2023年 令和5年 カレンダーの予約受付を開始いたします!
発送は 2022年11月10日ごろからを予定しています。
全て、須永博士の直筆サインをお書きしてからお届けいたします。
ご予約お待ちしております!
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発送は 2022年11月10日ごろからを予定しています。
全て、須永博士の直筆サインをお書きしてからお届けいたします。
ご予約お待ちしております!
「母は13年前に他界しましたが、持病で自由に体を動かすことができない晩年に
須永様のこの「しあわせ」を見ていると
不自由な私にもしあわせな時がある、と励まされるのよ
と話していたことを思い出します。」
このメールをいただき、須永博士の詩をこんなふうに思ってくださっていた事に胸が熱くなりました。
今日、これから須永博士美術館Webショップにこの作品を追加します💓
この作品と出逢った方が、心穏やかに、そして励まされると良いなと思います💓
須永博士美術館webショップから購入できます。
このことを聞いた時、「この時が来たんだな。」と思いました。
驚くというよりもしょうこさんのこれまでの努力があるからこそ、「この時が来た」という感覚でした。
2022年10月5日に発行されます!!
しょうこさん、おめでとうございます!!本当にうれしいのと、読むのが楽しみなのと、多くの人に読んでもらいたいのと(これは私が願わなくても、もうすでに多くの方が楽しみに待っていますね)
しょうこさんが見てきた景色、しょうこさんしか、しょうこさんだから、見てきた景色
その景色、そして経験、努力、涙・・・すべて、しょうこさんの「生きる」決意があるからこそ。
今、多くの方がしょうこさんのYouTubeちゃんねる「しょうこちゃんねる」や、Instagramをみて勇気や元気、希望を感じるような生き方をしているけれど、その向こうにあるこれまでを、この本にどう書いてあるのかな。
しょうこさんに出逢ったときからまぶしいほどのオーラをずっとずっと感じてきていて、会うたびに新たな挑戦をしていて、須永博士も会うたびに驚かされていて・・・
まだまだ通過点のひとつという今回の本の出版なんだろうと思いますが、本当に本当に嬉しいです
しょうこさんと初めて会ったのは11年前の2011年9月20日
事故から8カ月がたったころの病院の一室でした。事故が無ければ東京の大学に進学していて卓球をしていたであろう時、しょうこさんはもう一度歩くためのリハビリを始めていた時でした。
その前に、事故から1ヶ月のころ、当時の担任の先生から連絡を頂き、詩をおくっていて、その時の詩が病室に飾ってありました。
病院に着いた時、しょうこさんはリハビリ中。行くことはお母さんだけが知っていてしょうこさんには内緒にしていて・・・
初めて対面した時のしょうこさんの笑顔が今も目に焼き付いています。
その時のことを、しょうこちゃんねるでも話してくださっています。
須永博士の知っているしょうこさんは、そこからの姿。「わたしは歩くんだ」という目標をずっと持ち続け、それだけでない挑戦を、車の運転、ウェブデザイナー、熊本をバリアフリーの街に!という活動「くまバリ」、
化粧品の開発(手に障がいがあっても使用しやすい「CREITきみわクリーム」)
個展も開き、
そして今は会社を立ち上げ、しょうこ社長に
それとそれと・・・
パンテーンのCMに出演、
・・・・・・・・
そんなしょうこさんの活躍、それと、須永博士が一番驚いて、心配のあまりいつもは励ますばかりなのが「やめたほうがいいんじゃないか」なんて言っていたのが
一人暮らし!
