国連報告「地球は既に限界点」
この”限界点”という言葉は、若干ニュアンスが違う訳なような気がする。
英文のタイトルは
【UN warns environment is at tipping point】となっていて、tipping pointは臨界点と訳すほうが良いのではないかと思う(現に本文ではそういう表現になっている)。
まぁ、いずれにしても地球環境は、どう変わるかは諸説あれど、このままでは人間の活動が引き金となって大きく変わってしまうことにかわりは無いのだろう。
でも、あくまでそれは現在の地球環境が変化してしまい、特に人間に対して好ましくない状況になる、と言った意味での変化だ。
生物圏が大きく変わるとしても生命そのものがこの地球から消え去ってしまうことは無いだろう。新たな環境下に適した生物がそこにはきっといるはずだ。
だから、人間が今のままの暮らしを続け、その個体数を伸ばし続けていくと、どこかできっと人は絶滅する。
現在、世界人口は70億人。今からおよそ百年ぐらい前の頃には20億人だった。たった100年で人類は三倍以上に増えたことになる。
一方で、地球自体のリソースは一切増えていない。当たり前だ、基本的に地球は閉鎖系なのだから。
リソース不足になるのは当然だ。だから、このまま放っておけば、いつかはどんな形かは分からないけれど悲劇が世界を覆っていくだろう。
人は、全ての生物の中で唯一、死を知っている生物だといわれている。死は恐ろしい。それ以上の恐怖は無い。だから、その死を避ける。医療が発展し寿命が延び、さらに乳児の死亡率も低下した。
でも、それが良かったのかどうか?人道的には良かったというべきだ。でも、多すぎる個体を抱えてしまった今、それを素直に喜ぶべきなのか?
「お前は危険な闇だ。生命は光だ!」
「ちがう、いのちは闇の中にまたたく光だ!」
『風の谷のナウシカ/宮崎 駿』
初めに、神は天地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神 の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
『旧約聖書 創世記 第1章』
神は世界を光と闇に分けた。つまり世界は闇から生まれたのだ。
だから、その中で生きている人類や生物は闇の中の光なのだろう。
人類は闇を光で満たそうとした。闇は怖い。虚無だ。
だが、残念なことに、光があればあるほど闇はその色を濃くする。
そのことに人は気付いていた。闇の気配を常に感じていた。だからもっと光を求めた。
だが、ここに来て人は闇に目を向けた。いや、向けざるを得なくなった。
希望は捨てたくない。
人の命は光であることは間違い無い。
人には、知恵がある。人は死を知り、闇と光を知った。
きっと近づいている臨界点を乗り切る、あるいは避ける方法があるはずだ。
国連環境計画 アヒム・シュタイナー事務局長はこう述べている。
「針路を変えることは可能だ。違う方向に向かうことはできるはずだ」と。
この”限界点”という言葉は、若干ニュアンスが違う訳なような気がする。
英文のタイトルは
【UN warns environment is at tipping point】となっていて、tipping pointは臨界点と訳すほうが良いのではないかと思う(現に本文ではそういう表現になっている)。
まぁ、いずれにしても地球環境は、どう変わるかは諸説あれど、このままでは人間の活動が引き金となって大きく変わってしまうことにかわりは無いのだろう。
でも、あくまでそれは現在の地球環境が変化してしまい、特に人間に対して好ましくない状況になる、と言った意味での変化だ。
生物圏が大きく変わるとしても生命そのものがこの地球から消え去ってしまうことは無いだろう。新たな環境下に適した生物がそこにはきっといるはずだ。
だから、人間が今のままの暮らしを続け、その個体数を伸ばし続けていくと、どこかできっと人は絶滅する。
現在、世界人口は70億人。今からおよそ百年ぐらい前の頃には20億人だった。たった100年で人類は三倍以上に増えたことになる。
一方で、地球自体のリソースは一切増えていない。当たり前だ、基本的に地球は閉鎖系なのだから。
リソース不足になるのは当然だ。だから、このまま放っておけば、いつかはどんな形かは分からないけれど悲劇が世界を覆っていくだろう。
人は、全ての生物の中で唯一、死を知っている生物だといわれている。死は恐ろしい。それ以上の恐怖は無い。だから、その死を避ける。医療が発展し寿命が延び、さらに乳児の死亡率も低下した。
でも、それが良かったのかどうか?人道的には良かったというべきだ。でも、多すぎる個体を抱えてしまった今、それを素直に喜ぶべきなのか?
「お前は危険な闇だ。生命は光だ!」
「ちがう、いのちは闇の中にまたたく光だ!」
『風の谷のナウシカ/宮崎 駿』
初めに、神は天地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神 の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
『旧約聖書 創世記 第1章』
神は世界を光と闇に分けた。つまり世界は闇から生まれたのだ。
だから、その中で生きている人類や生物は闇の中の光なのだろう。
人類は闇を光で満たそうとした。闇は怖い。虚無だ。
だが、残念なことに、光があればあるほど闇はその色を濃くする。
そのことに人は気付いていた。闇の気配を常に感じていた。だからもっと光を求めた。
だが、ここに来て人は闇に目を向けた。いや、向けざるを得なくなった。
希望は捨てたくない。
人の命は光であることは間違い無い。
人には、知恵がある。人は死を知り、闇と光を知った。
きっと近づいている臨界点を乗り切る、あるいは避ける方法があるはずだ。
国連環境計画 アヒム・シュタイナー事務局長はこう述べている。
「針路を変えることは可能だ。違う方向に向かうことはできるはずだ」と。