43年前の今日 6月11日 - 須永博士美術館スタッフブログ
東京の須永博士自宅に保管されていた資料などを熊本の須永博士美術館に送ってくれています。その中に、1977年ごろにファンの方々へ送っていたハガ...
43年前の今日 6月11日 - 須永博士美術館スタッフブログ
↑昨日のブログでは、須永博士が人生初の坊主にした時のことを紹介しましたが・・・
わたしの知っているかぎりでは、1979年に浜松で出逢った横山真理さん(当時13歳)との出逢いから頭を丸めた・・・と記憶していたのですが、昨日も紹介したハガキではその2年前の1977年6月11日に坊主にしたと書いてありました。
この2年間の間・・・それと、坊主にした本当の理由・・・須永博士本人に聞いてみました。
ファックスで質問したら、電話がかかってきて直接聞きました。
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「それはね、もう20代後半ぐらいからずっと悩んでいたんだよ。
髪が抜けることが嫌で嫌で・・・
でもこれは遺伝的なことでね。
親戚のおじさんたちもみんなそういう感じだったから。
だから、20代後半からは展覧会の時は帽子をかぶっていた。
恥ずかしいから。
下を向いて詩を書くから、見られるのが恥ずかしい、嫌だった。
ただ、これを気にしていると、集中的に詩ができない。書けない。
いっそのこと、短くしてしまおう!と思ったのが1977年 35歳の時だったんだよ。
この、髪が抜けてゆく、薄くなってゆくということは自分にとってものすごく本当に嫌なことで、気にしていたんだ。
その時は坊主にしたけれど、やっぱりツルツルは嫌で、そのあとはだいたい5分刈りくらいだったかな。
そして、それから2年後、静岡の浜松駅ビルで展覧会をしている時に真理ちゃんのお母さんが展覧会に来てくれて、その翌日真理ちゃんを抱えてきてくれて・・・」
(↓真理ちゃんとの出逢い、2008年のブログに書いてありました。)
5月11日母の日 - 須永博士美術館スタッフブログ
少し早いですが、5月11日は「母の日」ですね。須永博士の詩には、「母」「母への感謝」が、色紙と中パネルであります。ちなみに父は、「親父の背中...
5月11日母の日 - 須永博士美術館スタッフブログ
病気と闘い、最後の瞬間まで生きることをあきらめなかった横山真理ちゃん、さっきの電話で当時のことを、本にも書いていないことを教えてくれました。
「それから浜松で展覧会があると、展覧会が終わってから浜松駅から歩いて3~4キロぐらいの病院まで歩いて真理ちゃんに会いに行っていたんだ。会って旅の話をしたり、詩をプレゼントしたりね。
お母さんから、真理ちゃんが亡くなったと連絡があって、車で6時間くらいかけて東京から浜松まで6時間くらいその時はかかって、ご葬儀に行った。
お母さんから、真理ちゃんの最期のことを聞きました。
息を引き取る前、最後の力を振り絞ってお母さんの手を握り、「お母さん、お母さん、お母さん、お母さん・・・・・」と真理ちゃん
お母さんは、「お母さん」という真理ちゃんの言葉を指折り数えていたそうです。
すると、約1分間の間に40回、「お母さん、お母さん、お母さん」と言い続け、40回目に「お母さん」と言って、静かに息を引き取ったそうでした。
その話を聞いて、「お母さん、息を引き取る瞬間に、それは無理でしょう、そんなことできないでしょう。」と言ったんだ。すると真理ちゃんのお母さんは、
「いえ、ほんとです。真理は、最後まで本気で生きたんです。」そう聞いて、祭壇の真理ちゃんの写真を見たときに、真理ちゃんが
「おじさん、本気をだせばなんでもやれるよ」って心で感じた。真理ちゃんの笑顔の写真から、そう聞こえた。
その時に
「なんだよ俺は。髪の毛が抜けるくらいでくよくよしてるんじゃないよ。そんなことでいちいち恥ずかしいなんていってるんじゃねぇ!」って自分に言った。
それで、真理ちゃんの家の近くの床屋さんに行って「一番短くしてください。」と、本当の意味での丸坊主にしてもらった。
「俺は詩を書くことに命懸けでやろう。」と、それから本気になった。そこからだね、本当に、本気で詩を書くことを始めたのは…。」
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今日は、こんな話を聞けました。
1977年に坊主にしたのは、髪が抜けてゆくことを気にして、詩を書くことに集中できない自分から抜け出したかったから。
1979年に坊主にしたのは、本気で詩を書くことに命懸けでやろう。」と決意したからでした。
ちなみに、1972年(須永博士30歳)に自費出版で発行した 「小さな夢の詩集」1集の表紙とプロフィール写真(最初はシリーズ化することも考えていなかったので、第1集という表記もありません。)
そして、15年後の1987年(須永博士45歳) 七賢出版から再編集して発行された現在も販売中の「小さな夢の詩集」第1集の表紙とプロフィール写真
やっぱりかなり違いますね。
でも、この間15年・・・すごい変化のように思います。ここまで全力で走り抜けていたんでしょうね・・・。
まだまだ貴重なものも届いています。また紹介いたします。