北のパラダイス

思いつくままにいろいろな事を発信していきたいと思います。

攻めの人生

2015年03月31日 | 日記
今日で平成26事業年度が終わり、明日から平成27事業年度が始まります。

今日でいったん区切りを付け、明日から新たな気持ちで頑張るために、ここ数年、心の支えの一つとしている新聞コラムの切り抜きを改めて噛み締めてみたいと思います。


<攻めの人生>

あなたは守りの人生と攻めの人生、どちらを生きているだろうか?
若者は攻め、中年以降は守りと言うのが一般的だが、私は中年以降こそ、攻めの人生を生きた方が良いと考えている。

若い人は守るべき家庭があるとか、失敗して職を失うと後が厳しいとか、自分の立場を守る理由がはるかに多い。
しかし、社会的にも家庭的にも十分責務を果たした中年以降になると、少々冒険しても失うものは少ないはずだ。
もっといえば、命だって50~60年も生きたのだから、もはや捨て身で何かを始めても惜しくはないと思う。

では何をやるのか?
これまではお金のために働かざるを得なかったのを、今度は本気になって世のため人のために骨身を惜しまずに働くというのはどうだろう。
趣味だけに生きるというのはあまりにも社会の損失と思う。
医学的にも、やりがいのある仕事をしているときは、免疫力が上がって癌になりにくいと言われている。
つまり生涯やるべき仕事がある方が、ずっと健康でいられるということだ。

中年になったら、これまで安定して生きられたことに感謝し、十分に健康であることにも感謝し、覚悟を決めて死ぬまでに成し遂げたいライフワークに真剣に取り組んでみたらどうだろう。
人生を閉じにかかるのではなく、無限の可能性に賭けてみよう。

私がいつも勇気づけられるのは、江戸時代に伊能忠敬が全国を測量して歩いたのは55歳からで、15年間で4万キロを踏破してついに日本地図を完成させたこと。
人生50年と言われたこの時代になされた偉業を思えば、現代人はもっともっと頑張れる。

【藤宮峯子・札幌医科大学教授】

願いは叶う2

2015年03月30日 | 日記
ちょうど一年前の2014年3月30日のブログタイトルが「願いは叶う」でした。

あの時には書きませんでしたが、あの時の願いは「一年後も起業家でいること」でした。

59歳でサラリーマンと起業家の二足の草鞋を脱ぎ、起業家=個人事業者の一本で再スタートを切りました。

それまでは関連会社の支援もあり何とか5年間もちこたえましたが、これからは一から百まで全て自分でやらなければならないというプレッシャーが重く圧し掛かっていたため、自分を奮い立たせる意味でも「願いは叶う」をブログに書きました。

あれからちょうど一年。

まだまだ先行きの不安はあるものの何とか乗り切って来れました。

常に前向きでポジティブに生きることを信条にしてますが、心の何処かでいつも怯えている自分が居ます。

でも、やるしかないので、何があっても諦めずに前を向いて進むことに集中し、これからも踏ん張りたいと思ってます。

明日31日は平成26事業年度の末日です。

先ほど昨年3月31日のブログを読んでみましたが、現在よりもかなり大きなプレッシャーを抱えていたことを改めて感じました。

逆に、大きなプレッシャーを感じていたからこそ、それが原動力となって一年後の現在があるんだと思えてます。

プレッシャーは成長の糧となることを、60歳を過ぎてから再認識したしだいです。

春近し

2015年03月23日 | 日記
春分の日も過ぎ、札幌周辺もめっきり春らしい日射しとなりました。

とは言えまだ3月の下旬。

日が陰ると肌寒いですし、暖房もまだまだ必要です。

しかし、今年の札幌周辺は例年に比べると雪も少なく、事務所の周りにはもうほとんど雪は見られません。



2月・3月の降雪量が少なかったせいでしょうね。

ところが、同じ北海道でも十勝・釧路・根室・網走地方のいわゆる道東地方では、例年にない大雪となりました。

特に、太平洋側に位置する十勝・釧路・根室地方は雪の少ない地方として認識されてますが、今年は太平洋の東の海上に低気圧が居座ることが多く、これまでの常識を覆すような大雪となりました。

