PHPを読んでいたら、幸せって何?ということが書いてありました。
幸せとは、人それぞれで違うはずですが、それを定義つけようとしています。
これは、誰もが語れることでしょうね。
私は、結論は持っていません。
ただ、結構長い間考えながら生きてきました。
ーーーーーーーー
いま、私は車いすの状態です。全く歩けません。立つことも捕まれば辛うじてできる程度です。だから、歩けるだけで、いいなあと思います。普通に歩ける人がうらやましいです。足が治って、もう一度颯爽と歩けたらとか、治ったら、バスケットの得意のステップを見せてやるんだがなあと思います。
もし、治ったら、それだけで幸せでしょう。
私が想像する幸せは、そんなところにもあります。
しかし、現実に歩ける人は、それを幸せとは感じません。なぜなら、私自身がずっと歩いていたのに、それだけで幸せとは感じなかったからです。それは、当たり前のことであって、幸せではないのです。歩けない人のことを思えば幸せなんだろうなあと思う程度です。
足が不自由な人にとっては、ただ歩けるだけで、幸せなことが、普通に歩ける人にとっては、幸せでもなんでもない。だから、幸せの感じ方は、人によって違う。
ーーーーーーー
私は、胃が苦しくて大変な時期がありました。
血を吐いて、入院しました。
何かを食べると、その後、胃がもたれて、苦しくなるのです。
消化されずに、苦しみました。そして酷い時は、吐きました。
それが治って、胃で苦しまなくなったとき、ああ、それだけで幸せだと感じました。
胃の調子がいいだけで、幸せなのです。
しかし、それはその頃だけで、それが当たり前になると、もうそれは幸せとは感じなくなりました。自分にとって当たり前になるのです。
ということは、幸せは何か大変なことが改善されたときには、ある時期感じられるけれども、それがずっと続くものではないということです。
ーーーーーーーー
これはまだ、たった一つのことしか語っていません。
いくらでも語れそうです。
オリンピックで目指す結果が得られた人は、幸せでしょう。メダルを取っても、金を目指していた人は、銅メダルじゃいらないという人もかつてはいました。
通院で、検査結果を聞くときは、裁判の判決を聞く思いです。異常なしと言われたときの幸せな気持ちは、経験者でないとわかりませんね。特に、いつ再発するかもしれない可能性の高い時の結果は何とも言えず、嬉しいものです。
ビールが好きな人は、ビアガーデンに行く前は、他の飲み物をなるべく飲まないで、喉をからからにしていくそうです。その方がビールが美味しいのだそうです。その乾いたのどに冷えたビールがたまらないと言います。
お腹が空いているときは、何を食べてもおいしいと言います。だからご飯を食べる時は、なるべくお腹を空かせた方がいいでしょう。
どちらも、幸せを感じる瞬間です。
ーーーーーーーー
病気の不安もなく、心身共に健康で、ビールやご飯がおいしくいただける、そんな状態は幸せなんでしょうね。では、あなたは幸せですか?と問えば、果たしてどうでしょうか。それが当たり前になっている人は、そのときだけ幸せと答えるかもしれません。
しかし、PHPでは、それは自己満足の幸せであって、それだけでは本当の幸せとは言えないと書いてあります。
まあ、もっといろいろな角度から考えてみたいことです。
日本人の幸福論というテーマで、話し合われると、またいろいろ出てきます。
幸せとは、人それぞれで違うはずですが、それを定義つけようとしています。
これは、誰もが語れることでしょうね。
私は、結論は持っていません。
ただ、結構長い間考えながら生きてきました。
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いま、私は車いすの状態です。全く歩けません。立つことも捕まれば辛うじてできる程度です。だから、歩けるだけで、いいなあと思います。普通に歩ける人がうらやましいです。足が治って、もう一度颯爽と歩けたらとか、治ったら、バスケットの得意のステップを見せてやるんだがなあと思います。
もし、治ったら、それだけで幸せでしょう。
私が想像する幸せは、そんなところにもあります。
しかし、現実に歩ける人は、それを幸せとは感じません。なぜなら、私自身がずっと歩いていたのに、それだけで幸せとは感じなかったからです。それは、当たり前のことであって、幸せではないのです。歩けない人のことを思えば幸せなんだろうなあと思う程度です。
足が不自由な人にとっては、ただ歩けるだけで、幸せなことが、普通に歩ける人にとっては、幸せでもなんでもない。だから、幸せの感じ方は、人によって違う。
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私は、胃が苦しくて大変な時期がありました。
血を吐いて、入院しました。
何かを食べると、その後、胃がもたれて、苦しくなるのです。
消化されずに、苦しみました。そして酷い時は、吐きました。
それが治って、胃で苦しまなくなったとき、ああ、それだけで幸せだと感じました。
胃の調子がいいだけで、幸せなのです。
しかし、それはその頃だけで、それが当たり前になると、もうそれは幸せとは感じなくなりました。自分にとって当たり前になるのです。
ということは、幸せは何か大変なことが改善されたときには、ある時期感じられるけれども、それがずっと続くものではないということです。
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これはまだ、たった一つのことしか語っていません。
いくらでも語れそうです。
オリンピックで目指す結果が得られた人は、幸せでしょう。メダルを取っても、金を目指していた人は、銅メダルじゃいらないという人もかつてはいました。
通院で、検査結果を聞くときは、裁判の判決を聞く思いです。異常なしと言われたときの幸せな気持ちは、経験者でないとわかりませんね。特に、いつ再発するかもしれない可能性の高い時の結果は何とも言えず、嬉しいものです。
ビールが好きな人は、ビアガーデンに行く前は、他の飲み物をなるべく飲まないで、喉をからからにしていくそうです。その方がビールが美味しいのだそうです。その乾いたのどに冷えたビールがたまらないと言います。
お腹が空いているときは、何を食べてもおいしいと言います。だからご飯を食べる時は、なるべくお腹を空かせた方がいいでしょう。
どちらも、幸せを感じる瞬間です。
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病気の不安もなく、心身共に健康で、ビールやご飯がおいしくいただける、そんな状態は幸せなんでしょうね。では、あなたは幸せですか?と問えば、果たしてどうでしょうか。それが当たり前になっている人は、そのときだけ幸せと答えるかもしれません。
しかし、PHPでは、それは自己満足の幸せであって、それだけでは本当の幸せとは言えないと書いてあります。
まあ、もっといろいろな角度から考えてみたいことです。
日本人の幸福論というテーマで、話し合われると、またいろいろ出てきます。