ヒエ~
このところの、新規のご相談があまりに多くて、ご迷惑をおかけしています。
できることなら、せっかくうちのステーションを選んで頂いたのですから、何としてでもお受けしたいのですが、さすがにスケジュールに空きが無くなってしまいました。
こういう波は幾度となく来ますが、このところずっと続いています。
ですから「1週間毎日訪問」とか、「この曜日とこの曜日の○時にお願いします。」とか言うのは絶対に無理なんです。
「人は絶対に変えないで。」とかも無理なんです。
それでもなんでも時間をぬって、私の訪問も増えて行き、「居宅の整理がなかなかできないー。」と泣きながら、一日中走り回っています。
そして、今日は午前中の訪問のあと、三つ境商店街の奥にあるお店での前で、車が勝手に止まりました。(うそうそ)
「羽つきたいやき」買っていこう!!
今日から、今年初めての看護学生さんも来ている事だし、みんなで血糖値をあげて、元気を出さねばなりません。
おいしそう~!
低糖小倉餡入りはねつきタイ焼きです。
他にカスタードクリームとチョコレートとかもあります。
買って帰り、みんなを待たず、認定審査会のために一足早く頂きました。
パリパリの羽。たっぷりの粒あん。
おいしかったです~!
個人的に、白いタイ焼きより元祖タイ焼きの皮のほうが、香ばしくて好きです。
午後から久しぶりにゴリラさん(http://home.catv-yokohama.ne.jp/ee/gorilla/)に訪問でした。
ゴリラさんは、頚椎の4番という上位の頚損の患者さんですが、とてつもなくパワフルな人です。
動かせるのは、肩がごくわずかだけですが、ベットの上から長年タウン誌にエッセイを連載していたこともあります。
彼は、口に竹の棒を加えてパソコンを操作し、文章も書き、電話もかけます。
さらに口に筆も持ちかえて、みごな油絵も描きます。
(あいかわらず、リンク貼れないので、上記アドレス右クリックで飛んで下さい。)
この人もすごい人ですが、実はこのひとを支えるご家族がまたすごい人です。
ゴリラさんは実はお婿さんなので、嫁の家族と同居です。
で、何事にも動じない大らかな妻は毎日仕事に行き、日々の世話は嫁の母がやってきました。
今から約32年前に、結婚2年目に受傷してから今まで、嫁の母がいたからこそゴリラさんは、ここで自分の生活を確立することが出来たのです。
お母さんは言います。「この子がいるから頑張れる。○○は、私の生きがいなのよ。」と。
その割に、普段はかなり言いたい事を言いあって、けんか腰で話す事もあるくらいです。
でも、ほんとはお互いとても大切な存在です。
お母さんが具合が悪いと、ゴリラさんは「僕は後でいいから、お母さんを見てあげて下さいよ。」と真剣に言います。
お母さんは沖縄生まれのおおらかな人。
よく、無理やりお菓子とかを食べさせられました。
「ダイエット中だから、お母さん勘弁して!」と言っても、半分にわったカステラのかたまりを、半分私の口の中に、のこりをゴリラさんの口中にねじ込んだりして、「ああ、やめて下さいよ!」と最後まで言えずにもぐもぐしている私たちを見て、カラカラと笑っていました。
今は、だいぶ年を取り小さくなったゴリラのお母さん。
久しぶりにみたら、また小さくなっていました。
先日は、そごうの入り口の広場で、偶然にもゴリラさんに逢い、びっくりしました。
あの広場を、250キロほどある大きな電動車いすに乗ってゴリラがガ~と、移動してきました。
「○○さーん!」何度か呼ぶとその車椅子は、クルリと向きを変えて、私の方へガ~とちかずいてきます。
口元に、インカムのようにセンサーが付いていて、吹く息で操作できるんです。
もちろん一人で、ここまで来るのは無理なので、ボランティアさんも一緒です。
そんな風にして彼は、沖縄だろうがハワイだろうがどこでも行っておいしいものをたらふく食べてくるんです。
障害者と言う言葉を、彼からは感じません。
彼はとても自由ですし、ただ身体が動かないだけで、とても豊かな生活をしています。
かれは、介助は必要ですが、迷惑はかけません。
障害を持つ事を振りかざして、こころまで障害者になっている方に時々であいます。
彼は自分の可能性を、出来る限りの努力をして広げてきた人ですから、「やってもらってあたりまえ」と言う気持ちは持っていないのです。
今、彼はライフワークとして学校での講演を行ったり、絵を描いたり、執筆をしたりしています。
何が自由かは、身体が動くかによって決まるわけではない事を、彼は教えてくれます。
私にとっても大事な人生の先輩です。
どこかで、重戦車みたいな車いすに乗ったゴリラがいたら、それはかれです。
このところの、新規のご相談があまりに多くて、ご迷惑をおかけしています。
できることなら、せっかくうちのステーションを選んで頂いたのですから、何としてでもお受けしたいのですが、さすがにスケジュールに空きが無くなってしまいました。
こういう波は幾度となく来ますが、このところずっと続いています。
ですから「1週間毎日訪問」とか、「この曜日とこの曜日の○時にお願いします。」とか言うのは絶対に無理なんです。
「人は絶対に変えないで。」とかも無理なんです。
それでもなんでも時間をぬって、私の訪問も増えて行き、「居宅の整理がなかなかできないー。」と泣きながら、一日中走り回っています。
そして、今日は午前中の訪問のあと、三つ境商店街の奥にあるお店での前で、車が勝手に止まりました。(うそうそ)
「羽つきたいやき」買っていこう!!