一方、豪雪地帯と言われる岩見沢市周辺の空知地方は比較的少ない降雪で、例年なら吹雪で頻繁に交通止めとなる道央高速道路も、今年はそれほどでもなかったようです。

今年の異変は農家にとっても予測外で、水田の残雪も今年はみるみる少なくなって来てます。

例年であれば融雪剤を田畑に撒いて強制的に雪を融かさなければならない時期ですが、今年は雪解けを自然に任せている農家もあり、労力の節減になっています。

農業はお天道様任せと言われる通り、良い時もあれば悪い時もあるので、どんな時もジタバタせずに臨機応変に対応していくことが肝要です。

春の雪解けが早くて農作業が楽になっても、田植え時期に低温・長雨が続くかもしれません。

でも、そうなったらそうなったで対応していかなければならないのが農業です。

要は、あらゆる事態を想定して事前の準備を怠らないこと、いわゆるリスクマネジメントが最も要求されるのが農業です。

農業って本当に難しい仕事です。

だから、農業を外国任せにすることはできないのです。

他の産業を守るために農業を犠牲にするなどもってのほかで、それはまさしく自国を他国に売り飛ばすようなものです。

農業の本質や大切さ、大変さを知らない人間の妄想です。

あと一ヵ月足らずで北海道も本格的に農作業に入ります。

今年も美味しい農畜産物がたくさん取れるように祈ってます。




還暦その2

2015年03月12日 | 日記
今日で満60歳となり、先ほど北海道神宮で還暦祝いの祈祷をして戴きました。



ここまで何とか生きて来れて、というか生かして戴いて、ただただ感謝の思いしかありません。

これからも常に感謝の念を抱きながら寿命を全うしたいと思います。

改めてご冥福をお祈りします。

2015年03月11日 | 日記
あれからちょうど4年が経ちました。

亡くなられた方々、いまだ行方不明の方々、被災者として様々な御苦労をされている方々に、改めて哀悼の意を表します。

東日本大震災発生から一ヵ月半ほど経ってから、南相馬市へ災害復旧の手伝いで一週間ほど赴きました。

相馬市の旅館に泊り毎日隣りの南相馬市の現場まで通いましたが、行き帰りのクルマの中から見た光景を今でも忘れることができません。

また、南相馬市の現場作業中にも目を覆いたくなるような街の様子に遭遇し何度も絶句しました。

60年の人生の中で、あれほど凄まじいものを目の当たりにしたことはありません。

あの時に思ったことは、「これから自分に何ができるだろうか?」ということでした。

自分の専門(農業土木事業・地域活性化事業)を通して復旧・復興に関わって行くことは言うまでもありませんが、自分の生き方として何かできないものかと考えて来ました。

そして得た結論は、自分自身も退路を断ち前に進むしか生きる道は無いという状況に身を置く、ということでした。

そうすることによって、多くの被災者の方々が抱えている困難な状況を共有できるのではないか、と考えています。

1年前、59歳でサラリーマンを卒業し、今は個人事業主としてその日暮らしに近い生活をしています。

サラリーマン時代とは違い、何から何まで自分でやらなければ食っていけない状況です。

仕事が取れなければアウトです。

転職を重ねてきたので退職金もほとんどありません。

頼りは、自分の技術と人脈と経験だけです。

でも、被災者の方々のご苦労に比べればたいしたものではないと思います。

先日、南相馬で土木設計の仕事をしている友人と会う機会があり、いろいろな話を聞かせて貰いました。

友人に自分の今の状況と気持ちを伝えると、「現地ではそんな綺麗事ばかりではなく補償金の絡んだ生々しい問題が多々あるんだぞ」とその実態を教えてくれました。

確かに、友人が言うように綺麗事ばかりではないかもしれないけれど、多かれ少なかれ苦しい状況を抱えていることに変わりはありません。

大切なことは「意識の共有」です。

友人のように、住民票を東京からわざわざ南相馬に移して復興支援をしているのも、結局のところ「意識の共有」です。

東京に戻らないかという誘いを蹴って南相馬に残る決心をした、という友人の話を聞いて何か誇らしい気持ちになりました。

これからも、東日本大震災と福島第一原発事故のことを忘れずに生きようと思います。



メルケル独首相来日

2015年03月10日 | 原発問題
ドイツのメルケル首相が昨日(9日)来日し、明日(11日)までの三日間の日程で滞在します。

メルケル首相の来日は2008年の洞爺湖サミット以来で、単独で来られたのはおそらく初めてではないでしょうか?

ウクライナ問題やテロ事件など国際情勢が緊迫している最中、東日本大震災発生からちょうど丸4年の明日3月11日に合わせたような日程での来日。

日本に何かを訴えるために来たのではないか、と感じるのは私だけではないでしょう。

実際、昨日行われた首脳会談では、国際問題や経済問題、環境問題のほかに福島第一原発事故にも言及されたとか。

このブログでも再三取り上げているように、ドイツは東日本大震災と福島第一原発事故の発生を契機に、それまでの原発依存のエネルギー需給システムから、再生エネルギーなどの利用による原発に依存しないエネルギー政策に舵を切りました。

その大きな理由は、原発が倫理に反するシステムだからです。

事故さえ起きなければ原発は優れたシステムだ、とする日本政府の考え方とは全く正反対の路線にドイツはシフトしました。

仮にこれから未来永劫、原発を無事故で安全に稼働させ続けたとしても、核のゴミと言われる使用済み核燃料は増え続け、しかも今だに処理方法が確立されていない訳ですから、メルケル首相が言う通り原発は「倫理に反した」エネルギー需給システムと言えます。

日本政府は、これまでも使用済み核燃料の処理については、目をつぶり、頬かむりして来ました。

そして、四年前に事故が起きてからも原発にこれからも依存する姿勢を崩していません。

なぜ日本は原発をやめようとしないのか?

