江ノ島展望台(神奈川県藤沢市)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
世の中には「常識」や「当たり前」と言われるものが溢れかえっています。
しかし、その「常識」や「当たり前」は、人によっても違うことが多いのが現実です。
たとえば、「エスカレーターの左右どちらを開けるか」ということがよく話題になりますが、
東京は右、大阪は左を開けるのが「当たり前」とされています。
そしてまた、東京では左、大阪では右でボーッと立っている人には、
「どうかしている。理解できない」と後ろ指をさされてしまうのです。
たとえそれが悪気がなくても、知識や風習を知らなくても、です。
さて。
この「どうかしている。理解できない」という言葉、日常でよく耳にしたり、あるいは自分で口にしたりはしないでしょうか!?
素行が悪かったり、人を傷つけるようなことを平気でやったり、
こういう「迷惑」を感じる人に対して、「意味がわからない」などと思ったり、うそぶいてしまうこと、
なにかとあると思うんですね。
これ実は、「やっている側が悪いとわかっていない」とか「生まれてこのかた、どこでもそうやってきた」ということがほとんどなのです。
つまり、悪気を持って、「悪い」とわかってやっているとは限らない、
こういうことが言えるわけです。
そこを「理解できない」と言うのは無理もない話ではあります。
しかし、相手の育ってきた環境や相手が築き上げてきた価値観は、相手の都合でしかないのです。
つまり、「理解してはいけない」ということだってあるのです。
「悪い」とわからないのですから、やらせておくのが一番。
いちいち「相手の立場に立って…」とかやっていたら、頭が狂ってしまいます。
相手を理解することは、人間関係を育てる上で欠かせない要素のひとつです。
しかし、100%理解できないことだってある。
理解しようとしてもできないことを、なおもって理解しようというのは、
はなはだ無理な話というものではないでしょうか!?
また同時に、自分の「常識」も、自分が作り上げている部分もあるわけです。
そしてまた、他人からは「相手の都合だ」とばかりに、良し悪しを計ってもらえないこともあるのです。
だからこそ、理解できない人を理解しない代わりに、自分を省みること、
同じエネルギーなら、こちらのほうがよい気がしませんか。
そうやって自分自身が自分のよき理解者になるほど、人とも上手くやれるのです。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
世の中には「常識」や「当たり前」と言われるものが溢れかえっています。
しかし、その「常識」や「当たり前」は、人によっても違うことが多いのが現実です。
たとえば、「エスカレーターの左右どちらを開けるか」ということがよく話題になりますが、
東京は右、大阪は左を開けるのが「当たり前」とされています。
そしてまた、東京では左、大阪では右でボーッと立っている人には、
「どうかしている。理解できない」と後ろ指をさされてしまうのです。
たとえそれが悪気がなくても、知識や風習を知らなくても、です。
さて。
この「どうかしている。理解できない」という言葉、日常でよく耳にしたり、あるいは自分で口にしたりはしないでしょうか!?
素行が悪かったり、人を傷つけるようなことを平気でやったり、
こういう「迷惑」を感じる人に対して、「意味がわからない」などと思ったり、うそぶいてしまうこと、
なにかとあると思うんですね。
これ実は、「やっている側が悪いとわかっていない」とか「生まれてこのかた、どこでもそうやってきた」ということがほとんどなのです。
つまり、悪気を持って、「悪い」とわかってやっているとは限らない、
こういうことが言えるわけです。
そこを「理解できない」と言うのは無理もない話ではあります。
しかし、相手の育ってきた環境や相手が築き上げてきた価値観は、相手の都合でしかないのです。
つまり、「理解してはいけない」ということだってあるのです。
「悪い」とわからないのですから、やらせておくのが一番。
いちいち「相手の立場に立って…」とかやっていたら、頭が狂ってしまいます。
相手を理解することは、人間関係を育てる上で欠かせない要素のひとつです。
しかし、100%理解できないことだってある。
理解しようとしてもできないことを、なおもって理解しようというのは、
はなはだ無理な話というものではないでしょうか!?
また同時に、自分の「常識」も、自分が作り上げている部分もあるわけです。
そしてまた、他人からは「相手の都合だ」とばかりに、良し悪しを計ってもらえないこともあるのです。
だからこそ、理解できない人を理解しない代わりに、自分を省みること、
同じエネルギーなら、こちらのほうがよい気がしませんか。
そうやって自分自身が自分のよき理解者になるほど、人とも上手くやれるのです。