生きていると、いろいろなことがありますね。
だれでも、いつでも、「しあわせ」になりたいと思うのが普通で、いやな事やつらい事があれば、なるべく早く、そこから抜け出したい・・・。
でも、そう簡単にいかないこともあります。
そんな時、どうやって切り抜けて行けばいいんだろうか、
どうやって乗り越えてゆけばいいんだろうか・・・
悩んで悩んで、考えて考えて・・・
それでも出ない答えや結論もある。
例えばですが、そんな時、「流れにまかせる」のも、ひとつの方法ですし、
「思いっ切り方向転換をする」のも、いいかもしれない。。
その判断は、最後は自分でするしかない。
こんな詩に、励まされたり、背中を押されたりしながら、
やっぱり生きている限り、あきらめることなく「自分の人生」、満足いくように進んでいきたいですね。
先週、主人の父が75年の人生を終え、旅立ちましたが、なんだか不思議と、以前よりも近くに感じます。
昨年11月に、宮城県石巻へ行ったあと、
宮原敬助君とのご縁で「ハート to ハート 市民公開講座」へ行き、移植医療のことや、臓器提供のこと・・・
知らなかったことを、たくさん知ることができました。
その時のブログ
移植医療の素晴らしさや課題・・・いろいろな事をお聞きする中で、心に強く残っていた
救急医療現場で働く医師のお話しです。
そのことを書いた部分をもう一度紹介します。長いですが、良かったら読んで下さい。
「救急医療の現場で働く鹿野先生は、緊急搬送される患者さんを毎日毎日助ける努力をされていて……
救命救急に全力をそそぎながら、今は人工心臓で身体を動かす医療機器も性能も良くなり、延命はできる
でも、残されたわずかな時間
「看取る」
という医療がされていないとうったえていました。
日本人による、日本人のための、
「人を看取る」という医療……
って何なのでしょうか…
「脳死は、人の死ですか?」
様々な要因で、救急搬送されてくる現場で働く鹿野先生の話しは、本当に現実味があり、心にどんどん入ってきます。
脳死……
アンケートでは、脳死は人の死と思うという人は、1999年の調査で国民の73パーセントだったそうです。
ですが、実際にその場面に立つ人は、そうは思っていないんだと。
鹿野先生も、今も病院でたくさんのスタッフと、救命救急に全力を注ぎながら、なんとか命を助けようと、人工心肺蘇生法で生命を維持させる努力をしている。
でも、どんなにがんばっても、どんなに医学が発展しても、救えない命がある…
そうなった時
これからの限られた時間
医師は家族に、
「亡くなってしまうということの告知」
をしなければならない。
ここから大切なのが、
「看取りの医療」です。
鹿野先生の働く救急病院では、とても重要性を持って取り組んでいることを教えて下さいました。
例えば、
髪の毛を綺麗に洗ったり、髪を切ったり、
お化粧をしてあげたり、
ベッドごと外に出て、陽なたぼっこを家族としたり、
野球が好きだったお父さんに、野球のユニフォームを着せてあげたり…
ご家族に、残されたわずかな時間を、カメラに収めたりビデオを撮ったり、
お子さまの場合には、好きだったオモチャや、絵本を持ってきて、絵本を読んであげたり…
そのご家族の方々の了承を得た上での実際の写真には、もう胸がいっぱいで、涙がぼろぼろこぼれました。
ですが、写真のご家族は、笑顔なんです。
あと数日、あと数時間しか生きられない、今は呼吸器と人工心肺蘇生装置で生きているが、医師はあとどのくらいという事は経験からわかっている。
だからこそ、その時間を大切に過ごすこと
できる限りのことを、何ができるのかを、この病院の先生方やスタッフのみなさんは日々考え、実践されているのでした…。」
そう、この時に聞いたことが、私の心にあり、主人の父がもうわずかな時間しか残されていないと分かった時、「後悔したくない、主人にも子供達にも後悔させたくない」という気持ちが強く働き、そして過ごした一日がありました。
お別れの瞬間まで、一緒に時間を過ごそう。ここまでがんばってきた義父に、感謝の気持ちを伝えよう、しっかり手を握り続けよう。話し続けよう。
笑顔で話しかけよう。
そう意識することができ、子供達もおじいちゃんとの別れのあと、「じいちゃん、ほんとうによくがんばったね。」と7歳の娘がお姉ちゃん、お兄ちゃんに言いました。
その言葉が出たことが、私は嬉しかった・・・。
今思うことは、「生きているこの瞬間瞬間を一生懸命、そして無理なく生きる事」が大切だなぁ・・・と、
後ろを振り返るよりも、前を向いて歩いてゆきたい。
だれかを悪く思うよりも、その人の良いところをみて接したい。
・・・また、長々とすみません。読んでくださってありがとうございます。