手塚治虫さんが聖書物語を書いていたのですね。
私は知りませんでした。
聖書の内容を知るには、入りやすくていいですね。
私はキリスト教信者ではないので、聖書は物語として面白く読んでいますが、
この世は、なぜあるのか?という哲学的な存在論とも関係するので、考える材料にしています。
しかし、なぜ神は、この世を作ったのでしょうね。
神が作るなら、なぜ、人間をこのように不完全に作ったのでしょうか?
食べてはいけない木の実があって、それを食べたために神に背いた。
なぜ、そんな木の実を作ったのでしょうか?
それは人間に食べさせるためでしょう。
そして、神を信じない人間を作って、神が楽しんでいるのでしょう。
全てが、神を信じる人ばかりでは、神にとって面白くないからでしょう。
善悪があるのも、神なら悪をなくすことなんか簡単なのに、それをしないのは、神が楽しめないからです。
神は、全知全能なのですから何でもできるはずですよね。
それをしないのは、悪がないと面白くないからでしょう。
神が作ったものですから、初めのアダムとイブのように、永遠にエデンの園で平和に楽しく過ごしていれば、それでよいはずです。しかし、それではつまらないのでしょう。
自分に逆らう物が出てきて、それをいかに自分を信じるようにもっていくかというゲームをしているのではないでしょうか。
作り手の立場からしてみたら、そんな気がします。
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私は、理想の美術部を作ろうと思いました。
それは、先生と一緒にいて楽しい、先生といると勉強になる。
仲間といると楽しい、みんなで楽しく絵を描く。
絵だけでなく、いろいろなことをして楽しみ、学ぶ。
こんなことが理想でした。
しかし、それだけは、リンゴを食べる前のアダムとイブでしょう。
美術部にとってのリンゴとは何か?
世界を知ることかな?
自分たちの描いている絵は、一体世間から見てどうなのか?
展覧会に出してそれを確認してみよう。
これが、善悪の木の実なのかもしれません。
私が神なら、そんなことを知らないで、楽しく描く方がいいよというかもしれない。
しかし、それでは満足しない、長く続かないのかもしれません。
生徒たちが何も考えないのならそのままでも良いのですが、きっと飽きますよ。
より大きな喜びを求めて、何か目標を持たないと止めてしまうでしょう。
ロボットなら別ですが、神は人間をロボットにはしなかったのですから。
事実、私は、生徒たちに敢えて、私からその木の実を食べさせたのです。
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やはり、神は、アダムとイブに木の実を食べさせたかったのではないかと思います。
どうでしょうか。