北のパラダイス

思いつくままにいろいろな事を発信していきたいと思います。

フィナーレ

2014年03月31日 | 日記
今日で平成25事業年度の最後の日となりました。

私の36年間のサラリーマン生活も今日でフィナーレです。

くしくも「笑っていいとも」のフィナーレと同じ日になりました。

タモリさんは昔からファンで尊敬する人の1人です。

なので、同じ日にフィナーレを迎えることができたのはとても光栄ですし感激です。

ここ5年ほどサラリーマンと経営者の二足の草鞋を履いて来ましたが、明日からは59歳にして本格的に起業家として再スタートします。

もっとも仕事の内容はこれまでとほとんど変わりませんから、今までの延長線上でさらに社業を発展させて行ければ本望ですね。

以前のブログにも書きましたが、目標は70歳まで現役で働くことです。

聞くところによると、タモリさんは今年69歳になるそうです。

しかもまだ現役を続けるということなので、これからもタモリさんを目標にしてやって行きたいと思います。

タモリさん32年間ほんとうにお疲れさまでした。そしてありがとうございました。

これからもどうかお身体に気をつけて、元気に現役続行して下さい。




願いは叶う

2014年03月30日 | スポーツ
昨日のフィギュア世界選手権で浅田真央選手が、歴代最高得点で三度目の優勝を飾りました。

ソチオリンピックでは悔しい思いをしましたが、バンクーバーオリンピックで銀メダルに終わり納得できなかったものを今回の優勝で完成させることができた、という自身のコメントからもやっと一区切りついたんだなと感じました。

また、ノルディックスキージャンプ女子の高梨沙羅選手も同様にソチでは悔し涙を流したものの、ワールドカップでは18戦15勝でブッチギリの総合優勝を飾り雪辱を果たしました。

二人の願い、夢の実現はまだまだ先にあるのかもしれませんが、願いの一つは叶えたのではないでしょうか。

二人の共通点は、失敗しても、思った通りに行かなくても、自分の気持ちを素早く整理し、頭をサッと切り替えて次に臨むことができることでしょう。

普通の人ならなかなかそのようにできないと思いますが、浅田選手にしても、高梨選手にしても、まだ20代前半・10代後半で当たり前のようにやってのけてしまう...すごいことです。

何が違うのか?

卓越した技術を持っていることは一つの要素でしょうが、それ以上に「志が高い」ということが大きな要素ではないかと思います。

失敗しても、思った通りに行かなくても、「自分はこんなものじゃない、まだまだできる」という「高い志」によって、素早い気持ちの切り替えを生んで短期間で雪辱を果たすことができるんじゃないかと思います。

二人の活躍を見て、我々一般人も大いに学ばなければなりません。

私の59年間もそれこそ山あり谷ありの人生で、失敗や挫折を何度も何度も繰り返して来た経験から言えるのは、「決して諦めてはいけない、諦めずにやり続ければ願いは叶う」ということです。

そしてもう一つ、「志を高く持つ」ことが向上心を生み、失敗や挫折を乗り越える大きな原動力になることです。

さらに、ここ30年くらいは「自分の思いに忠実になる」ということも大事にしています。

でも、私が59年かかって体得したこれらの信念を、浅田選手も、高梨選手も、既にその若さで体得し実践しています。

ご両親の育て方が良かったのか、コーチの指導が良かったのか、生まれながらにして身についていたものなのか、いづれにしても素晴らしいことです。

というか、全ての人達に本来は生まれながらにして身に付いているものを、子供のころに気付いた、あるいは気付かされた、ということなんだろうと思います。

それを促したのが、ご両親であり、コーチであったのかもしれません。

ただ、同じ境遇にいても気が付けない人達もいるわけですから、持って生まれた「頭の良さ」や「素直さ」というものも重要なファクターだと思います。

一人ひとりの夢や願いは違いますが、今はどんなに大それた事とか、無謀な事だと感じても、諦めずにやり続けることができればいつかは必ず叶うという事は真実です。

そしてその時に必要なのは「高い志」を持った強いハートと、「自分の思いに忠実になる」という自分を信じる気持ち即ち「自信」です。

これからの世の中は、「高い志」と「自信」を持つことにより益々夢や願いが叶いやすくなるような気がしています。

周りがどんな状況になっても、周りから何と言われようとも、それらに惑わされることなく「高い志」と「自信」を失わないで「諦めずにやり続ける」、これこそが「今」を生きる全ての地球人に課せられた「使命」であり「特権」だと思います。

