考えてみればこれまでいつも彼と会うのはコンケンであった。バンコクでは初めてだった。私の提案で今晩は日本食パーティーをやろう、ということに。2人でやるのをパーティーと言うのかどうか知らないが、シーロムにある「浪花」という日本料理店に飛び込む。その二階にはちょっとした座敷の日本間があるのだが彼は畳に興味を示し、「あんたもこんな上で生活しているのか!」と好奇心をつのらせる。彼に典型的な日本食を試食させてやろうと思い(実は私こそが久々の日本食でしたづつみをうっているのだが)「日本食を食べてみたまえよ。」と勧めると「もちろんさ、なんでもトライが大事だよ。」とくる。しめしめ!納豆、サシミ、めんたいこ、冷ややっこ、茶わん蒸し等、自分もよだれがでそうな典型的な食を注文する。少しづつ彼に勧めたが「興味深いね。」と言って一口二口食べていたが、「おいしいね」と言ったのはわさびとショウガを口にした時だけだった。
後、場所を変えて近くのパブに移りいろいろ彼の現況について話題がはずんだ。彼の現在の勤務はテクノロジー・カレッジの英語教育教授法面でのスーパーアドバイザーという立場だそうである。全国に26校のカレッジの教師たちの教授法、施設設備備品等の改善作業計画も一手に引き受けっている。いろいろな問い合わせに現場に赴きプロジェクトプランを立てて助言をする。この面での予算的なことは教育省から彼に委託されている。定期的にバンコクで教師への研修セミナーを実施するのも彼である。こうした職位での彼の資質と実力には本当に敬服させられる。機敏でアイデアマンの彼にはうってつけの仕事である。「実は大変不満なのだ。」と彼が言いだした。「確かに若いから仕方がないかもしれないがもっと給料をあげるべきだ。ハードな仕事だし絶えず専門性が求められる。自分よりも高給取りの年配の先生たちに助言をしているのはどうもねぇ。」私には彼の不満が分からないでもないが、数か月前に意気揚々この指導的ポストに付いた彼からの言葉には驚かされたのである。「もっと自分の才能を正当に評価してくれるところがあれば辞めるかもしれない。」とも言っていた。
ところで英語教育についてであるが現在タイのテクノロジースクールの中でどういった目的でどのようなカリキュラムが組まれているのかを知りたいと思ったが聞く機会を逸した。ただ、彼がここに赴任した時はこの機関はイングリッシュ・センターという名だったそうだが、彼の意思で「ランゲージ・センター」と改名したとのことである。タイにおいて「国際化」の方向を示しているのかもしれない。彼によれば現在は確かに英語部門しかないが、選択履修として仏語、独語、日本語が置かれて人気も高いそうだ。経済力の影響だろう。日本語だけみても日本人教師が2名派遣されているほどである。彼はそうした日本人教師に「日本語部門」として独立するように話を持ちかけているがそのスタッフたちはあまり乗り気ではないようだ、と感想をもらしていた。どの辺に無理があるのだろうか。
彼とはよくいろんな話題でディスカッションをする。そして正直言ってお互いに理解しあうことは言葉でいうほど容易ではないことに気づかされ愕然とすることもある。理解というよりお互い気持ちを凹ませるといったらいいような場合が時にはある。自然、歴史、文化、生活様式等の立っている基盤がお互いに違っているのだから当然認識にも相違がですものだ。そんな一般論であるが自明のこととして目の前に付きだされると今更ながら愕然とするのである。もっと言うとその同じ生態に住んでいる個人個人すらそれぞれでそれぞれでかけ離れた発想で生きているような気がする。タイにおいては。
話が少しそれたが彼とは相当親交を深めたと思っていても議論のメイントピックスという突出した部分でアプローチが違うことに気づかされる。それは日本とタイとが、当然のことだが「近代化」、もしくは「西洋をモデルとした発達」した時期や過程が根底的に違っているからだ。それでも私は彼の意見を引き出して、タイの思潮を知りたいと思うのだ。いずれにしても私の考えを無作為にぶつけることは相手の実存を脅かすことにもなるのである。
以前の話だが、彼がコンケンのゲルマン・テクノーに勤めていた時に学生たちに一コマ、私からお話しする機会をもらったことがあった。その時話の流れから「テクノロジーは人間に便利さをもたらすが害毒ももたらすという」マイネス面も考慮しなければならない、、、」というようなネガティブな話を切り出したことがある。すると終わってから彼は「なぜ、テクノロジーはマイナス面があるのか?」というような反論を言ってきた。彼の学校はテクノロジーを100%も200%も吸収しようとする学校なのである。私の立場は明治以来の脱亜入欧思想のもとに「近代化」を吸収してきた。そして現在になり、特にこの十数年をみれば経済大国と言われ先端技術部門でも世界に比類をみないほどにのしあがっている。あらゆる物質が苦も無く手に入り表面的には8割以上が中流意識に耽っており誠にメデタイ限りの世界にいる。