大徳寺三門上の木像事件は、茶々に唆されたのが原因、
ってのが三谷幸喜の解釈かあ。
小悪魔茶々ならやりそうだけど。
そして千利休は徹底的に小悪党として描かれている。
秀吉は「利休が謝れば許す」として、心待ちにしてた。
って通説は文枝利休キャラでは辻褄が合わないのでカット。
諸大名の助命嘆願もなかった。
最後の真田丸紀行で紹介された南宗寺は、
大坂冬の陣で後藤又兵衛に討たれた家康の墓があるので有名。
ウィキペディアの利休切腹の諸説の中に
『利休が修行していた南宗寺は徳川家康と繋がりがあり、家康の間者として茶湯の中に毒を入れて、茶室で秀吉を暗殺しようとしたという説』
があるのは皮肉な話である。
と言いながら本日の主たる話は鶴松の死、
利休の切腹如きは、その祟りって程度でしかない。
戦国物って利休の切腹には時間を割いても、
鶴松の死は一瞬で終わる事が多いんだけど、
ここをちゃんと一話分割いたのはさすが三谷幸喜。
鶴松の死こそが、後の豊臣家の運命を変えた出来事なんだものな。
秀次の人生をも大きく変えてしまった、
彼は決して愚鈍ではない、と家康も言ってたのに。
ってのが三谷幸喜の解釈かあ。
小悪魔茶々ならやりそうだけど。
そして千利休は徹底的に小悪党として描かれている。
秀吉は「利休が謝れば許す」として、心待ちにしてた。
って通説は文枝利休キャラでは辻褄が合わないのでカット。
諸大名の助命嘆願もなかった。
最後の真田丸紀行で紹介された南宗寺は、
大坂冬の陣で後藤又兵衛に討たれた家康の墓があるので有名。
ウィキペディアの利休切腹の諸説の中に
『利休が修行していた南宗寺は徳川家康と繋がりがあり、家康の間者として茶湯の中に毒を入れて、茶室で秀吉を暗殺しようとしたという説』
があるのは皮肉な話である。
と言いながら本日の主たる話は鶴松の死、
利休の切腹如きは、その祟りって程度でしかない。
戦国物って利休の切腹には時間を割いても、
鶴松の死は一瞬で終わる事が多いんだけど、
ここをちゃんと一話分割いたのはさすが三谷幸喜。
鶴松の死こそが、後の豊臣家の運命を変えた出来事なんだものな。
秀次の人生をも大きく変えてしまった、
彼は決して愚鈍ではない、と家康も言ってたのに。