私の最終的な「夢」「願い」は、「光を発するただの人」となって地球を「皆が物心両面で満足が得られる平和で安定した地上楽園」にする事です。

それが、この時代に日本という国の北海道という地域に生まれ会わせた私の「使命」だと思ってます。




怒涛の年度末

2014年03月28日 | 消費税
今年の年度末はかつてないほど、忙しさが怒涛のように襲って来ています。

ただでさえ年度末は忙しいのに、消費増税への対応・準備が重なったことがとても大きいと思います。

特に、販売関係の仕事をされている方々は本当に大変そうです。

私も仕入れ・販売の仕事をしているので、仕入れ業者さんやお客様、量販店さんとの対応に忙殺されています。

加えて、自分自身の職場環境や社会的な立場も4月1日から変わるので、その対応も同時にやらなければならないため一時はパニック状態に陥ってしまいました。

しかし、それもやっと峠を越した感じで少し落ち着きを取り戻してきました。

それにしても、この時期の消費増税は勘弁して欲しいですね。

せめて1ヵ月遅れだと忙しさの度合いはかなり緩和されると思いますが...。

でも、新年度スタートに合わせて消費増税をやらないと様々な障害が発生するんでしょうから、そのリスクを考えると4月1日スタートはやむを得ないんでしょうね。

それともう一つ、最近あまり話題になりませんが、ウィンドウズXPからウィンドウズ7・8への切り替え期限が4月9日に迫り、その対応に四苦八苦している企業や役所もかなりあるんじゃないかなと思います。もちろん個人もそうですが。

私も、やっと自宅と職場のパソコンを新しいものに買い替えてバージョンアップし、なんとか滑り込みセーフで新年度を迎えることができました。

職場のほうはなんとか自分で対応しましたが、自宅の場合は新しいパソコンが何度やってもインターネットに繋がらず、しかたなく専門業者に頼んでセッテイングして貰いました。

というのもXPの場合とセッティングの方法が全く異なり、見ていて自分でいくらやっても駄目だったんだということがよく分かりました。

専門業者の人が、個人の場合はバージョンアップする時にセッティングできない人が多いと言ってましたが、それを身を持って知ったというところです。

このように、消費税が上がる前の3月中に全てやってしまおうという人がほとんどでしょうから、社会全体が怒涛の年末を迎えているというのが実態でしょうね。

新年度まであと4日に迫りましたが、今晩は職場の年度末打ち上げ会に出席、明日は高校同期の還暦前祝いの会に参加、明後日は大掃除と休む暇もありません。

4月1日になったらまたすぐやらなければならないことが山積しており、平成26事業年度もまた忙しい日々を送らざるを得ないですね。

まぁ、それもこれも結局は自分が望んだことであり人生修行の一環な訳ですから、これからもただひたすら黙々と仕事するのみです。




旅立ち・巣立ちの時

2014年03月25日 | 日記
友人、知人、職場関係の人達など、4月から新たな環境のもとで働いたり暮らしたりする人が例年になく多いように感じます。

ほとんどが転勤による異動ですが、年ごろなので退職という人もけっこういます。

高校時代の同級生の1人が、東京の大手出版社に30数年間勤務して先月で退職となりましたが、送られて来た挨拶状に「60にして立つ」と記されていました。
会社に残ればまだまだ偉くなれるのに一年早く退き、これから何か新たなことでも始めるのか、残りの人生を賭けて何かを成し遂げようとしているのか、そんな決意めいたものを感じました。

先日、4月から東京転勤になる同じ技術士会の仲間で飲み友達、バンド仲間でもある高校の後輩の壮行会を行いましたが、彼も何か特別な思いを持って新たな環境に臨もうとする意気込みのようなものを感じました。

また、大学時代のクラブの同期生も今月いっぱいで公務員生活にピリオドを打ち、休む間もなく4月1日から地方のJAに単身赴任で行くことになりました。
役所ではそれ相応の地位まで登りつめましたが、用意されていたであろう天下りの席には目もくれず、自分で第二の職場を探してまで何かを成し遂げようとしています。

