北欧スウェーデンの生き方、考え方・・・なんかを楽しく伝えたい
でも今回は、ただのエッセイです。あ、いつもか・・・
今回の画像は、全てイメージ画像です。
内容とはほぼ関係ない・・・
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自慢じゃないが、学生時代から英語が1番の苦手。
だから、実力がない。
なにしろ、ン十年前、新婚旅行にヨーロッパ個人旅行をした時、ホテルの予約をするのに
「昨日、部屋は、ありますか」
と訳のわからないことを言っていたくらいである。
昨日や明日、彼や彼女、右や左なんてのは、会話の途中しょっちゅう間違える。
スウェーデン後でも「Vi ses p? lordag」(土曜日に会いましょう)というのが、
ちょっと間違えて「Vi ses I lada」と聞こえたらしく、笑われた。
「箱の中で会いましょう」という意味になってしまっていたのだ。
でも、文法や正しい言葉遣いにこだわっていると、会話はできない。
無口になってしまう。
書くのや読むのはともかく、話すために必要なのは、「恥知らず」な気持ちと「度胸」だと思っている。
それを新聞で、ロシア語通訳の梅原さんが「会話の適正は好奇心」と書いていた。
もちろん、単語を知っていると便利である。
一言で伝わる。
知らないと
「ほら、手紙とか葉書とか郵便屋さんが持ってきて、入れるアレ」
「ああ、郵便受けね」みたいな会話に、お互いほとほと疲れる。
そこで必要なのは、学歴ではない。
推理力と、洞察力である。
これは、才能もあるようだが、人生経験というのも大きく作用するようで、
私の母は、英語は全くわからないのに、レストランでボーイが話した内容を
「今、あの人、食事はセルフサービスになっているから、あそこへ行って、
好きなものをとってきなさいって言ったんじゃないの」
などと、完璧な訳を披露してくれたりする。
もちろん、勘で会話をしていると失敗も多い。
夫は、学生時代、貧乏旅行でヨーロッパを回った経験がある。
空腹と疲れで、安い店を探す余裕もなく入ったレストランでメニューを見て愕然とした。
フランス語のメニューに簡単な英語の説明だったのだ。
メニューの単語は馴染みが薄いせいもあってただでさえわかりにくい。
ボーイに聞くにも会話力も足りない。
仕方なしに、別々の項目から自分の予算で払えそうな金額のものをひとつずつ指差した。
項目を分ければ、例えば、肉と魚とか、サラダとメインディッシュとか違うものが食べられるだろうと思ったのだ。
ボーイが他の注文はないかと尋ねる。
「それだけで、十分」と答える。
ボーイが下がる。
しかし、もう一度やってきて、メニューを見せ「他に注文はないか」と尋ねる。
「それだけでいい」「本当にいいのか」と念を押すボーイ。
しつこい店だなと少し怒りを込めて、夫はきっぱり
「それだけ!!」
不服そうな顔をしてボーイは下がっていった。
待ちに待った夫のところに出てきたのは、赤と白のワインが一本ずつだった。
見ていたのは、ワインリストだったのである。
しかし、予算に限りのある夫は、ギョッとしながらも平然と、俺はワインが好きなのだという顔をして、
もったいないので、二本とも飲み干し、空きっ腹を抱えて、レストランを出ていったのであった。
もちろんその夜の夕食はそれだけ。
夫の過去の話の中で最も好きなものの一つである。
こどもは英語をすぐ覚えるからというのはよく言われるが、必ずしも本当とは限らない。
スウェーデンに2、3年住んでいてもほとんど喋れないで帰国する子供もいる。
大人は、もっと顕著である。
もし、ここが、スウェーデンではなく、ドイツとかフランスだったらもっと熱心に言葉を勉強しているかもしれない。
スウェーデン語を勉強しても、あまり役に立たないのではないかという気持ちがブレーキをかけるのだ。
なんていう話を日本人の大人同士で話をしていたら、横で聞いていた小学生の娘に、
「たった一人の友達と話すためだけでも、スウェーデン語は、役に立つんだよ」
とたしなめられた。
スウェーデン語どころか、英語もわからない娘は、学校で、コミュニケーションをとるのに頑張っているのだ。
はい、そのとおりです。
世界中で一番語学に才能のない国民は?というジョークがある。
正解は、英語を話す国の人々。
他の言葉を学ぶ意味がないのだ。
みんなが、英語を話そうとしてくれるから。
イギリスにいた頃、日本によく出張するイギリス人と夕食をともにしたことがある。
「日本人は、みんな、すぐに、イエスイエスと笑顔で言う」と彼。
「日光に行きたいのだけど。イエス。免税品が買いたいんだけど。イエス。
ちょっとからかって、猫が食べたいんだけどと言ったら、それにもやっぱりにっこりイエスっていわれたよ」
同席の一同で、大笑い。
しかし、そのあとで、無性に腹が立ってきた。
あんたたちが、日本語を話せないから、日本人は頑張って、うまくもない英語を一生懸命話しているんじゃないか。
笑う前に、努力してみろっ!!
