知らないタイを歩いてみたい!

タイの地方を紹介する。関心のある方の集まり。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

タイ・ユング旅行 ⑩ノンカイへ  -’86 夏ー

2020-12-07 15:27:32 | ノンカイ
 8時半に出発したバスは9時25分タウテン、11時過ぎバンタドカンに着く。このころ洗面器をひっくり返したような大雨に見舞われる。メコン川を時折右手に見ながら平均速度40キロ位でバスは北北西に進んでいく。バーンペーンには昼の12時35分に到着。ノンカイまではあと136キロの標識が見える。午後1時15分バンピーの田舎町に。この辺りは検問が何回も繰り返される。その度に許可をもらいポールを挙げて進んでいく。ラオスとの相当の密貿易があるのか治安上の悪化のせいか?午後2時ノンカイまであと88キロの標識が見える。今度の検問はバスの下に積んでいる荷物のチェックである。乗客も行商人が圧倒的であることからしていわば闇の経済圏地帯なのであろう。3時過ぎにバンバッカパを過ぎ児童生徒がバスに乗り込んで途中で降りる下校すうる光景に移る。ノンカイまであと36キロ。それまでは一帯が疎林の原野かまばらな水田の景観であったがだんだん人家も増えてきて役所のような建物が見えてくると完全にノンカイ文化圏に入った感がする。バスもぎっしり混みだしてきた。初めからの乗客は私だけだった。
 ノンカイのバスステーションに着いたのは午後4時を少し過ぎていた。腰が非常に痛かった。8時間余りの長旅笠道中ではあったがすわノンカイバスターミナルに着けばバスから降りる乗客は次のメカニズムに向かって点々バラバラ跡形もなく霧散してしまった。思えば生活を抱えてない漂泊者は私だけなのだ。
   たいていの町でそうなのだがバスが着けば入り口まで「どこへいくんだ。」とサムローが取り囲んでくる。「バンコクだよ。」と答えれば「乗れ乗れ。」とバックと腕を引っ張る。まさかバンコクまでサムローで、という訳ではないだろうが「どこまで連れて行ってくれるのか?」と問い返せば「ノンカイ駅へ行けばいい。今からは汽車しかない。」と答える。汽車の旅も面白そうだがなにせ時間のない旅なのだ。何度か来ているノンカイでの見物はほどほどにして一気にバンコクへ南下しなければならない。「ブルーバスのオフィスに連れて行ってくれ。」と言うと「今日はバスはもうないよ。」と答える。先ほど降りたバスの男車掌の一人が私の方にやってきて「まだバスはあると思うがあそこの案内所で確かめたほうがいい。」と親切に教えてくれ、どこからか警察官も加わってブルーバスのオフィスを案内してくれた。この結末でサムローの運転手たちはサアーッと消えてしまった。ま ん が である。