三人三様で職業も置かれた立場も違いますが、彼らに共通しているのは「思いの純粋さ」です。

特に、退職する二人の同期生は経済的に困るわけではないので、そんなにあくせく働く必要もないのに、休む間もなくこれからまた新たな事にチャレンジしようとしています。

何が彼らをそうさせるのか胸の内は分かりませんが、でも、自分に照らし合わせると、なんとなく彼らの思いは分かるような気がします。

なぜならば、人は死ぬまで生きるんです...当たり前ですが。(笑)

言葉を換えると、人は死ぬまで修行なんです。

だから、生きることが即ち修行なんです。

誰も彼もがみんなこの世で修行するために生まれて来て、息を引き取る寸前まで修行を続ける...それがこの世に生まれて来たことの意味です。

上述した三人も口に出しては言いませんが、胸の内にはそのような思いを秘めているんだろうな、と感じました。

どんな日々も生き抜くこと、生き切ることが、即ち修行です。

何時間も座禅をしたり、寒い時期に滝に打たれたり、何日間も荒行をやったりとか、そんなことをわざわざする必要はありません。

日々の仕事を当たり前に淡々とこなすこと、それで十分だと思います。

必要なのは「思いの純粋さ」であり、それは「自分の本当の思い(良心)に従うこと」と言い換えることができます。

むやみに世間の常識や他人の思いに耳を傾けるより、常に自分の心の奥底と対話することに専念し、自分が本当は何がしたいのか、本当はどうありたいのかを、徹底的に考え抜くことが即ち「修行」です。

そのような修行を通して得られたものは本物です。

高校の同期生も後輩も、大学の同期生も、4月からまた新たな修行の旅立ち・巣立ちを迎えます。

私も彼らと同様に、これから新たな修行の旅に赴きます。

私の修行の最終目標は「光りを発するただの人」になることです。

もっとも見た目とくに頭は既に「光りを発するただの人」ですが、内面もそうならないと完成品にはなりません。(笑)

エゴも欲も何もかも抜け切って、何も思い残すことがなくなれば、私の旅も終りです。





お食い初め

2014年03月23日 | 日記
今日は孫の生誕100日目だったので「お食い初め」をやりました。

尾頭付きの鯛をお祝いに娘夫婦の家に持参し、お食い初めの料理を娘達が3人で100日の写真撮影に行っている間にババ(家内)が調理しました。

その間、ジジ(私)はただボケーッとしてただけでしたが...(笑)

娘や息子の100日のお祝いには「お食い初め」している余裕はありませんでしたが、少し余裕のできた今は、孫のためにできることは何でもして上げたいというジジババの思いしかありません。

そして、無邪気な孫の顔を眺めていると、自分の生きている間に何とかもっともっと住み良い世の中にしなければならない、と思わずにはいられません。

「皆が物心両面で満足が得られる社会」

「自分がやりたいことや自分がなりたいものが実現できる世の中」

「皆が明るく楽しく平和で安定的に暮らせる世界」

「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずという社会」

「すべての生きとし生ける物と共存共栄できる世界」

これらのことが実現できる社会・世の中・世界は、決して理想郷なんかではありません。

心の持ち方一つで実現が可能です。

要はエゴを捨てればいいんです。

「足るを知る」それだけです。

自分だけがいい思いをしたいとか、自分だけが金持ちになりたいとか、そういう思いを捨ててそれぞれが「みんなハッピーになれるように」と思いやり、相互扶助の精神で助け合って行くことができれば実現可能な社会・世の中・世界です。

