今朝の気温はマイナス2度、そして日中は、外に出てびっくり!暖かくて!14度ありました。
湧蓋山の雪もすっかりとけてしまいました。
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↑今日のお昼過ぎ
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↑先週、1月11日
今日は休館日でしたが、お客様からのご注文もあり、ゆっくりと事務仕事もしていると、仕事部屋にハチが入ってきました。
それだけ今日は暖かかったんですね!
先日の記事で、自分の高校3年生の時を思い出したりしていましたが・・・
須永博士の高校3年生の頃ってどんなだったんだろう…
と思って、作品の依頼もありましたので電話をした時に聞いてみました。私が知っているのは
こちらに書いたもの
にもあるように、
「高校卒業後、就職した会社での挫折」
から、生きることに絶望し、命を断とうとまで思ったところから、
「詩人、絵描きになりたい」
とこの道を歩き出した・・・
ということ
就職する経緯までは聞いたことがありませんでした。
電話で
「須永博士の高校3年生のころってどんな感じだったんですか?」
と聞いてみると即答
「なぁんにも無かった
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」
と。
「何の夢も無い、やることも無い。
だから、高校を卒業してからそのまま自分の父親がしていた家業の写真屋を手伝っていた。
写真を配達していたところの人が、“弟が働いている会社で働いてみないか”と声をかけてもらって、タイヤ会社にいったんだけど、そこでしていたのは留守番みたいなもの。半年くらいアルバイトのようにしていた後に社員採用の試験があって受けて社員になったんだけど、その後優秀な社員の人が入ってきて・・・
人と話すことも上手くできない、営業の仕事をしたけれどひとつも成績が上がらない。
自分は要らなくなったんだよね。
会社にいた頃に成人式を迎えたけれど、おしゃれにすることは好きだったけれど、自分自身の中身が何も無い人間だったね。
周りには自分を心配する人もいない、出来ると言ってくれる人もいない。
それがずっと続いて、生きる気力もまったく無くなって、21歳になり、「もう死んでしまおう」と思ったら・・・
その生きるか死ぬかの想いの中で、心から湧きでてきた言葉
「自分でやれ」
この言葉で、それからは、止まることなく詩人の人生を生かされてきた。」
と話してくれました。
詩人として歩き始めた須永博士が、初めて作った詩集がこちらです。
「小さな夢の詩集」まだ、第2集を作ることも考えてなかったのでしょうね。「第1集」と入ってありません。
本編の最初のページです
須永博士の原点「小さな夢」
絵も、今とタッチが違いますね。
今日は大サービスで、初版の「小さな夢の詩集」をアップしました。
この詩集が発行されたのは昭和47年、1972年3月。
今から46年前!須永博士が第一回目の個展をしてから6年後の事なんですね。
須永博士の年齢でいうと、30歳の時・・・
生きることにも絶望した21歳の時からこの詩集を発行するまでの事を、また詳しく聞いてみたくなりました
また、この続きを書きますね・・・
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現在の「小さな夢の詩集 第1集」は、再編集して発行したものですので、こちらの詩集とは内容が異なります。
貴重な1冊です。
現在の「小さな夢の詩集」は、七賢出版から発行されてあります。
七賢出版 小さな夢の詩集