青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

偏頭痛のツボがわかりました!!

2011年11月21日 23時33分32秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 昨日は昼過ぎから、偏頭痛に見舞われました。
 持ち合わせの薬を飲んでも効果が微妙だったので、わらにもすがる勢いで調べたところ、
 なんと、手の平にツボがあることが判明しました!!


 「合谷(ごうこく)」といって、ちょうど写真の天然石のあたりです。
 どうも効いたようで、夜には治ってました。
 ということは、逆算をして普段から揉んでほぐしておけば怖くないんですかねえ。

 やります、やってみます。

自分は自分。

2011年11月21日 21時19分42秒 | 青裸々日記。
バラの花(東京都文京区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 人間には個性があり、得意不得意もあります。
 …ということは、それぞれの能力にも差があることも、ごく当たり前の話ですよね。
 作曲が得意な人もいれば、野球が得意な人もいるし、
 あるいは「飛び抜けた能力はなくても、能力のバランスが良くていろいろなことが出来る」という人だっているでしょう。


 逆に言えば、出来ないことや苦手なこと、至らない分野があるのも当たり前のことなのです。
 「なんで私はあの人のようにものをこなせないんだろう」と思い悩んだり、ひどい場合だと自分を責めてしまうこともあるわけですが、
 よくよく考えれば、誰しも苦手なことがある以上、誰しも劣等感や罪悪感に駆られることがあるわけです。
 つまり、自分だけが苦手なことで苦しんでいるわけではないと知れば、
 くすぶったりまどろむことも少なくなるのではないでしょうか。
 電卓にWindowsをインストールできないように、
 苦手は苦手、能力がないものはない。
 だからといってそこで手を抜かなければ、結果についてはもう仕方がないと思うのです。


 ただ、「人間には無限大の可能性がある」ということも言われています。
 それだけに、「苦手ですから、すいません」では済まされないことがあるかもわからない。
 ただでさえ苦手なことをやるのは労力がいるのに、
 「やればできるよ」とまで言われると、立ち向かっていることが苦手なほど、脅迫めいた意味合いで聞こえてしまうものです。


 しかし、そんな言葉は無視するに限ります。

 「やればできる」という言葉は前向きなようでいて、実は全然前向きな言葉ではないのです。
 なぜなら、「やればできる」というのは、理屈っぽく言えば「出来なかった場合は取り組んでいないことになる」と決め付けているも同然だからです。
 「取り掛かろうとした努力」や「結果を出しにいく気持ち」を評価する目が、そこにはまるでないからです。

 苦手なことをやるということは、上手くいかないことが多いということです。
 ということは、上手くいかなことで自分を責めやすくなっていることがどうしても多くなる。
 そこに「もしかしたらできるかも」と言ったところで、果たしてどれだけの人が元気になるというのでしょうか。



 人間、全力を出しても苦手なままのものはあるものです
 諦めがつくまでやったら、あとは「全力を出してますから、これで結構です」と、あっけらかんと開き直っていい
 「やればできる」という話だって、全力を出してだんだん出来るようになるから言えるわけで、
 結果を急ぐために言う言葉ではない
のです。


 自分は自分、苦手な場面だけ他人になるなんて、絶対にできません。
 他人になれないなら、自分の出来ることを全力でやるだけ

 ということです。

深大寺の紅葉

2011年11月21日 05時23分32秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 昨日は調布の深大寺に参拝してきました。

 深大寺のあたりは山奥のように自然が残っており、緑豊かな場所です。
 今日はその深大寺から、美しいグラデーションをどうぞ。


 毎日精一杯で力の限りに生きている感じですが、文章ともども、今後もがんばっていきます。

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