今日から、今年初めての看護学生さんも来ている事だし、みんなで血糖値をあげて、元気を出さねばなりません。
おいしそう~!
低糖小倉餡入りはねつきタイ焼きです。
他にカスタードクリームとチョコレートとかもあります。
買って帰り、みんなを待たず、認定審査会のために一足早く頂きました。
パリパリの羽。たっぷりの粒あん。
おいしかったです~!
個人的に、白いタイ焼きより元祖タイ焼きの皮のほうが、香ばしくて好きです。
午後から久しぶりにゴリラさん(http://home.catv-yokohama.ne.jp/ee/gorilla/)に訪問でした。
ゴリラさんは、頚椎の4番という上位の頚損の患者さんですが、とてつもなくパワフルな人です。
動かせるのは、肩がごくわずかだけですが、ベットの上から長年タウン誌にエッセイを連載していたこともあります。
彼は、口に竹の棒を加えてパソコンを操作し、文章も書き、電話もかけます。
さらに口に筆も持ちかえて、みごな油絵も描きます。
(あいかわらず、リンク貼れないので、上記アドレス右クリックで飛んで下さい。)
この人もすごい人ですが、実はこのひとを支えるご家族がまたすごい人です。
ゴリラさんは実はお婿さんなので、嫁の家族と同居です。
で、何事にも動じない大らかな妻は毎日仕事に行き、日々の世話は嫁の母がやってきました。
今から約32年前に、結婚2年目に受傷してから今まで、嫁の母がいたからこそゴリラさんは、ここで自分の生活を確立することが出来たのです。
お母さんは言います。「この子がいるから頑張れる。○○は、私の生きがいなのよ。」と。
その割に、普段はかなり言いたい事を言いあって、けんか腰で話す事もあるくらいです。
でも、ほんとはお互いとても大切な存在です。
お母さんが具合が悪いと、ゴリラさんは「僕は後でいいから、お母さんを見てあげて下さいよ。」と真剣に言います。
お母さんは沖縄生まれのおおらかな人。
よく、無理やりお菓子とかを食べさせられました。
「ダイエット中だから、お母さん勘弁して!」と言っても、半分にわったカステラのかたまりを、半分私の口の中に、のこりをゴリラさんの口中にねじ込んだりして、「ああ、やめて下さいよ!」と最後まで言えずにもぐもぐしている私たちを見て、カラカラと笑っていました。
今は、だいぶ年を取り小さくなったゴリラのお母さん。
久しぶりにみたら、また小さくなっていました。
先日は、そごうの入り口の広場で、偶然にもゴリラさんに逢い、びっくりしました。
あの広場を、250キロほどある大きな電動車いすに乗ってゴリラがガ~と、移動してきました。
「○○さーん!」何度か呼ぶとその車椅子は、クルリと向きを変えて、私の方へガ~とちかずいてきます。
口元に、インカムのようにセンサーが付いていて、吹く息で操作できるんです。
もちろん一人で、ここまで来るのは無理なので、ボランティアさんも一緒です。
そんな風にして彼は、沖縄だろうがハワイだろうがどこでも行っておいしいものをたらふく食べてくるんです。
障害者と言う言葉を、彼からは感じません。
彼はとても自由ですし、ただ身体が動かないだけで、とても豊かな生活をしています。
かれは、介助は必要ですが、迷惑はかけません。
障害を持つ事を振りかざして、こころまで障害者になっている方に時々であいます。
彼は自分の可能性を、出来る限りの努力をして広げてきた人ですから、「やってもらってあたりまえ」と言う気持ちは持っていないのです。
今、彼はライフワークとして学校での講演を行ったり、絵を描いたり、執筆をしたりしています。
何が自由かは、身体が動くかによって決まるわけではない事を、彼は教えてくれます。
私にとっても大事な人生の先輩です。
どこかで、重戦車みたいな車いすに乗ったゴリラがいたら、それはかれです。
こしあんは、ものによりますが、やはり甘さは控えて頂いた方が・・・
きょうは涙無しに拝読出来ました。
そのお礼にこのありふれた唄が置き土産です。
http://www.youtube.com/watch?v=Mqm89KdJ9DM
【追伸】
餡は関東人でしたら『粒餡』だと信じて居ります。
『漉し餡』上品ぶってて駄目です。