在宅でします(Wi-Fiが機能するとしてです)。医療サービスももちろんリモートです。いかがでしょうか。これなら何とか生活できますでしょうか。
ふと思い出したことがあります。ブログ主の母方の祖父母は北海道山越郡八雲町の中山間地に住んでいました。ブログ主が小中学生の頃(昭和40年代です)の夏休みによくお邪魔していました。この母の実家がすごかったのです。電気はかろうじて来ていたようですが、水道もガスもありませんでした。上水は山の湧き水で、火力は薪炭で、まさに上記のような生活をしていたのです。ブログ主が小学1年の夏休みのある日、母が札幌にいる父に電話するから一緒に来るようにと言われました。電話は地元の小学校の職員室にある電話を借りるのですが、そこまで1時間位歩くのです。しかも道がないのです。ユーラップ川というアイヌ語の名前が付いた川の岸辺を歩いて山を下りるのです。ユーラップ川は流れが急で渦を巻いています。足を滑らせて落っこちそうでブログ主は怖くて怖くて母の手に必死でしがみついていたことを今でも覚えています。小学校の電話機は筐体が木製で、先ず右側についているハンドルを手で回して交換手を呼び出すという仕組みでした。昭和42年8月のことですので今から58年も前の出来事です。どうやってあの山中に祖父母は家を建てたのか、今でも謎です。それでも祖父母も母も幸せに暮らしていたことが心に残っています。こういうことがありましたので、上記のような暮らしも可能なのかなとも思うのですが、いかがでしょうか・・・