MARUMUSHI

映画とかTwitterとかとか。

『サクラダリセット《前編》《後編》』

2021-09-02 00:04:07 | 映画日記
『サクラダリセット』を観た。

ありがちやけども、だからこそ安心して観てしまうというか。
「やっぱり、オッサンになったな」と思ってしまうというか。
黒島結菜さんは可愛いし。
ミッチーは絶妙に気持ち悪いし。若干、刑事貴族時代の水谷豊と動きがかぶるねんな。

だいたい言うことなしのできなんやけど、一個だけ気になるのは、能力をコピーする子だけ、なんであんなに気合がいるのか…メガネが曇るって、メガネをちょっと小馬鹿にしてるのかなって。他の能力者はサラッと能力使ってるんやけど、彼だけ…。
 

『空母いぶき』。

2021-08-28 20:58:29 | 映画日記
『空母いぶき』を観た。

不思議な映画だ。
日本は戦争はしない。そのための武力は持たない。だから軍隊をもたない。だが、自然法として自国を防衛することを誰も妨げることは出来ない。
専守防衛。それを具現化したものが自衛隊。
銃を握り銃口を向けても戦争のためには撃たない。戦争回避のためにだけ撃つ。
だから自衛官は常にギリギリのところで戦うことになる。

そこまでしても自衛隊の存在を認めない自国民がたくさんいる。
自衛軍にしたいという意見もある。
いずれにしても今後自衛隊は自衛隊のままでいられないのかもしれない。

自衛隊員は公務員だ。国家公務員で危険手当が付いているだけだったと思う。
公務員は政治的中立を命じられており、ただ憲法と法によってのみ行動する。
つまり、公務員は為政者の下で働く。そして為政者は政治家であり、政治家を選んでいるのは国民だ。
もし、自衛隊がギリギリの戦いを強いられているということは、国民がそうさせたということになる。

いぶきを含め日本側がその気になれば、敵を全て沈めることもできただろうし、楽だっただろう。だが、相手に報復感情をもたせてしまい、攻撃の理由を作ってしまえば、それは戦争になる。
戦争をすることは出来ない。してはならない。

戦後、軍隊の暴走を防ぐために文民統制が原則とされた。たしかに陸軍の肥大化が第二次大戦に繋がっていった。
だが陸軍の暴走を許したのは、文民だった。
日本で文民統制が上手く機能したことはない。
自衛隊は為政者が間違った判断をすれば、軍隊にもなるしただの壁になってしまうこともある。

自衛隊はグレーなままでいい。
黒白付けてしまうと、偏りができる。

【満島ひかり】 中島みゆき「ファイト」満島ひかりver.

2021-06-25 03:19:42 | 日記
【満島ひかり】 中島みゆき「ファイト」満島ひかりver.

応援のファイト!ではなく、闘えという意味の「ファイト」。
絶対に勝てない闘いを挑むときに使う歌。

闘え。
勝てなくても闘え。
自分と、世間と、恨んでも勝てない相手でも闘え。

僕たちが身にまとっているのは諦観だけだ。
脱ぎ捨てて闘え。

そこに何があるかはわからない。何もないかもしれない。
闘え。
闘え。
闘え。

闘え。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』。

2021-04-18 01:44:19 | 映画日記
1995年。世相で見ると阪神淡路大震災に始まり、地下鉄サリン事件に代表されるオウムの一連の騒ぎが毎日ワイドショーを騒がせていた。終末的で気味が悪く、それでいて「何か大きなことが起きるかもしれない!」と小学生だった僕は期待していた。 
そんな中、テレビシリーズの『新世紀エヴァンゲリオン』は放送された。停滞しているようで不安定な主人公はと死海文書、聖書といった設定はカッコよく映った。
ちょうどポケベル、携帯電話が普及しつつある時期(Win95も発売年)でもあり、知らない誰かと繋がるテレクラや円光のチラシで電柱はいっぱいだった。街が混沌としていてアングラに手を出すのは容易だった。ますます「終」の感じがあった。でも何も起こらなくて、中学は終わり、高専に僕は進学した。
そして、旧劇場版はとんでもない終わり方をした。
でもそれを知ったのは、僕が大人になってからだ。

そのころには世間は真綿で首を絞められるような日本になっていた。
希望がぼやけてくるような毎日。
そこに東日本大震災が起こった。この時からDSSチョーカーが僕たちの首につくことになった。
「一つになろう/頑張ろう日本!!」から外れればドカンだし、原発推進派は喋ったらドカン。指向性が違えば一気に一気に排除される。
そして、見えない繋がりは1995年とは比べ物にならないぐらい強くなり、オフ会という実際のつながりにまで発展できるようになった。

2020年。
コロナ災禍が生活に入り込んできた。
ネットを介した会議が行われるなど、「ちがうだろ…」という働き方改革がまず進み、学校が休校になり、電車の本数が減り、店が早く閉まり、日本は変わってしまった。
今度ばかりは、本当に世界が変わってしまった。
また、「終」が見えてきた。でも、僕は39歳になっていた。
「終」を期待として受け入れるには歳を取り過ぎた。もう、次の世代のことを考えなくてはいけない(独身だけれど)。
そして、『シン・エヴァンゲリオン』で全てのエヴァンゲリオンは終わった。
痛みと苦しさと楽しさ、自分の犯した罪、そして草の匂いを飲み込んで主人公は誰よりも優しくなった。
だから、痛みと苦しさと楽しさ、罪をすべて入った世界を創った。

僕らの世界もあと数年すれば彼の作った世界に似た世界になっていくんだろう。
そのとき言えるだろうか「ありがとう」と。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』。

2021-03-08 14:29:21 | 映画日記
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を観てきた。
ちょっと泣いたね…。

ありえた世界を望んだ父
ありえる世界を望んだ息子。
2人の世界を望んだ母。

虚数空間で2人の思いが交錯する。
総てを受け入れる、からっぽの父が作り出した作り物の世界で。

望んだとしても現実はできない。だが、望んでからでないと現実はできない。
虚構 vs. 現実。

さよなら。
総てのエヴァンゲリオン。

総てが叶った現実に進もう。