原発事故が起きた当事国なのに、なぜ日本人は原発廃止を訴えないのか? 

とドイツでは言われているそうです。

ドイツ流に言えば日本人は「倫理無き民族」です。

先日ある人気番組の討論会で、出演者に原発再稼働の是非を問うたら、過半数が再稼働を容認するという回答でした。

しかもその理由が、「電気料金が安くなる」とか、「安全性が確認されたら稼働させても良い」とか、「再稼働させなければエネルギーが足りなくなる」とかで、見識の高そうな人達の言葉に唖然としてしまいました。

まず、電気料金は再稼働させてもそれほど安くならないでしょう。

次に、いくら安全性が確認されても稼働させること自体が誤りです。倫理に反しているんだから。

そして、現時点で全ての原発が停止しているにもかかわらず電力は足りていることを直視していない。

結局は、政府と電力会社、関連企業などのご都合主義です。

倫理じゃメシは食えないとばかりに、原発事故がまだほとんど解決していないのに再稼働させようとする姿勢は、ドイツ人でなくても心ある人であれば間違っていると思うはずです。

メルケル首相には、このことをもっともっと訴えて戴きたいと真に思います。

明日11日は、日本人にとっても、世界の人々にとっても、特別な日です。

明日は、これからの地球人にとって何が一番大切なのかを、沢山の人達に思い起こしてもらいたいと思います。




還暦

2015年03月02日 | 日記
今月で満60歳になるので、今日は還暦について考えてみました。

還暦とは、「60年で干支が一回りして再び生まれた年の干支に帰る」ことから、 元の暦に戻るという意味です。

干支というと【ね・うし・とら・うー ... 】を思い浮かべると思いますが、 正確には十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)を組み合わせて形成されていて、全部で60通りの組み合わせがあります。

干支(えと)の「支」は「十二支」のことで、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種類。

また、干支(えと)の「干」は「十干」のことで、 甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10種類。

還暦とはこの組み合わせが一回りするのに60年かかるので、生まれた年の干支から60年目の年が還暦となります。

満60歳の誕生日を迎えなくても、その年の元旦で生まれた年の歴に戻るので、私は今年のお正月を過ぎてから「還暦を迎えました」と公言してます。

今年の干支は「乙未(きのとひつじ)」です。

ところで、私が生まれた1955(昭和30)年に流行した物として「三種の神器(電気冷蔵庫、電気洗濯機、テレビジョン)」が挙げられます。

当時、三種の神器が揃っていた家庭はかなり裕福で、私が幼い頃は近所でテレビのある家庭はわずかでした。

自分の家に三種の神器が全部揃ったのは、小学生になってからです。

あれから50有余年、世の中は本当に便利で快適になり、物質的にはかなり豊かになりました。

お金さえあれば、便利さも、快適さも、好きなだけ手に入れることができるようになり、物質的な豊かさを求めることが生きる目的になってしまった人も多いのではないでしょうか。

私が生まれた頃は日本全体がまだ貧しく、何とか欧米並みの豊かさを手に入れようと誰もが必死に働き生きて来ました。

ですから、テレビ、冷蔵庫、洗濯機を手に入れたときの歓び、感動は、今の人達には想像もできないほど大きなものだったと思います。

60年前に比べると、街並みも、建物も、道路も、橋も、交通網(鉄道・地下鉄・自動車・飛行機・船舶等)も、何もかもが立派で、便利で、快適です。

これ以上、立派に、便利に、快適になる必要があるのだろうか、と思うほど進歩・発展しました。

しかし...人間の心はどうなんでしょう。

子供のころに比べたら、いろんな事件や事故が格段に多くなったと思います。

全てが人間の心に起因するものとは言いませんが、心を正しくしないと、事件や事故を起こしたり、巻き込まれたりする確率が高くなって来ているのは間違いないでしょう。

つまり、「物の豊かさ」に「心の豊かさ」が伴ってないんじゃないか...

物質的な繁栄ばかりに目が奪われて、人との絆を大切にする心や自然を愛する心など、人が本来持っている大切なものがどんどん失われて行っているのではないか...

今さら60年前の世の中に戻れるわけではないですが、物の豊かさは進歩・発展しても、心の豊かさは本来不変なはずです。

世の中がどんなに変化しても、せめて「心」だけはいつも「豊か」でありたいと思う今日この頃です。