「前向きね~」っと言われた。
小学校の5年の時に、父の実家に帰った。
当然、引っ越しをして、転校をした。それまでは、ピアノにそろばんを習っていてスポーツに縁はなった。
たまたま、転校先の担任の先生が、スポーツ少年団のコーチをされていて、
すぐに、誘われて断る理由もなかったから入団した。
生活が、一転してスポーツに明け暮れる日になった。
・・・で、岡山県の陸上大会で、走り幅跳びで、小学生新記録で優勝した。
地元の友達が、あれから「スポーツルーム」ができて、
何年も私の記録が残っているよ~っとおしえてくれた。
中学校は、陸上部がなかったが、スポーツ少年団のコーチに
「必ず陸上の大会が出来るようにするから」
と、その言葉を信じ中学1年の一学期は頑張った。
・・・が、続くはずもなく、
バスケットボール部の顧問(短大出たての、それは元気一杯)
に誘われて、断る理由もなく入部した。
なぜか、「岡山県トップになる」が合言葉で、
それは、それは、きびし~~~~~っい!!!
練習だった。でもそのころよかったのは、
強さと練習量が比例していたことだと思う。
今は、そうはいかない。
ミニバスもなかったし、中学からヨーイドンだった。
それで、県大会の決勝で、1点差で敗れたが、中国大会には行けた。
でも、バスケットは、あんまり好きではなかったと思う。
やらされていた。
いつも、オグ(ポイントガードをしていた子)に
愚痴を聞いてもらっていたと思う。
この子は、本当にバスケットが好きで、いつもニコニコしながら
プレーしていた。
50メートル走も、普通に走るより、
バスケットボールでドリブルしながら走ったほうが速いと思う。
いつも・・・いつも・・・励ましてくれた。
そして、オグの指示通りに動いていた。・・・というより動かされていた。
陸上の大会も実現して、部から選抜され、練習して出場できるようになった。
バスケットで高校の進学の話もあったが、
断り、高校は、楽しくしたかった。
理不尽な先輩の言うこと、「ハイ!」「ハイ!」
と聞きながら、正座させられたり、歌をうたわされたりもした。
・・・でも楽しかった。ここで、バスケットが好きになったと思う。
こんなに、いい加減にしていたのに、国体の選手に推薦された。
でも、私のポジションで、選ばれた中で一番小さかった。
ペアーを組んでしていた子が、178センチ・・・私は、168センチ
選ばれた時点で、あきらめていたと思う。
今思えば・・・。
マンがよければ・・・っと思っていた自分もいたように思う。
やっぱり、国体3日前に落とされた。
周りは、つらい練習や合宿も一緒にして来て、ひどすぎる~って怒ってくれたけど
最初から、10センチの身長差であきらめていた自分がいて、
何もそこから、「どうしたら、この身長差をカバーできるか」とか全く考えていなかったと思う。
悲劇のヒロインになっていたのさ。
それから、2回靭帯やってしまって、
スポーツは、するから観戦する。にしました。
上の子も、指導者の熱烈な勧誘によりたまたま入ったサッカーで、
全国に行かせてもらい。
下の子も、入るつもりのないハンドボールに、
熱烈なおばちゃんの脅しとも思えるような勧誘にあい、たまたま入ったら、
すごく強いチームで、今しごかれています。
ほんと、おもしろい。
「一生懸命考えて、今できることをする。してみる。」
「経営革新塾」の受講生の方で、「頭から離れない」
てあったけど、そうなんですよね~。グルグル頭の中で、回っている。
私も、そうなんです。
何だか、もやっとしているんですよ~。
前向き・・・・前向きにならなきゃ~って意識は、ありません。
こんなんだと思います。・・・私。
(ずいぶん、キーボードをうつ練習になりました。ごめんなさい。つきあってくれた、あなた!!!!いい人だ。ありがとうございました。おやすみなさ~~~い)
小学校の5年の時に、父の実家に帰った。
当然、引っ越しをして、転校をした。それまでは、ピアノにそろばんを習っていてスポーツに縁はなった。
たまたま、転校先の担任の先生が、スポーツ少年団のコーチをされていて、
すぐに、誘われて断る理由もなかったから入団した。
生活が、一転してスポーツに明け暮れる日になった。
・・・で、岡山県の陸上大会で、走り幅跳びで、小学生新記録で優勝した。
地元の友達が、あれから「スポーツルーム」ができて、
何年も私の記録が残っているよ~っとおしえてくれた。
中学校は、陸上部がなかったが、スポーツ少年団のコーチに
「必ず陸上の大会が出来るようにするから」
と、その言葉を信じ中学1年の一学期は頑張った。
・・・が、続くはずもなく、
バスケットボール部の顧問(短大出たての、それは元気一杯)
に誘われて、断る理由もなく入部した。
なぜか、「岡山県トップになる」が合言葉で、
それは、それは、きびし~~~~~っい!!!
練習だった。でもそのころよかったのは、
強さと練習量が比例していたことだと思う。
今は、そうはいかない。
ミニバスもなかったし、中学からヨーイドンだった。
それで、県大会の決勝で、1点差で敗れたが、中国大会には行けた。
でも、バスケットは、あんまり好きではなかったと思う。
やらされていた。
いつも、オグ(ポイントガードをしていた子)に
愚痴を聞いてもらっていたと思う。
この子は、本当にバスケットが好きで、いつもニコニコしながら
プレーしていた。
50メートル走も、普通に走るより、
バスケットボールでドリブルしながら走ったほうが速いと思う。
いつも・・・いつも・・・励ましてくれた。
そして、オグの指示通りに動いていた。・・・というより動かされていた。
陸上の大会も実現して、部から選抜され、練習して出場できるようになった。
バスケットで高校の進学の話もあったが、
断り、高校は、楽しくしたかった。
理不尽な先輩の言うこと、「ハイ!」「ハイ!」
と聞きながら、正座させられたり、歌をうたわされたりもした。
・・・でも楽しかった。ここで、バスケットが好きになったと思う。
こんなに、いい加減にしていたのに、国体の選手に推薦された。
でも、私のポジションで、選ばれた中で一番小さかった。
ペアーを組んでしていた子が、178センチ・・・私は、168センチ
選ばれた時点で、あきらめていたと思う。
今思えば・・・。
マンがよければ・・・っと思っていた自分もいたように思う。
やっぱり、国体3日前に落とされた。
周りは、つらい練習や合宿も一緒にして来て、ひどすぎる~って怒ってくれたけど
最初から、10センチの身長差であきらめていた自分がいて、
何もそこから、「どうしたら、この身長差をカバーできるか」とか全く考えていなかったと思う。
悲劇のヒロインになっていたのさ。
それから、2回靭帯やってしまって、
スポーツは、するから観戦する。にしました。
上の子も、指導者の熱烈な勧誘によりたまたま入ったサッカーで、
全国に行かせてもらい。
下の子も、入るつもりのないハンドボールに、
熱烈なおばちゃんの脅しとも思えるような勧誘にあい、たまたま入ったら、
すごく強いチームで、今しごかれています。
ほんと、おもしろい。
「一生懸命考えて、今できることをする。してみる。」
「経営革新塾」の受講生の方で、「頭から離れない」
てあったけど、そうなんですよね~。グルグル頭の中で、回っている。
私も、そうなんです。
何だか、もやっとしているんですよ~。
前向き・・・・前向きにならなきゃ~って意識は、ありません。
こんなんだと思います。・・・私。
(ずいぶん、キーボードをうつ練習になりました。ごめんなさい。つきあってくれた、あなた!!!!いい人だ。ありがとうございました。おやすみなさ~~~い)