心配する須永博士をよそに、しょうこさんは自分の目標がまたひとつ実現したことをとてもうれしそうに話してくださいました。
そんなしょうこさんに昨年須永博士が書いた詩が
「不可能を可能にする」
本当に、しょうこさんから私たちが教わります。
初めて会ったあの日から、11年。これからのしょうこさんも、心から応援と尊敬と、そしていちファンとして、見守り続けたいです。
台風11号は、雨も風もそこまで吹かず、昨日は台風は過ぎた後の夕方、ひんやりと涼しくなりました。
今日も朝からさわやかです。
台風11号が九州に近づいてきています。
台風が近づくと、空の色が変わるように思います。
今朝6時の夜明け前です。
雲の流れが速くなっていました。
九州の左側 東シナ海側の天草や長崎の方を日本海側に北北東に進む見込みとのことです。
今は、嵐の前の静けさ…を感じます。
まだ風もそよそよ・・・という感じです。
こんな日は、カレンダー編集作業がはかどります。
きのうまた届いた原稿をスキャナーでパソコンに取り込んで、編集しています。
↑ここまで、夕方入力していました。
午後10時現在、風が時折強く吹くようになってきました。
明日は小国町の小、中、高校ともお休みになりました。
須永博士美術館も、火曜日でもともと休館日でしたので、またじっくりカレンダー編集をしようと思います☺️
停電になりませんように・・・😌
皆様も、お気をつけくださいね!!
2023年 令和5年のカレンダーのタイトルが決まり、東京にいる須永博士と、ここ熊本の須永博士美術館と、東京スタッフの安藤とで話し合いながら今は詩を選ぶことから始めています。
今日も、原稿が届きました。
須永博士がこの前電話で言っていたことを紹介します。
「高校3年の時に受験した大学3校全部不合格。家業の写真屋を手伝って資材の仕入れや配達の仕事をしていた時に、紹介で入ったタイヤの販売代理店で働き始めたけれど、営業の知識も経験も、それに人生体験も何もない自分に、タイヤが売れるわけがない。
会社ではしょっちゅう会議室でテーブルを囲んで、会議。会議では成績の発表もあって、自分よりも後に入ってきた大学卒の優秀な人がどんどん成績を上げて、自分はいつも最下位。
お前はダメだなぁ お前は役に立たない
そう言われてばかり。
会議なんて、それからしたこともないし、したくもない。」
と。その時の須永博士を思うと、胸が痛くなります。
「会議なんてしたくない。」
「話し合いは嫌だ。」
これまで、須永博士の講演会や展覧会の打ち合わせを任されるようになって、当然ですが話し合いは必要です。打ち合わせも綿密に、当日スムーズに進むよう、何か問題があった時のことも想定して、先方と話し合うことは社会で生きる上で大切なことなんだけど・・・
須永博士には、そのことがトラウマのようになっているままなんですね。
自分を否定されるのが怖いという思いは、何年たっても消えないもので・・・
そんな須永博士のスタッフとして一緒に旅につき始めた当初は、このことで悩んだことがたくさんありました。
打ち合わせで決まったことや、主催者さん側の要望は須永博士に事前に伝えても、当日まったく違う行動をしてしまって・・・
まだ若かった私には対処の方法が分からず、慌てるばかりでした。
毎回毎回、須永博士の想いや直感で動くので、それについていくのが精いっぱい。
でも、やっとやっと10年が過ぎてくらいかな…須永博士がどうしてそういう行動をするのかが少しづつ分かるようになり、
主催者さん側にも、そのことを伝えてお互いが理解できるように、当日の動きの想定もできるようになってきました。
「目の前の人を全身全霊で喜ばせたい。」
「命がけで、伝えたい。」
高校を卒業してから就職した会社では、決まったことをすることが求められ、それが出来ないで、人の言葉、人の目線が怖くて、生きているのもつらい状況にまでなったけれど、
この詩人と絵描きを目指す人生を始めてからは、ただひたすら、がむしゃらに、自分の力で生きていくと決めて歩き続けてきた。
だれが何と言おうと、自分の信念をつらぬきたい。
その思いで、展覧会も講演会も、自分の作りたいように自分の語りたいようにしてきました。
今は須永博士自身が皆様に会いに行くことが出来ないけれど、これからもこのブログで
