映画「ハンナ・アーレント」(マルガレーテ・フォン・トロッタ監督 2012年制作)を見ました。
2013年に日本で公開され、かなり話題になった映画です。ハンナ・アーレントは、本ブログでも著書『革命について』の感想などを取り上げたことがあります。ハンナ・アーレントはユダヤ系ドイツ人の哲学者で、ナチスの迫害を受けてアメリカに亡命し、20世紀を血塗れの歴史にしたドイツや旧ソ連の全体主義なぜ起こったかというテーマを考え続けた人です。
この映画は、1960年に亡命先のアルゼンチンで逮捕されイスラエルで裁判にかけられた元ナチス親衛隊中佐のアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴して考察した結果を世に問うた結果、社会から強烈な批判を受ける過程を描いています。アイヒマンは欧州各地から500万人のユダヤ人を死の収容所に送り込んだ責任者でした(アイヒマン本人が周囲にそう言っていたという)。アイヒマンが裁判の中で発言した主要な論点は、たった一つでした。すなわち「私はただ上司から命令されたことを実行しただけ」ということでした。裁判を傍聴したアーレントが発見した事実は、500万人を死に追いやったアイヒマンという人物が、まったく普通の、どこにでもいる平凡な勤め人だという事実でした。この人物は、怪物でもなく、狂信的なイデオローグでもない、全く普通の市井の市民にしか見えなかったのでした。そしてアーレントはその事実にこそ戦慄します。こういう普通の市民が500万人を残酷に殺害できるなら、それはこれからも、いつでも、どこでも条件が揃えば起こりうるということだからです。アーレントはこの事実を「悪の凡庸さ」と命名しています。
そして「凡庸な悪」は彼女も含むユダヤ人社会の中にもいたという事実を指摘します。ナチスがユダヤ人の「最終的解決(皆殺しにすること)」のために死の収容所への移送にユダヤ人コミュニティのリーダーも協力したという事実の指摘でした。ナチスは虐殺の前段階としてユダヤ人を欧州各都市のゲットーと呼ばれる隔離地区に収容しますが、このゲットーの行政をある程度まかされていた組織が「ユダヤ人評議会(ユーデンラート)」でしたが、このメンバーがユダヤ人の大量輸送に協力した事実でした。ユダヤ人の犠牲者は600万人以上と言われていますが、ユダヤ人自身の協力がなければ実際にはこんな大掛かりな非道は実現できなかったでしょう(そこまで悲惨な結果を予測できなかったということもあるでしょう)。もちろんナチスの命令に従わずワルシャワ・ゲットーのチェルニャクフのように青酸カリを飲んで自殺したメンバーや、反抗して銃殺されたメンバーもいましたが、大勢は従ったという悲しい事実をアーレントは指摘しています。そしてこの指摘がユダヤ人社会の反発を招き、彼女は強烈な反感にさらされます。映画の最後で彼女は、社会からの非難に応えて、「凡庸な悪」の誘惑から自らを解放するための「自ら考えること」の重要さを人々に説き続けました。
凡庸な悪は、貧すれば鈍するの近未来の日本で大掛かりに復活するかもしれません。その時私はどう行動すればよいのか。重い問いを突き付けられた映画でした。