『RWBY』を観てきた。
アメリカの[Rooster Teeth Productions]が制作した3DCGアニメーションシリーズ。
今回は、そのVolume 1にあたる作品。
内容はRPGのような世界観で構築されている。
さまざまな武器、術やモンスターなどが登場する。
アクションシーンは気分が高揚するほどのスピード感とダイナミックさがある。
友情や、多分恋に近い感情なども描かれ、謎の敵も登場する。
とにかく面白い。
[サンジゲン]が制作した『009 RE:CYBORG』の神山監督が言っていたけれど、CGのアニメーションではコマ落しという作業があるらしい。つまり、適当な場所でフィルムのコマを抜いて、CG独特のヌルヌルとした感触を消す作業だ。
この『RWBY』ではそのヌルヌルとした動きは強く残っている。でも、それが逆にアクションシーンでは迫力へ繋がる。
そういった意味では本当にRPGに近い作品なのかもしれない。
だからこそ、アニメやゲームが好きな人は、観に行って損はない。
海外制作の映画なので当然オリジナルは英語。今回は早見沙織をはじめとした声優陣が声を当てている。それがしっくりくるのが、なんだか不思議。
Volume 2が楽しみだ(ネットで観れるらしいけれど。。。)。
ついつい、劇場限定版のBlu-rayを買ってきてしまった。
この作品の世界観はRPGに近い世界。つまり魔法が普通に存在する世界。でも、同時に僕らの世界のような乗り物や構造物が沢山登場する。
『リトル・ウィッチ・アカデミア』でも思ったのだけれど、僕らはどこかの時点で魔法を捨ててしまったんじゃないだろうか?
僕は理工系の人間だ。物理を信じている。
でも、魂を信じるし、宇宙人だって信じる。神の存在も信じている。
超自然的なものを受け入れていると思う。
宇宙物理の中に、人間原理、という考え方がある。
「この宇宙が存在するために、宇宙は観察者となる人間の存在を作る必要があった」
という考え方で、極論、宇宙は人間のためにある、という考え方だ。割とトンデモ理論だ。でも、真剣に物理学として論じられている。
つまり、宇宙は人間の欲求を満たす必要がある、ということにもなる。
人間には選択肢があったんじゃないだろうか。
科学を採るか。
魔法を採るか。
僕たちは科学を採った。たまたまなのか必然だったのか、あるいは安直だったのか、それは分からない。でも、魔法を採らなかったことは事実だ。
僕は思う。
魔法はどこかに残っているんじゃないだろうか。
人が信じなくなったから、見えなくなっているだけで、魔法という力はどこかにあるんじゃないだろうか?
無いと証明されていない以上、それを無いと切り捨てることは出来ないはずだ。「議論にすら当たらない」というかもしれないけれど、それは議論するだけの材料が双方にないだけの話だ。
多世界解釈、という理論がある。
これはかなり完成された理論で、「ありうる世界は、同時にありうる」ということだ。宇宙は可能性の数だけ存在するのだ。
『RWBY』の世界は、僕らが選ばなかった可能性のいずれかの宇宙の姿なのかもしれない。
それは全てのアニメーション作品、マンガや小説に至るまで、それは想像の世界ではないことに繋がる。
僕らと違う宇宙のどこかの出来事を僕たちの脳がエミュレートできている。
僕らと『RWBY』に登場する彼女らとは、どこかで繋がっている。
そう考えると僕は嬉しくなる。
世界は思ったよりも広く自由なのかもしれないのだから。
アメリカの[Rooster Teeth Productions]が制作した3DCGアニメーションシリーズ。
今回は、そのVolume 1にあたる作品。
内容はRPGのような世界観で構築されている。
さまざまな武器、術やモンスターなどが登場する。
アクションシーンは気分が高揚するほどのスピード感とダイナミックさがある。
友情や、多分恋に近い感情なども描かれ、謎の敵も登場する。
とにかく面白い。
[サンジゲン]が制作した『009 RE:CYBORG』の神山監督が言っていたけれど、CGのアニメーションではコマ落しという作業があるらしい。つまり、適当な場所でフィルムのコマを抜いて、CG独特のヌルヌルとした感触を消す作業だ。
この『RWBY』ではそのヌルヌルとした動きは強く残っている。でも、それが逆にアクションシーンでは迫力へ繋がる。
そういった意味では本当にRPGに近い作品なのかもしれない。
だからこそ、アニメやゲームが好きな人は、観に行って損はない。
海外制作の映画なので当然オリジナルは英語。今回は早見沙織をはじめとした声優陣が声を当てている。それがしっくりくるのが、なんだか不思議。
Volume 2が楽しみだ(ネットで観れるらしいけれど。。。)。
ついつい、劇場限定版のBlu-rayを買ってきてしまった。
この作品の世界観はRPGに近い世界。つまり魔法が普通に存在する世界。でも、同時に僕らの世界のような乗り物や構造物が沢山登場する。
『リトル・ウィッチ・アカデミア』でも思ったのだけれど、僕らはどこかの時点で魔法を捨ててしまったんじゃないだろうか?
僕は理工系の人間だ。物理を信じている。
でも、魂を信じるし、宇宙人だって信じる。神の存在も信じている。
超自然的なものを受け入れていると思う。
宇宙物理の中に、人間原理、という考え方がある。
「この宇宙が存在するために、宇宙は観察者となる人間の存在を作る必要があった」
という考え方で、極論、宇宙は人間のためにある、という考え方だ。割とトンデモ理論だ。でも、真剣に物理学として論じられている。
つまり、宇宙は人間の欲求を満たす必要がある、ということにもなる。
人間には選択肢があったんじゃないだろうか。
科学を採るか。
魔法を採るか。
僕たちは科学を採った。たまたまなのか必然だったのか、あるいは安直だったのか、それは分からない。でも、魔法を採らなかったことは事実だ。
僕は思う。
魔法はどこかに残っているんじゃないだろうか。
人が信じなくなったから、見えなくなっているだけで、魔法という力はどこかにあるんじゃないだろうか?
無いと証明されていない以上、それを無いと切り捨てることは出来ないはずだ。「議論にすら当たらない」というかもしれないけれど、それは議論するだけの材料が双方にないだけの話だ。
多世界解釈、という理論がある。
これはかなり完成された理論で、「ありうる世界は、同時にありうる」ということだ。宇宙は可能性の数だけ存在するのだ。
『RWBY』の世界は、僕らが選ばなかった可能性のいずれかの宇宙の姿なのかもしれない。
それは全てのアニメーション作品、マンガや小説に至るまで、それは想像の世界ではないことに繋がる。
僕らと違う宇宙のどこかの出来事を僕たちの脳がエミュレートできている。
僕らと『RWBY』に登場する彼女らとは、どこかで繋がっている。
そう考えると僕は嬉しくなる。
世界は思ったよりも広く自由なのかもしれないのだから。