「ユングがしばしば指摘しているように東洋は心の内的世界について、特に自己の問題については西洋よりははるかに以前から多くのことを知っていたということができる。そのためにややもすると自己の偉大さの強調が自己の存在を犠牲にして解かれてきたように思われる。・・・・・しかし問題はあれかこれかということではなく、あれもこれもという点にあるのではないか?つまり、外界との接触を失うことなく、しかも内界に対しても窓を開くということ、近代的な文明を消化しながら古い暗い心の部分とつながりを持とうとしなければならないことがある。ここにおいてユングが東洋の思索に大いに心を惹かれながらあくまで自我の重要性を強調し自我と自己との相互作用と対決するということを主張することの意味が十分に感じ取られることと思う。」河井隼雄「ユング心理学入門」~自己~より
今回は「タイの音楽」との出会いとその時の感想について述べていく。
これまでタイを旅していてその地の「歌」や「メロディー」に出会った中で記憶に鮮明な場面を思い出してみる。すぐに脳裏に浮かぶのはそれぞれの地方の農村に宿泊させてもらった時の歓迎のパーティの席での「歌」であろう。その時にはタイのご当地ソングやタイで流行っている歌、さらには日本の「上を向いて歩こう」とか「ここに幸あり」などかつての流行歌を唄いあう機会である。私の歌にみんな手拍子を合せての歌は、言葉によるコミュニケーションよりも友情形成では見事に効果的である。
また、歌にまつわる「忘れがたい懐かしい場面」は東北タイの小学校の先生たちにピックアップトラックの荷台に乗せられ車座になって大声を出して歌った時のことである。バンコクから遥かイサーン(東北タイ)の地、ウドムタニからノンカイまでの果てしなく続く灌木林の中の一本道の往復を空き缶やビンを叩いて2時間余りの行程は天空に轟く歌合戦となる。その歌をいやが上にも盛り上げるのはメコンというウイスキーである。皆、燃え上がっている。こんなに爽快な時はもうないかもしれない、と思わせるほど双方が確かめ合い盛り上がって行く時の歌は筆舌に尽くしがたい。私も何回かタイへ来るといろんな場面で教わった歌があって、例えば「ローイカトン」、「カメー・サイヨーク」やら「ター・トワ」、「サオ・コンケン」などを唄いあう。
また、イサーン行きの夜行バスに乗るたびにバスのスピーカーから流れる静かで物悲しく朗々と流れるイサーン演歌は全身が身震いするほど哀愁を感じてしまう。この時のメロディーが後の日になっても耳に残って離れない。その歌は恋人を残して遠くに働きに行く歌だったり、男女の恋の掛け合いの歌だったり即興的な民謡のモーラムだったりする。伝統的なバラィティに富んだメロディーには「これが俺たちの歌だ」と言わんばかりのある種の誇りと充実感が感じられる。こうした長距離バスでは地方独特のメロディーが聴かれるので実に趣があり、楽しい旅になる。特に甘い女性の声のイサーンの演歌はその場で曲名を教えてもらいバンコクに帰ってからCDやテープを買ったりすることになる。自分の郷土や文化を愛し、大切にするということはそれぞれの地方の歌を聞いたり歌ったりしてこなしていくことだ、と了解する。自国の文化を大切にするということはその国の地方地方の多様な文化を包括して継承していくことなのだ。