大阪日本橋のでんでんタウンにある建物。
「なんやねん、平屋建てやんけ
どこが5階やねん?!」
と言うべからず。
「五階百貨店」とは
大阪市浪速区日本橋4丁目の堺筋から一つ西隣の筋にある電器商の集まる地域名。
なんて言われると判り難いか。
「餃子の王将のある通りの向い辺りの
ちょっとごちゃっとしたとこらへん」
というイメージで良いかと。
そう、このお店が「五階百貨店」ではなく
この周辺が「五階百貨店」であり
他にも「五階」と名付ける建物が存在する。
1888年、西成郡今宮村に
5階建て、高さ31mのパノラマタワー
「眺望閣」
が建設された。
1888年と言えば明治21年
2階建て以上の建造物がまだ珍しかった当時、
眺望閣に大勢の観光客が押し寄せることとなり、
周囲には観光客を相手にする多数の露店が広がった。
これら露店の賑わいを当時の流行語であった
「百貨店」
と組み合わせて五階百貨店と称するようになったのが
名称の由来である。
ちなみに、これに対抗して
翌1889年に西成郡北野村(現・大阪市北区茶屋町)に
9階建て、高さ39mの「凌雲閣」が建設された。
大阪の二大繁華街におけるシンボルタワーとして、
眺望閣と凌雲閣はそれぞれ、
「ミナミの五階」「キタの九階」と通称された。
なお、眺望閣は1904年ごろに、凌雲閣も昭和初期に取壊され現存しない。
現在の東京タワーvs東京スカイツリーのような
建物の高さ競争が、
明治の時代に大阪でも為されていた
その名残である。
因みに現在の地名には
「五階」の名称はどこにも残っていない。
「なんやねん、平屋建てやんけ
どこが5階やねん?!」
と言うべからず。
「五階百貨店」とは
大阪市浪速区日本橋4丁目の堺筋から一つ西隣の筋にある電器商の集まる地域名。
なんて言われると判り難いか。
「餃子の王将のある通りの向い辺りの
ちょっとごちゃっとしたとこらへん」
というイメージで良いかと。
そう、このお店が「五階百貨店」ではなく
この周辺が「五階百貨店」であり
他にも「五階」と名付ける建物が存在する。
1888年、西成郡今宮村に
5階建て、高さ31mのパノラマタワー
「眺望閣」
が建設された。
1888年と言えば明治21年
2階建て以上の建造物がまだ珍しかった当時、
眺望閣に大勢の観光客が押し寄せることとなり、
周囲には観光客を相手にする多数の露店が広がった。
これら露店の賑わいを当時の流行語であった
「百貨店」
と組み合わせて五階百貨店と称するようになったのが
名称の由来である。
ちなみに、これに対抗して
翌1889年に西成郡北野村(現・大阪市北区茶屋町)に
9階建て、高さ39mの「凌雲閣」が建設された。
大阪の二大繁華街におけるシンボルタワーとして、
眺望閣と凌雲閣はそれぞれ、
「ミナミの五階」「キタの九階」と通称された。
なお、眺望閣は1904年ごろに、凌雲閣も昭和初期に取壊され現存しない。
現在の東京タワーvs東京スカイツリーのような
建物の高さ競争が、
明治の時代に大阪でも為されていた
その名残である。
因みに現在の地名には
「五階」の名称はどこにも残っていない。