というか、かつての日本はそうであったはずです。

せめて孫が二十歳になるまでにはそのような世の中に戻したいと思います。

日本が思いやり溢れる国に戻ることができたら、世界中が変われるキッカケになるんじゃないか...。

東日本大震災と福島第一原発事故で日本人の心が一つになり、世界中に感動をもたらしたように...。

今日はそんなことを思いながら、孫のお食い初めを見守りました。










春分の日

2014年03月21日 | 日記
外は雪模様です。

気温もたぶん零度以下でしょう。

寒い春分の日です。

お彼岸ですから本来はお墓参りをする日ですが、北海道はこの時期お墓もまだ雪の中です。

今年は特に雪解けが遅いような気がします。

しかも寒いですね。寒いから雪解けも遅いんでしょうが...。

3月に入ってからも真冬日が続きました。

今冬は北海道各地で真冬日の最多日数を更新しましたしね。

雪解けが遅いと、特に水田や畑を起こし田植えや種まきする時期がずれ込んでしまうので、農家の人達はヤキモキしていることでしょう。

弊社の農場(タカシマファーム)もまだ雪がドッサリと残っており、農場主の高嶋さんも気が気ではない様子です。

雪解けが遅れると田植え時期の水温や地温が適正温度まで上がらず、それが稲の生育に大きく影響します。

雪解けを促進させるために融雪剤という黒っぽい粒剤を撒くんですが、今日みたいに雪が積もるとせっかく撒いた融雪剤が意味をなさなくなってしまいます。

なので、融雪剤を撒く時期をいつにするかということがとても重要になりますが、そのへんは長年の経験と勘が頼りです。

毎年、気象条件が異なるため、それに合わせてやり方を変え対応しなければなりません。

「何十年間も米作りをしてみて全く同じやり方だった年は一度もない」と言う話を、何人もの生産者から聞きました。

私は、春分の日の頃の残雪量が生育や品質、収量にけっこう影響しているんじゃないかと感じてます。

特に水温は重要なファクターです。

北海道の米どころと言われている旭川市や深川市の周辺は、石狩や南空知などより北に位置していますが、水温が意外と高くそれがお米の生育に適している要因の一です。

反対に、タカシマファームのある石狩南部地域は支笏湖に端を発する千歳川の冷たい水を水田に引き込んでいるため、上川・空知北部地域より水温の影響を受け易いと言えます。

さて、これから気候はどのように推移するんでしょう。

お米に頼って生きているので、一日も早い雪解けを願わずにはいられません。




アイスホッケー部OB会

2014年03月19日 | スポーツ
昨晩、大学時代のアイスホッケー部OB会札幌支部の集まりに参加して来ました。

同期生が今月いっぱいで役所を退職し、来月から休む間もなく関連の団体に再就職し札幌を離れるので、お疲れ様会と壮行会を兼ねた宴を設けました。

先輩・同期・後輩がつどいとても楽しい宴でした。

先輩や同期とはもう40年以上の付き合いになり、みな四捨五入したら60歳ですが、いまだに当時の呼び名で呼びあってます。

最低でも年に一回は集まっているし、私なんかは役所の同期の所へよくお茶を飲みに行っていたので、それこそ頻繁に会っていた時期もありました。

自分とアイスホッケーとの出会いは、幼少のころ帯広で見た日本リーグの試合でしたが、ほとんど記憶にありません。

しかしその後、高校二年の時に札幌オリンピックでアイスホッケーの試合を間近で見た時の鮮烈な記憶は、今でも忘れません。

当時サッカー少年だった私は生のアイスホッケーを見て、「こんなスポーツは自分に出来ないだろうし、やる機会もないだろうな」と思ったのに、それから2年後、帯広でアイスホッケーをやり始めたんですから人生どこでどうなるか分かりません。

学生寮の同じ部屋の先輩が同じ札幌出身で、しかもアイスホッケー部のキャプテンだったので、まぁ当然というか、自然の成り行きでした...スケートもある程度滑れたので。

それ以来、アイスホッケーは人生の一部になってしまい、足の指を骨折したり、前歯を三本も折ったりしても、その魅力には勝てず、50歳近くになって医者から激しいスポーツを控えるように言われるまで続けました。

昨日集まった連中はみな卒業後もOBチームでプレーし、4年下の後輩などはまだ現役でプレーしている強者です。

しかし、いくつになっても先輩は先輩、後輩は後輩という関係で、先輩に対してはいまだに敬語だし、後輩は呼び捨てにしてます。

孫もいるジイサン達が、いまだに大学時代の体育会系丸出しで呑んでる姿は若い人達にどう映っているか分かりませんが、当のジイサン達は楽しくてしかたがありません。

職場に戻れば各々重責を担っている人達ばかりですが、クラブのOB会になると立場を忘れてはしゃいでしまうんだから面白いもんです。

それだけ、大学時代に全国大会に3回出場し3年連続で全国ベスト8になった時の想い出や、社会人になってもOBチームでプレーを続けて来た体験が、みんな忘れられないのかもしれません。

ところで、アイスホッケー部OB会札幌支部の支部長を今月いっぱいで退任し、4年下の後輩に4月からバトンタッチすることにしました。

少しづつでも若返りを図らないとOB会も活性化しないので、これからは一会員として会を盛り上げて行く所存です。






北海道6次産業化展示交流会

2014年03月17日 | 地域ブランド
本日、ロイトン札幌で開催された「北海道6次産業化展示交流会」に出展者として参加して来ました。



出展商品は「宮の森アイス」一本に絞り試食もして戴きました。



他のブースに比べると商品がたった2種類で、しかも冷凍品なのでテーブルの上にも載せられないため、とりあえず空のカップを並べてのPRというちょっと殺風景なブースとなりましたが、商品数ではなく商品力で勝負したかったので、スタッフの不安そうな顔を尻目にそれで押し通しました。

