
コスモスの花(東京都小金井市)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
「人間、ピンチの時に差が出ます」。
こう言われると、皆さんはいい印象、たとえばやる気が出たり自信を再認識するほうでしょうか!?
それとも、重たい印象、プレッシャーや無力感を感じるほうでしょうか!?
このような「厳しい状況が大好きです」とでも言わんばかりの言葉は、
精神的、心理的に成長したいという人、逆境を抜け出したいという人の心を捕らえて放しません。
同じ苦しみでも、そこに意味を見いだせれば、人間はなんとかやっていけるからです。
ところが、ただ激励をしたりポジティブな解釈を加えれば元気になれるかと言えばそうでもなく、受け取る側の心境では劇薬に変わってしまうことすらあるのです。
さきほどの「ピンチの時に差が出る」の例ひとつ取っても、
→自信や余裕があれば実力を発揮するチャンスだと思える
→気持ちが負けている中などで、自分の無力さを責めさいなむしかなくなる
と、全く同じ言葉でも、ポジティブに読むかそう受け取れないかで、
激励のつもりが、本人を追い詰めることにもなってしまいかねないのです。
だから、自己啓発本にしても、日常会話での激励にしても、
受け取る側の心境が、言葉や文脈の意味合いそのものを変えてしまうわけで、
「自己啓発本だからやる気が出るだろう」とか「激励したから自信を持って取り組んでくれるだろう」などという想像をするのは、安直以外の何物でもありません。
つまり、激励や前向きな言葉そのものを万能薬と思うこと自体がおかしいのです。
背中を押すのは同じでも、前にあるものは花畑か崖か。
これがわからない人がいるから、いわゆる体育会系の発想も誤解されてしまうのです。
「逆境で力を出すことに意義が…」と、解決策を精神的なものに求めることは、
たしかに逆境から抜け出すやり方の一つかもしれない。
でも、その「精神的なもの」すら使い果たしてしまった人に、なおもって「精神の問題です」と説くのは、
私は追い詰める以外の何物でもないと思うんです。
激励はあくまで生きる活力を生み出すためのもので、
それで元気が出ないなら、無力感が増幅するなら、
いくら素敵な激励でも、素晴らしい言葉でも、受け取る必要なんてどこにもないのです。
まずは、生き抜くこと。
どんな状態であれ、どんなに成長する気持ちがあれ、
生き抜く意欲を自分からいたずらに削ることはありません。
生き抜くとは「息抜く」とも読めますが、「前向きが全てじゃないよ、気楽にやろうよ」という教えがあるように思えるのも、
あながち偶然ではないと思うのです。
心にムチを打たなくても、死に物狂いな覚悟がなくても、
無理をして全てをなくすよりずっといいのです。
もう一度言いますが、大切なのは、生き抜くことなのです。