以前、ここでも書いたことがありました私の姉のことです
1年2ヶ月前・・・
昨年の2月に突然、急性リンパ性白血病を発症し、大変な治療をしてきた姉が・・・
昨日、所属していたバレーボールチームでの大会で、選手では無く「監督」として初デビューしました
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昨年は、ほんとにほんとに大変だった・・・。
昨年1月末のバレーボールの大会後、「腰が痛くて・・・。」「太ももの付け根が痛い・・・。」と言っていました。
もう若くないね。筋肉痛がひどいのかね・・・
なんて話していたけれど、3週間が過ぎても治るどころかどんどん痛みが増すばかりで・・・
2月21日に病院で血液検査をしたら、「大変なことが起きてます。すぐに輸血をしなければ」と緊急入院になり、それから5日後私にきたメールには
「全部ダメじゃん
全部・・・
あとはしょうこにがんばってもらうしかないから
よろしくね。」
と、それからいろいろ予定を立てていることがあったんだけど、その時は「全部ダメじゃん」という絶望のふちに姉も私達家族も立っていました。
でも、それからの日々はすごかった。
姉の精神力、気力、姉の家族の一致団結
それに所属していたバレーボールのチームメイトの大きな心の支え
もちろんお医者さん、看護師さんが姉の治療に全力で携わってくださり、
「私じゃ耐えられないだろうなぁ」というきつい治療をひとつひとつ乗り越えてきました。
骨髄移植が必要で、私達きょうだい5人いますのでみんなでHLA検査というものをしました。
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HLA検査・・・
HLA研究所より
HLA(Human Leukocyte Antigen=ヒト白血球抗原)は1954年、白血球の血液型として発見され、頭文字をとってこう呼ばれてきました。しかし、発見から半世紀以上を経て、HLAは白血球だけにあるのではなく、ほぼすべての細胞と体液に分布していて、組織適合性抗原(ヒトの免疫に関わる重要な分子)として働いていることが明らかになりました。
HLAは両親からその半分ずつを受け継ぐため、親子や兄弟の間でも一致する確率は低く、まして非血縁間では数百~数万分の1の確率でしか一致しないといわれています。
造血幹細胞移植や臓器移植では、自分のHLAのタイプに合わないものはすべて異物と認識して攻撃を始めてしまうため、HLAの適合性が重要視されます。
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骨髄移植に必要な検査で、私達祈る思いで、「合いますように・・・」と検査しました。
結果は、5人の中で、姉ともう1人の姉、そして弟が6つの型が一致
これも、ものすごい確率なんです
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5人中3人が同じって・・・。
私と妹は2つしか合わなかったから移植はできない。見守ること、応援することしかできないもどかしさもあったけれど、弟が移植者に決まり、その日まで姉も弟も無事に迎えられることを祈る日々でした。
約3ヵ月の抗がん剤治療を経て、6月12日、いよいよ弟の細胞を移植。
提供した弟もその前に2泊3日入院し、血液中の数値を上げる処置をしてからの採取。これも健康で元気な人でないと出来ないことなんですね。
お医者さんからは「いいのが取れました」と言ってもらえるほど、満足いくもの
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が取れたそうでした。
「移植」は、いつもの病室で、ベットの上で点滴のように体内に入れていくというもので、40分ほどで終わってしまうものだったそうです。
ですが・・・移植前の2日間は抗がん剤の大量投与、そして放射線の全身照射という、言葉に書いてもドキドキしちゃうことを姉の身体全身にして、自分のちからでは血液をつくりだせない状態にしての移植。
身体に負担が無い訳が無い状態、どんなにきついものなんだろうか・・・。
それでも姉は、まったく恐れることなく、自分の身体に挑んでいる!というような感じでした。
「ここからが またまた勝負!!
とにかくがんばってみます。」
と、その言葉に逆に不安でたまらない私たちが励まされているような感じでした。
ほんとに、ここからの日々は、さすがの姉でも弱音を言ってしまう時もあるくらい、きつい状態(だって、自分の身体に100%別の人の血液が入るんですからね。)でした。
でも、
「がんばれ わたしのからだ
がんばれ ○○(弟)の細胞」
とメールくれて、移植後の免疫反応で手の平、足が腫れたり、斑点が出たり、熱が出たり・・
ものすごく大変だったのに、
「これが免疫反応の痛さなら、喜んで受け入れるよ!!」って言ってました。
ほんとにすごいです。
闘病中のこと、話したらまだまだ・・・まだまだ時間がかかるので、この辺にしておきますが、それから今日まで、「今日一日を生きる」がテーマの姉、強いです。
抜けた髪の毛も、しっかりと生えてきて、感染症などには気をつけながらも日常生活は出来ています。
バレーボールがしたい。それが目標の姉ですが、先日
「4月14日、監督デビューするんだ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/onpu.gif)
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」と電話が
え!?監督?
と聞いたら、所属しているチームの監督が3月末で辞めることになり、まだまだプレイはできない姉が急遽することになったそうなんです。
聞いたとき、すぐにブログに書きたかったけれど
「待ってね、その日、監督として立つことができてからね、写真送るから
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まずは、そこに立つことが目標だから
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」と言われてました。
そしてそして・・・
昨日夜、メールが来ました
輪の中の赤いTシャツが姉です
マスクは手放せない、いろいろ制限もある日常のなかでも、こんな姿が見れる日がくるなんて
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この写真も、宝物です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
監督デビューの大会は、チームの結束で2連勝することができたそうです
コートの中でアタッカーとして立っていたからこそ分かることがある。
コートの外だから見えることがある。
監督として自分が立つなんて思ったこともなかったという姉。でも、ここが今の姉のポジションなんだなと思いました。
闘病中も、姉の復活を待ってこんな贈り物をくださったチームのみなさん。
このボールをいつも大切にしていた姉。
昨日は本当に記念すべき日でした
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この写メをみて、私が姉に返信したメール
「めちゃくちゃ嬉しい!!
写真見て感動の涙が出るよ!
ほんと、おっきな山を乗り越えてきた姉が、ここに立っていることが本当にすごい
誰もができることじゃない。
あたしなら絶対に出来ない。
やれと言われてもできない。
それが、姉のポジションなんだね。
あたしも、あたしのポジションをがんばらなくちゃと思ったよ。」
今、自分が立っている場所をみれば、きっと、悩んだり悔やんだり落ち込んだりしたとしても
その場所が自分に与えられたポジションなんだから、ただ一生懸命に努力し続ければいい。
あせらず無理せず、一歩づつ・・・。
姉の人生から、また教わりました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_zzz.gif)