最初はあまり立ち寄る人もいませんでしたが、開始30分を過ぎるころからだんだん訪れる人が増えてきて、試食のアイスを食べるなりほぼ100%の人から「美味しい!!」と言って戴きとても良かったです。

今回は大手量販店のバイヤーさんや有名なシェフなど、プロ中のプロが多数いらっしゃっての商談会でしたが、お蔭さまで少なくても3社から具体的なオファーがありました。

また、北海道の業界では知らない人はいない超大物フードディレクターが試食に訪れ、「これは美味しい!!」と絶賛して戴いたばかりでなく、写真入りでブログに紹介して下さることになり、スタッフ共々大感激です。

14時から17時まで3時間の展示交流の間にブースを訪れた方と名刺交換したのが約20名、実際に試食された方はその倍はいらっしゃったと思います。

最初はどうなるかと思いましたが、終わってみれば実り多き大満足の6次産業化展示会でした。





消費税8%

2014年03月16日 | 消費税
あと半月で消費税が8%に移行となります。

私のほうでもお米やアイスクリーム、野菜類、雑穀類など量販店に納入している商品については、一部が現行価格に増税分が上乗せとなります。

本当は、全ての販売価格を現行価格のままとして実質本体価格の値下げで対応したかったのですが、量販店によっては他の商品との横並びを求める所もあり、全国規模の大手量販店で販売しているアイスクリームについては10円近い値上げとなってしまいます。

一方、道内最大手の量販店に納入している野菜類と雑穀類については、本体価格を値下げして販売価格は据え置きする方針です。

また、量販店を通さないで直接お客様に販売しているお米についても、お値段据え置きで配送料のみ8%対応としました。

うちのような零細企業では極力在庫を持たないようにしないとならないので、値上げになって売れ残るよりも、価格を据え置いても売れるほうが有難いという事情があります。

いつも買って戴いているお客様にも価格の据え置きは歓迎されていますし、量販店も売り上げが増えるほうが良いのに決まっているので、お値段据え置きにしたほうが「三方よし」になるんじゃないかと考えてます。

ところで、量販店の価格表示については本体価格の表示がメインとなり、税込み価格(販売価格)のほうは小さめに表示されます。

商品を手にするお客様には分かりづらいのではないかと思うので、どうしてこのような表示にするのかよく分かりませんが、量販店ではこのような表示方法に統一されるようです。

考えてみれば、消費税が10%になる日もそう遠くはないようですから、またその時に繰り返される変更作業をスムースにする意図も見え隠れします。

さて、来月からどのような商品売れ行きになるでしょうか?

据え置きにしても、値上げしても、売れ行きは変わらないかもしれませんが、それはそれでしかたありません。

ただ、値上げになったアイスクリームの売れ行きが下がってしまわないことを願ってます。

やっと少しづつですが売れ行きが伸びて来たところへ、不本意な値上げで売れくなってしまうのはたまりません。

この消費増税が吉となることを切に望みます。






集団的自衛権行使のための憲法解釈変更論議

2014年03月14日 | 憲法改正問題
過去のブログ記事でも何度か取り上げた集団的自衛権の行使について、改めて考えてみることにしました。

「集団的自衛権」とは、同盟関係にある例えばアメリカなどが攻撃された時には、自国が攻撃を受けていなくても攻撃参加できる権利です。

日本はこれまで憲法第九条の基で専守防衛、即ち、自国が攻撃された時に限り武力でもって反撃できる「個別自衛権」を行使できるという解釈を貫いて来ました。

戦後日本が一度も自衛隊が海外で武力攻撃に参加しなかったのも、この考え方が貫かれてきたからに他ならず、日本は戦争をしない国として国際社会からも高い評価を受けて来たと思います。

