MARUMUSHI

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命日。

2007-11-09 01:32:27 | インポート
今日は母の命日。

去年の今頃、まだ俺は奈良にいた。
よっすぃ~さんと研究室で喋って、
原チャリ乗って自分の部屋に帰って、シャワー浴びて、焼き鳥をつまみに酒を飲もうとしてた時間だ。
はっきり覚えてる。

父から電話が入る。
出なくても、だいたいの用件は判った。
でも、出て、状況を聞いて駅に走って行った。
なかなかこないタクシーにイライラした。

タクシーの中では何をしてたんだろうか?はっきり覚えていない。
俺、ちゃんとタクシーに金払ったんだろうか?
2万円ぐらい渡したような気がする。

緑色の少しロートルな感じのエレベーターに乗った。
目的の階に着くと白色電球の暖かい光が目に入った。
母の病室に走った。廊下の一番奥の部屋だった。
ゆっくりとドアを開けた。
主治医と看護士、父と妹がいた。
妹は白いジャンパーを羽織っていた。
シューという音と液体のポコポコという音がしていた。
俺は、妹の横に立ち、母の手を取った。
まだ、手は温かかった。
「お母さん。来たよー」と俺は言った。
母は何の反応も示さなかった。
「もう、ほとんど脈は無いんだ」と父が言った。僕は頷いた。
「ありがとうな、お母さん」と俺は言った。そして、妹に母の手を預けた。
「じゃあ、お母さんを送ってあげよう」と父が言った。
「よろしいですか?」と主治医が言った。
僕は主治医を見た。何か、何か母を救う方法はないのか?と一瞬考えた。
主治医が母の脈を取り、瞳孔の反射を確認した。時計を見て、「私の時計で失礼します」と前置きをしてから、「11月9日、午前3時47分。ご臨終です」と頭を下げた。
「本当に、よく頑張ってくれたなぁ」と父が嗚咽しながら言った。

母につながっていた管や針が取られていく。俺はそれをぼんやりと見ていた。
「お風呂の準備をしてきますね」と看護士が行ってしまった。
俺は、母の左手を握り、撫でた。
ゆっくりと、でも確実に母の体温が逃げて行くのが分った。少しずつ冷たくなっていく。
俺は泣いた。
声を上げて、しゃくり上げて、みっともなく泣いた。
止められなかった。

はっきり覚えているのはここまでだ。
そこから、葬式まで自分がどう動いたか、何をしてたかあんまり覚えてない。






それから一年が経った。
俺は今、鬱病なんていう、最低でどうしようもなく情けない病気になってしまった。
就職して一年も経たない間にこのザマ。
全然進歩してない。
むしろ悪くなった。
普通に『死にたい』と思うようになった。
でも、自分で自分を傷つけるような度胸も無い。
どうしたらいいか分らない。