タイ・ユング旅行 ⑨ナコンパノム バス道中  -’86 夏ー

2020-12-07 06:05:27 | ナコンパノム
 さて、今日中にノンカイへたどり着き、できれば今晩中の夜行バスでバンコクに帰りたい。そのためにもここナコンパノムもおいとましなければならない。ホテルに戻り荷を整えてサムローに乗り、道を尋ねならがノンカイ行のあるバスステーションに向かった。丁度首尾よく30分後の即ち8時30分発の長距離バスに乗り込むことができた。ノンカイまで65バーツ、8時間のバスの旅が始まったのである。
 あらためて見るナコンパノムは緑の多い静かなサムローが行きかう町である。メコン川辺のそよ風が町じゅうに染み込んでいる。車窓から街路を見ている。年恰好20代後半の青年2人が路上に座ってラムヤイをむしゃむしゃ食べ合っている。慎ましい平安が漂っている。
 ナコンパノム~ノンカイ間のメコン川沿いのルートにはまだ観光客はいない。路線バスのせいもあろうがバスの中は私のような旅人はまったくいない。最初から終点まで乗っている人も一人もいなかった。途中から乗って途中で降りていく。すべての乗客が仕事と生活を背負っているのだ。イサーンの人々の表情を見るのにはいいルートだ。しかし、それぞれの表情は少し暗い感じがする。
 それと反対にバスの乗務員たちは底抜けに陽気である。役人か軍人のような紺の制服にサングラスをしているのが運転手。見るからに威厳があり、車掌への指示にも余裕がうかがえる。女車掌一人。彼女は編み物をしたりお喋りして運転手を和ませたり売り上げを勘定して見たり乗客にテレビをつけてサービスをしたり最前線に陣取って座りバスのあるじといった貫禄である。私は景色が三方位の立体的に見える最前列の左の席に腰を下ろした。フロントガラスの中央には祭壇が飾ってあってどこかの老高僧のカラー写真がその壁に貼り付けてあり我らの守護神である。スイッチというスイッチは女車掌が編んだであろう毛糸のボンボンで飾られている。タイの長距離バスは大概がそうであるがカセットテープでタイ歌をガンガン鳴らして走る。このバスにはビデオまで備え付けられている。目の前のモニターには中国製のコミックがスピードブレーキが故障したのかキュルキュルと音をたてながら映像を流している。それでも女車掌は時々ケラケラ笑っている。運転手もつられてニヤニヤしている。だが、乗客たちは殆どが反応はないということに気が付いた。なぜだろうと考えた。男の車掌は2人なのだ。車掌というより車掌補佐と言った方がいい。絶えず動き回っている。前の出入り口から出たかと思うと後ろのドアにぶら下がっている。道中の村、町の停留所に差しかかると「乗っていかないか!」大きな声で客引きをしている。下車して市場の中まで入って客を引き連れてくるのである。そんなとき運転手もすかさずクラクションを何度も鳴らし客引きをサポートする。バスが動き出してもぎりぎりまで一人でも多く乗せようとする。雨が降り出せば走って窓を閉めて回る。シートが濡れていれば手拭いで拭く。走り出せば「ルークサイマーカ!」とか叫んで新たに乗った客から料金を集める。ハードな仕事である。この曲芸師のような二人のエネルギーには驚嘆させられる。運転手は左に銀皿の水甕があって乗客が次々に口をうるおしている。各停留所には物売りが前から乗ってきて後ろからワイワイ言って出ていく。出ていけば今度は窓に向かって売り出しダメを押す。中からおばさん乗客が手を出しジュースを買う。手際よく売り子はビニールにジュースを注いで窓から渡す。ジュースを飲めば窓から外へビニール袋だけを投げ捨てる。混沌の旅笠道中といった感じである。
 

タイ・ユング旅行 ⑧ナコンパノム朝の散歩  -’86 夏ー

2020-12-06 16:22:14 | ナコンパノム
 ナコンパノムの朝は6時前の日の出に始まった。ラオスのデコボコの山の彼方が白み始めた。と、思う間もなく太陽が黄金色の顔を出してきた。川面が銀鱗に輝きだした。部屋のベランダよりカメラのシャッターを重ねてきった。みるみる太陽はメコン川を荘厳な天然色のパノラマにしていく。流木と間違えそうな細長い小舟が十流に登りつつ、再び下流に押し返され、朝の漁にいそしんでいるのが見える。ホテルを出て河畔を散歩する。岸舟で青年が糸を手繰り寄せて漁している。ジョギングしている父娘が走りすぎる。木陰で太極拳のような体操をしている老人もいる。露のかかった草叢の中をのぞくとこぶし大のカタツムリははっている。すべてこともなし、の光景である。
 河畔をやや南に下がると小さなイミグレーションオフィスに着く。かつては重要な役目を果たしていたであろうが今は閉鎖されたままである。そこには警告板が英語とタイ語で書かれている。
 「大麻等すべての麻薬はタイ麻薬法により所持は違法である。ヘロイン、モ ルヒネ、コカイン、大麻はタイ麻薬法で禁止されている。これら麻薬を持ち 込んだ者、持ち出した者は5年から終身刑の東国もしくは死刑に処せられ  る。」
 麻薬の密売に手を焼いていたんであろう、あるいは今も売買を摘発しているのであろう。朝の町を散歩していて気が付いたことは、人々がよく掃除をしている光景である。家の中はもちろん街路も大きなほうきでごみを掃き集めている光景があちこちで目についた。荷車で炭を商う商人も見かけたまだひんやりとした心地よい朝の7時、サムローを降りた人はミニトラックに乗り込み、ミニトラックを降りた人はバスに乗り込み町から出ていく。誰も静かだがぎっしりと乗り込む。他の町と同様にこの町にも時計塔が聳えている。近づいて見ると仏歴2503年建立、とありヴェトナム語のつづりが見える。ヴェトナムから贈られたものらしい。時計の針は11時17分で止まっている。まことにすがすがしい朝である。平和である。しかし、川向こうのラオスではすっかりとタイとの生命線を断絶したかのように閑散として沈黙している。