ところが周知の通り、安倍内閣が発足してからは「集団的自衛権」の行使を認めることによって、いつでも戦争ができる国にする方向へと舵が切られました。

しかも事もあろうに、国会議員や政府関係者のみの「憲法解釈の変更」により集団的自衛権の行使は認められるとする、暴挙に出ようとしています。

憲法とは言うまでも無く国の最高の法律であって、立法府が定め行政府が施行する様々な法律を監視する「立憲主義」の役目も担っている訳ですから、たまたま政権を取った内閣総理大臣の一存で憲法の解釈変更をするなど、あり得るはずの無い前代未聞の暴挙と言っても過言ではありません。

仮に、同盟国が武力攻撃にさらされて日本に対し援軍が要請されたとしても、それに対してどのように対処するかは、その時の状況に応じて考えれば良い訳で、まだ何も起きていないうちから「集団的自衛権行使」ありきで強引に進めるのは現実的ではありません。

100歩譲って、いろいろなケースを想定したシュミレーションを行ない、どんな場合なら集団的自衛権を行使せざるを得ないのかを示して広く国民の間で議論する、というのならまだ議論の余地は残されているかもしれません。

太平洋戦争終結から70年近くが経とうとしていますが、この間、同盟国であるアメリカが関わった朝鮮戦争・ベトナム戦争・アフガン戦争・湾岸戦争・イラク戦争は、ほとんどがアメリカが攻撃側であり、日本が「集団的自衛権行使」を行使してまでも参戦する必要性はありませんでした。

もっと言えば、アメリカに対して攻撃をしかけて来る国など現実的には無いでしょう。

2001・9・11の同時多発テロにしたって、イスラム圏の仕業ではなく、アメリカの政治抗争に端を発した自作自演だったという見方もあるくらいです。

あるかどうかも分からない、いや、ありもしない武力攻撃に対する「集団自衛権行使」の容認など、以ての外だと言えます。

繰り返しますが、僅かな国会議員や政府関係者のみので憲法解釈を変更し、いつでも戦争ができる国に仕立て上げようとしている暴挙を黙って見過ごす訳には行きません。

心ある国民が一致団結して絶対に阻止しましょう!!

もしこれを許してしまったら、国民の基本的人権も何も無くなってしまいます。

国家最高の法である憲法が時の為政者によって簡単に変えられてしまったら、日本国はもう誰かの国になり下がってしまいます。

これは即ち、北朝鮮などと同じような「独裁国家」です。

戦後70年間、いったい何を学んで来たんでしょう!?

歴史は繰り返す?

否、悲惨な歴史を繰り返してはいけません。

どうしてこんな簡単な事が分からないのか...。

もし、北朝鮮や中国が攻めて来たらどうするのか。

その時は当然、個別自衛権を行使して反撃するのみです。

日本の国土と国民を守るために!!

しかし北朝鮮も、中国も、日本には攻めて来れないでしょう。

自衛隊という優秀な武力組織があることを周知のうえで攻めてくるのは、まさに自殺行為ですから。

じゃあ、安倍首相は何のために「集団的自衛権の行使」を容認したいのか?

その答えは、アメリカのオバマ大統領に聞いたほうが早いかもしれませんね。

私の直観ですが、オバマ大統領と安倍首相との間には考え方の相違や意識のズレがあるため、お互い求めていることと違う方向に行ってしまう恐れがあります。

このことは、今年の秋くらいになるとはっきりしてくるんではないでしょうか。


新たな思い

2014年03月12日 | 未来構想
本日、59歳になりました。

還暦まであとちょうど1年です。

以前から「60歳にして立つ」ことを念頭にしながら生きて来ましたが、還暦前に立つことになりました。

ここ数年間は2つの会社に所属して仕事して来ましたが、4月から2足の草鞋のうち1足を脱いで完全に独り立ちします。

ただ、仕事の中味は変わりません。

相変わらず、農畜産物の生産・加工・販売・企画開発の仕事と、土木などの建設コンサルタント業務を同時にこなして行くことになります。

じゃあ、何が変わるかと言ったら、基本的に自分1人でこなして行くということです。

足りない部分はアウトソーシングなどの外部委託で賄って行き、当面は内部に固定した人員は配置しないつもりです。

これからの仕事のスタイルは、会社などの法人組織に所属しないで個人で仕事をこなし、自分ができないところは外部のネットワークで補い合う、という仕事の遣り方にシフトして行くのではないかと思います。