そこへ行くとスウェーデン人は偉い。
スウェーデンで生活しているんだから、スウェーデン語勉強して、自分でなんとかしなさいよとビシッとしている。
そこにいる数少ない外国人に合わせて、英語を使うなんてことはない。英語で話しかければ、英語で答えるけど、
スウェーデン語では、わからないので、英語で返事をください。という手紙の返事をビシッとスウェーデン語で、よこしたりする。
意地悪なんじゃないかと思えるほど。
先日、日本に帰国した会社の同僚は、
「日本に帰ったら俺の番だ。出張に来たスウェーデン人に日本語話せといってやる」
と嬉しそうに語っていた。
だいぶ前に、当時の大臣が、日本も公用語を英語にしたらどうかと提案したことがあった。
インターネットなどでも英語は必須なので、それは、良い考えのように見える。
でも、私は反対。
外国語で話そうとすると、どうしても訳しきれない言葉がたくさんあることに気づく。
それは、言葉を知らないからではなく(もちろんそれもあるのだが)、訳そうとする文化が、相手にないから。
例えば、よく言われる例だが「つまらないものですが、おひとつ」なんて訳はない。
訳したら、つまらないものをなぜくれるのだ。一つって言って、三つ入っているじゃないか。ということになる。
日本の実家に、外国人を止めた時、母がしきりと気を使って、
「私が見た限りでは、ちょうど良い温度だと思うんだけど、もし、熱かったり冷たかったりしたら言ってくださいねって伝えて」
とお風呂の前で、私にせっつく。
お風呂に入っている英語国民にそれをそのまま訳して声をかけたら、何か特別なことが起こったかと誤解されそう。
彼らは、熱かったら熱いというし、寒かったら寒いという。遠慮して言わないなんてことはない。
そして、その訳しきれないところに、日本がだんだん忘れつつある日本の文化の真髄があるような気がしてならないのだ。
それを何も急いで英語思考に変えてしまわなくてもいいじゃないですか。
そのうち、世代が変わって、日本人が、完全に欧米人的思考をするようになったら、
公用語にしなくたって英語が上手になるような気もするし。
という訳で、純粋な古き良き日本人の私が、英語がうまくならない理由はそこにあるのでした(と言っておこう)。
さて、我が家では、娘のスウェーデン語が一番上手である。
生活の中で身につけているので、まず、強調言葉から覚えるのは仕方がないのだろう。
「あぶない、どいて!」「なにいっているのよぉ!」「やめてよっ!」
担任が、「本人は悪い言葉使いだと知らないで使っているのでしょうけどね」と苦笑いしていた。
だんだん、思考もスウェーデン人化してきて
「お母さん。そのことについては、一回叱られたんだから、もういいでしょ」
なんてきっぱりしてきた。
日本で育てた方がよかったかな~~
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今回の内容はほぼ週刊メールマガジンと同じです。
次回は
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