タイ・ユング旅行 ⑦ナコンパノムのホテル  -’86 夏ー

2020-12-02 11:55:39 | ナコンパノム
 ホテルの入り口はデスコ風のネオンをつけている。中へ入るとピータイルがところどころ剥がれて改装中のようでもあり、新築を放棄したようでもある。田舎風ほてるで白人がベランダのレストランではしゃいでいる。中学生くらいのこどもが私の荷物をもって三階の部屋を案内してくれた。クーラーをつけると80バーツ増しだというがクーラーをつけるほど暑くもなく不快でもない。窓を開ければ川風がサーッと入ってくる。一泊100バーツの安宿だ。天井のプロペラは無料だそうだがスイッチをひねると「バラバラバラ!」とけたたましい騒音を発する。使いものにならん。ベットに腰かけて見るメコン川は銀鱗の天屏風である。壮大である。巨大なでこぼこの大文字Mのようなラオスの山並み、その手前には家々の伝統が静かにちらほら見える。
 タイ全土は総選挙である。旅人に影響することと言えば(実は遺憾なのだが)昨夕5時から今晩午前零時までの禁酒令だろう。町の屋台で一杯やりたいものだとひそかに思っていたのに全く我がフィールドワークも不完全燃焼といえる。メコンウイスキーをチビチビやりながらメコン川を見るのもシャレたアイデアだな。仕方ないので私のリュックに仕舞い込んだメコンを部屋で隠れて飲むことにする。
 サムローに乗り服屋へ行く。店の主人が「日本人か?」と聞く。「俺はこのナコンパノムのアメリカ軍基地で働いていたので英語はいける。」とかまちかど会話で話しかけてくる。タイ風ウエアを2着「いくらだ?」と聞くと「350バーツにしておく。」と答える。私が「200バーツにしとけよ。」と言うと「300でどうだ?」と。「。。。。。」、「よし、280でどうだ?」たたみかけてくる。結局その気にさせられて250バーツで手を打ったのである。まったくタイ人は会話を楽しんで相手を陥れてくる。ホテルに帰って着ようとしたらウエアの内側に80バーツの値札がついていたのである。畜生!まあ、日本より安いか!と自分をなぐさめるより他なかった。誰がお客で誰が従業員か分からないような当ホテルの1階レストランで少々腹ごしらえをする。カウンターにテレビ1台置かれていてだれかれなく群がっていてサービスも行き届かない。座ってしばらくいるとゴム草履を履いたタイ娘のウエイトレスがバタバタ音をたてて歩いてきて「あんたタイ人じゃないね。何人?」と尋ねてくる。こちらから英語でしゃべれるかどうか聞いてみると「少しだけ。タイ語とラオ語はしゃべれるよ。」と。私はふと思った。「彼女がタイ語とラオ語を区別する意味は何だろう?」と。暗闇の向こうはメコンカワを挟んでラオスの商都タケークである。ここはまぎれもなく意識上はラオス文化ではないか。。。。。と。ポコ!ポコ!メコン川が音をたてていた。
 深夜、静寂を破って犬が遠く吠えるのがラオスの方から聞こえた。やがて下のレストランからドンチャン騒ぎが始まった。午前2時に近い。禁酒令が解けたのだ。タイ人たちは二日間飲めなかった分をきっちり元を取り返してい要るかのようだった。うらやましく思いながらベットにもぐった。その酒宴は朝方まで続いていた。




タイ・ユング旅行 ⑥ナコンパノム到着  -’86 夏ー

2020-12-02 11:55:39 | ナコンパノム
 途中車窓の単調さを破ってくれるささやかな光景が現れた。天空に聳える寺院タートパノムの仏塔が見えたのだ。しかし、あわててカメラを向けることにはその姿は南の森に消えてしまった。バスがくるっと回ってしまうからである。光彩な金色に聳える仏塔は行く旅人に安堵感を与えるであろう。そこから1時間ほど経つとこれまでの荒唐無稽な空間は一転して人の営みを明示する居住空間にかわる。自然林が菜園や果樹園、緑の水田といった耕作地にかわる。この空間と空間の落差は驚くほかない。そうした耕作地からの農産物の集積地として新たなムアン、ナコンパノムが登場する。バスは予定よりもやや早く5時半にバスステーションへ滑り込んだ。
  バスステーション辺りはちょっと都会的な様相でニッサン、ミツビシ、イスズ、ホンダなどの近代化シンボルマークの看板が目に入る。しかし、少し歩くと農村地帯に変わる。町のはずれからはずれまでは500メートルといったところか。サムロー(人力車)文化である。いたるところギー!ギー!とサムローが近づいてきて速度を落とす。
 3バーツでサムローに乗りメコン河畔のリバーインホテルへ直行する。