極論を言えば、「自分のやりたい仕事をやりたい時にできる」、そんな社会が私の理想とするところです。

そのような社会の実現に向けて、微力ですが、今日から思いを新たにし頑張りたいと思います。

少なくてもまだ10年はやれると思うので...。

目標は70歳まで現役を続けることです。

今日がその第1歩です。

「諦めずにやり続ければ願いは必ず叶う」

59年間生きて来た結論の1つです。

「自分の真なる思い(良心)に忠実に生きる」

このことはとても重要です。

自分は何をしたいのか、どうなりたいのかを徹底的に考え抜き、安易に周りと妥協しないという姿勢が大事です。

自分の人生は誰のものでもない、自分のものですから。

誰かのために生きるということも大事ですが、それが自分の真なる思い(良心)から発せられたものかどうかを見極めなければなりません。

自分の真なる思い(良心)から発せられたものなら、どんなことでも迷わずやるべきだと思います。

それが、後悔しない生き方に通じる道です。

今日から「新たな思い」でまた踏ん張って生きます。













あの日から時間が止まった!?

2014年03月11日 | 日記
あの日からもう丸3年が経ってしまいました。

改めて、東日本大震災と福島第一原発事故でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りします。

また、ご家族やご友人など大切な人を亡くされた方や、住宅を失ってまだ仮設住宅でおられる方、職場への復帰もままならない方など、まだまだ復興の途上にある多くの被災者の皆様方につきましては、1日も早く落ち着いた生活を送ることができるように、これからも日々お祈りいたします。

時が止まったかのように、復興事業も、原発問題も、なかなか進展しません。

いや、原発事故については収束の糸口も見えない中で再稼働を進めようとしている状況を見聞きするにつけ、時間が逆戻りしているように思い、苛立ちと腹立たしさを禁じ得ません。

どうしてなんでしょうねぇ...。

お金も技術力も智恵も知識も無い訳じゃない、復興に向けて懸命に応援・支援している人達も沢山いるのに、何故こんなに進まないんでしょう?

やり方が悪いからと言ってしまえばそれまでですが、でも、きっとそうなんでしょうね。

やり方と言うか、おおもとの考え方が間違っているのかもしれません。

現行の法律やシステムに従うとどうしても進展が遅れてしまうのなら、考え方を改めて迅速に進むやり方に変えて行くしかない、と思うのですが...。

私の専門分野の1つである土木インフラ(道路・上下水道・農業基盤・河川・港湾)の復旧・復興は比較的進んでいるという話を聞きますが、公共施設・個人住宅・市街地整備など建築インフラの復旧・復興はかなり遅れているようです。

市民生活にダイレクトに関わる学校や病院、住宅、商業施設などについては、立ち入り禁止地域は言うまでもなく、そうでない被災地についてもほとんど手つかずという所もあるようです。

このような状況の中で真っ先にやらなければならないことは、まず住宅の確保、次に学校や病院などの重要公共施設の整備であり、国家予算の他の費目予算を削ってでも優先させなければならないことは論を待ちません。

2020年の東京オリンピック開催までには、原発事故を収束させ安全下にコントロールしなければならないし、復興事業については最低でも現在も仮設住宅に住んでおられる人達をちゃんとした住宅に移転しなければなりません。

しかし、あと6年しかありません。

このままのやり方で本当に実現できるんでしょうか?

東京電力に責を負わせるのも限界があります。

ここは政府がもっともっと力を注いで行くしか残された術は無いでしょう。

日本はもっと強くなければいけないとかなんとか言って、余計なところに金と労力を使わないで欲しいと切に思います。

自分達が被災者と同じような境遇に置かれたら、きっとそのように思うはずです。

私は、原発を止めることによる電力料金値上げは当然だと思います。

国民みんなで被災者の痛みを分かち合わなければならないし、原発に頼らない社会を実現するためには、むしろ喜んで電力料金値上げに応じたいと思います。

今やらなければいったい何時やるんでしょう?