旅の中で作ってきた詩や、須永博士が語ってきたことを少しずつでもお伝えできればなと思います。
久しぶりに2日続けてブログの編集画面を開いています。
最近は、昨日も書いたようにInstagramに携帯から更新することがほとんどで、気軽に投稿できてしまうけれど
ブログは私は基本パソコンから入力するので仕事の合間に・・・といつもしていたのですが最近はその行動をすることを忘れていたような。
でもこのブログにはこれまでの須永博士講演会や展覧会のことも載せてあったり、Instagramよりも深くかけることろが良いところでもありますね。
その良さを、再度思い返し、ブログを更新する時間を持ちたいと思いました。
今日も須永博士と電話をして、
「今、本当にみんな元気が欲しいと思っているよね。自分もだけど、盛り上がる出来事や、話を聞くと自分のテンションも上がる。
もう自分は、詩も絵も書きつくしてきた。しょうこに原稿は送ってきた。
それをどんどん皆さんに見せてね。」
と言っていました。
本当に今、私のパソコンの周りは届いた原稿の山になっています。
来年のカレンダーに、どの詩を使おうか、どの絵を入れようか・・・
使って下さる皆様の2023年のしあわせを願いながら、そしてこのカレンダーの詩を見て元気や勇気や、希望が湧いてくるような
毎年ですが、そう思いながら制作しています。
まだまだスタートしたところですが、カレンダータイトルが決まりました。
2023年 令和5年 須永博士カレンダーのタイトルは
「心の原点」
このタイトルを決めた背景には、「須永博士の原点」を探ることがありました。
須永博士は今年2月11日で80歳になりました。
80年、この世を生きてきて、この詩人と絵描きの人生を歩んできて、いままでしてきたことの根本になるもの、心の原点となるものは何なのだろうか・・・。と、これまで須永博士が書いてきたもの、届いた手紙やファックス、資料、原稿の数々を6月ごろからずっとずっと読み続けてきました。
病や、大切な人との死別、事件、事故、人間関係、一言では言い表せない壮絶な人生を生きている人と出逢い、向き合い、その人の「生きる支え」となるような言葉を須永博士自身ももがきながら、苦しみながら、心から絞り出すように書いてきたことが分かりました。
わたしが須永博士の旅について生きようになったのは須永博士が50歳を過ぎたころで、「もうどんな人に逢っても詩は書ける」というところまで来ていました。
でも、もっとその前、20代の旅を始めたころ~40代前半のころは、ものすごいスケジュールで日本中を展覧会や放浪の旅をして、出逢う人に全身全霊で、その人の救いになるような、その人の心の支えになるような詩を書いて書いて書きまくって、それでも書き足りなくて、自分の力の無さに悔しい思いをしたり・・・
その繰り返し、でも、須永博士自身は後ろを振りかえることなく、ひたすら前へ前へと旅を、自分の人生を歩んできました。
たくさんの資料や原稿の中から、この文章を見つけた時、
「これだ!」と思い、須永博士に連絡しました。それが、1983年5月に発行した「心の出逢い新聞」の一番最後に書いてあった言葉でした。
「これからも人間や自然が持っていなければならない"心の原点"をさがしながら旅をつづけます。
あなた、人生頑張って。」
長い長いメッセージのような詩を載せたこの新聞を締めくくるように書いた言葉ですが、
「そうだ、誰でも、大切にしたい心の原点はあるんだ。
生きてゆく中でいろいろな経験、挫折、失敗、困難があろうと
大切にしたい「心の原点」は何なのか
を自分自身で思い出し、意識して生きることで、
起きる出来事にもくじけず、勇気や希望を持ち続けてゆけるんじゃないか
須永博士は、詩を書くことで、その人の持っている心の原点に気づかせるような詩を書いてきたことで、
その人が持っている本来の力を引き出してきたんじゃないか・・・」と考えました。
それを須永博士に伝えると、
「いいね!心の原点!!
タイトル文字を書いて送るから待っててね!」と、そこからカレンダー製作がスタートしています。
毎年、一番初めにタイトルを決めて、それから内容を選んでゆくのですが、
「心の原点」とタイトルを決めてから須永博士からまた、どんどん新しい詩も届いています。
まだまだ選んでいる段階なのですが、次回はその詩を少し紹介しますね。