私が生きている間にできることは、子孫によりよい社会を残して行くことしかありません。

あれから3年経ちましたが、この3年間、ひたすらそのことを考えて生きて来たと言っても過言ではありません。

3年前の3月12日、原発事故ニュース第一報の映像を見ながら56歳の誕生日を迎えました。

明日12日は、まだ収束していない福島第一原発のニュースを見聞きしながら59歳の誕生日を迎えることになります。

1年後60歳の誕生日を迎える時には、せめて原発事故が収束し、他の原発も再稼働なしで廃炉が決定していることを切に望みます。










失ったものを嘆くより、前を向いて進もう。

2014年03月09日 | ソチパラリンピック
アルペンスキー男子座位の狩野選手らが、出演しているテレビコマーシャルで口にしている言葉です。

その狩野選手が、ソチパラリンピックの滑降とスーパー大回転で金メダルを獲得し、バンクーバーパラリンピックのスーパー大回転で金メダルを獲得したのに続く2大会連続、しかも早くも今大会2つ目の金メダル獲得となりました。

狩野選手は小学校三年生の時に交通事故で脊髄を損傷してから不自由な生活を送っていましたが、スキー指導員の父君の影響で小さい時に始めたスキーを事故後も続け、障がい者アルペンスキーの道を切り開いて遂に世界の第一人者となりました。

私も若い頃スキーに熱中しましたが、速く、正確に滑れるかどうかは、素早い重心移動によって前後左右のバランスを上手くとれるかどうかにかかっています。

座位スキーは一本のスキー板でしかも座って滑るので、普通のスキーよりもっとバランスのとり方が難しいと思いますが、狩野選手は小さい時から身に付けて来たバランス力を活かし、座位スキーに転向してからの想像を絶するような厳しい練習を重ねたことが、今回の快挙に繋がった一つの要因ではないかと思います。

オリンピック選手も、パラリンピック選手も、ともに厳しい練習や実践経験を積んで出場権を獲得したわけですが、困難な状況を乗り越えて来た道のりは、パラリンピック選手のほうがさらに厳しいものがあったのではないかと思います。

健常者が事故などで手足を失ったり、脊髄を損傷したりして障がい者となり、車いす生活を余儀なくされた時の喪失感とか絶望感というものを考えると、その精神的な苦痛の度合いは我々の想像をはるかに超えたものであると思います。

それこそ「失ったものを嘆くより、前を向いて進もう」と自分に言い聞かせ、悲しみを乗り越え、苦難を克服してソチパラリンピックの大舞台に立ったわけですから、出場選手一人ひとりに対しては、どういう結果に終わったとしてもその偉業を称え、惜しみない賛辞を送りたいと思います。

そして狩野選手には、同じ日本人そして同じ北海道出身者として大偉業の達成を称えるとともに、健常者にも、障がい者にも、全ての人たちに勇気と希望を与えて戴いたことに心から感謝したいと思います。

「失ったものを嘆くより、前を向いて進もう」

この言葉が、この地球上に住む約70億人の全ての人たちの合言葉になれば素晴らしいですね。

これからもソチパラリンピックに出場している選手の皆さんから、たくさんのパワーを戴きたいと思います。






東京は温かいですね

2014年03月07日 | 日記
いま朝の8時少し前です

ホテルから外に出てみましたが少し耳のあたりに冷たさが感じられる程度かな

終日零度以下の北海道から来ているので、この程度ならむしろ温かく感じます

東京に来るとやはり気持ちが高揚しますね

今日は一日中会議なので、明日時間が取れたらどこかに寄って来ようかな

東京出張

2014年03月05日 | 日記
明日から8日まで東京に行って来ます。

ここのところ北海道内の仕事が忙しく、昨年の6月以来の久々の上京です。

実は、今月いっぱいで首都圏のある仕事に一区切りつけるため挨拶に行きます。

これまでは、東京出張というと年がいもなくワクワクしてたんですが、今回はちょっと感じが違いますね。(笑い)

東京出張の折りにはつい足を伸ばしたくなっていろいろな所に行ってみましたが、今回はスカイツリーの近くに住む息子の所にだけ寄って帰るつもりです。

4月以降は北海道内での仕事が中心になるので、しばらくは東京に行くこともなくなると思うとちょっと寂しいですね。

ただ、お米やアイスクリームなどが首都圏で爆発的に売れ出したらまた東京に行けると思うので、それを励みにまた頑張りたいと思います。

お蔭さまでお米の販売は好調で、昨年の倍近い量を買って戴くことができました。

また、昨年の1月から販売を開始したアイスクリームのほうも、微々たるものですが少しづつ販売量が増えてきてます。

これもいつも買って下さるお客様のお蔭であり、この場を借りて御礼申し上げます。

お米もアイスも、今は北海道内での販売がメインですが、これからは首都圏でも販売量が伸びることを期待してます。

明日と明後日は池袋のホテルに泊まります。

明日の晩は、ホテルの傍にある行列のできる回転寿司に行ってみようかな。