MARUMUSHI

映画とかTwitterとかとか。

『RWBY』。

2015-11-14 22:55:59 | 映画日記
『RWBY』を観てきた。

アメリカの[Rooster Teeth Productions]が制作した3DCGアニメーションシリーズ。
今回は、そのVolume 1にあたる作品。
内容はRPGのような世界観で構築されている。
さまざまな武器、術やモンスターなどが登場する。
アクションシーンは気分が高揚するほどのスピード感とダイナミックさがある。
友情や、多分恋に近い感情なども描かれ、謎の敵も登場する。
とにかく面白い。
[サンジゲン]が制作した『009 RE:CYBORG』の神山監督が言っていたけれど、CGのアニメーションではコマ落しという作業があるらしい。つまり、適当な場所でフィルムのコマを抜いて、CG独特のヌルヌルとした感触を消す作業だ。
この『RWBY』ではそのヌルヌルとした動きは強く残っている。でも、それが逆にアクションシーンでは迫力へ繋がる。
そういった意味では本当にRPGに近い作品なのかもしれない。
だからこそ、アニメやゲームが好きな人は、観に行って損はない。
海外制作の映画なので当然オリジナルは英語。今回は早見沙織をはじめとした声優陣が声を当てている。それがしっくりくるのが、なんだか不思議。
Volume 2が楽しみだ(ネットで観れるらしいけれど。。。)。
ついつい、劇場限定版のBlu-rayを買ってきてしまった。

この作品の世界観はRPGに近い世界。つまり魔法が普通に存在する世界。でも、同時に僕らの世界のような乗り物や構造物が沢山登場する。
『リトル・ウィッチ・アカデミア』でも思ったのだけれど、僕らはどこかの時点で魔法を捨ててしまったんじゃないだろうか?
僕は理工系の人間だ。物理を信じている。
でも、魂を信じるし、宇宙人だって信じる。神の存在も信じている。
超自然的なものを受け入れていると思う。

宇宙物理の中に、人間原理、という考え方がある。
「この宇宙が存在するために、宇宙は観察者となる人間の存在を作る必要があった」
という考え方で、極論、宇宙は人間のためにある、という考え方だ。割とトンデモ理論だ。でも、真剣に物理学として論じられている。
つまり、宇宙は人間の欲求を満たす必要がある、ということにもなる。
人間には選択肢があったんじゃないだろうか。
科学を採るか。
魔法を採るか。
僕たちは科学を採った。たまたまなのか必然だったのか、あるいは安直だったのか、それは分からない。でも、魔法を採らなかったことは事実だ。
僕は思う。
魔法はどこかに残っているんじゃないだろうか。
人が信じなくなったから、見えなくなっているだけで、魔法という力はどこかにあるんじゃないだろうか?
無いと証明されていない以上、それを無いと切り捨てることは出来ないはずだ。「議論にすら当たらない」というかもしれないけれど、それは議論するだけの材料が双方にないだけの話だ。

多世界解釈、という理論がある。
これはかなり完成された理論で、「ありうる世界は、同時にありうる」ということだ。宇宙は可能性の数だけ存在するのだ。
『RWBY』の世界は、僕らが選ばなかった可能性のいずれかの宇宙の姿なのかもしれない。
それは全てのアニメーション作品、マンガや小説に至るまで、それは想像の世界ではないことに繋がる。
僕らと違う宇宙のどこかの出来事を僕たちの脳がエミュレートできている。
僕らと『RWBY』に登場する彼女らとは、どこかで繋がっている。

そう考えると僕は嬉しくなる。
世界は思ったよりも広く自由なのかもしれないのだから。


『恋人たち』。

2015-11-14 14:12:46 | 映画日記
『恋人たち』を観てきた。

大事な者を失った者。
大事な者を得ようとする者。
大事な者に気付けない者。
皆、大事な者が今でなくどこかにある者達。


「心臓を一突きで、即死ですよ。オリンピックなんてどうでもいいですよ。人を殺してもいい法律って出来ないっすかね?人が許さなくても、法律が許さなくても、神様は許してくれると思うんすよ」
「殺しちゃだめだよ。だってあんたと会えなくなるじゃん?俺、あんたともっと話したいよ」

「ちょっと待ってよ、子供に手を出したりなんかするわけないでしょ」
「俺さ、学生の時からずっとあんたのこと好きだったんだよ。だけど、それを言えなかった。あんたが結婚してからも、ずっと普通にしてたじゃない」

「夢はあるか?って訊いたよね。私の夢はー」

人生は可能性に満ちている。
それは、あり得る範囲のことであり得ることが起こる、という意味で、幸も不幸もない。
幸せは訪れ難く、不幸は不意に訪れる。

夢は見ればいい。
幸せは探せばいい。
復讐のために生きるのも良いだろう。
ただ、見るべきは、今なのだ。
繋がっていない電話の向こうに告白する。
新しい人生のために全てを捨てる。
手首を切り死のうとする。
そして、誰もが失敗する。
今を、ちゃんと見て失敗するのだ。

そして残るのは、毎日だ。淡々と続く毎日。
「離婚をやめます。愛があるから」
「おめでとうございます」

「ゴムあったかな?買ってこようか」
「いや、要らない」
「出来ちゃうよ?」
「良いじゃないか。夫婦なんだから」

「どうして、左腕、無いんすか?」
「ロケット作ってたんだよ。皇居を吹っ飛ばす為に。でも腕が吹っ飛んじゃった」

白いチューリップの花言葉は、失われた愛。
黄色いチューリップの花言葉は、望みのない恋。

失われた愛は、叶わぬ恋へと変わる。望んでも望んでも、その恋は成就しない。でも、人は望み続ける。
そして、生きていく。

人の関係性と同じように入り組んだ東京都市システムの中、空だけはいつも自由だ。
その自由な空は唯一、僕らに方向性を示してくれる。
「右よし」
コンクリートの柱がそこに。
「左よし」
こちらもそうだ。
そして空を見上げる。
「よし」

彼らの船は、ゆっくりと走り出す。



『ハーモニー(<harmony/>)』。

2015-11-14 00:48:36 | 映画日記
『<harmony/>』を観てきた。

ザ・メイルストロムから復興した世界が舞台。
そこでは全てがパブリックであり、プライベートである物はさほど多くはない世界。
パブリックな肉体=健全であること。
パブリックな行い=所謂ボランティア精神。
健康状態、食事のバランス、生命活動の全てをサーバーに繋ぎパブリックな人間になる。社会生活の健全度まで評価してくれる。
優しさに富んだ世界だ。
ただ、魂は、精神は、プライベートである。
そこがその世界の致命的セキュリティー・ホールなのだが。


1914年、第一次世界大戦勃発。
1918年終結。
その後、各国は一時的に軍縮に動いた。
だが、ドイツ、イタリア、日本などが当時の国連を脱退するなど、各所で火種が出てくると、1939年、第二次世界大戦勃発。
1945年終結。
再び軍縮に動くが、東西での冷戦で世界を何度も崩壊させて余りある核ミサイルの配備が進む。
朝鮮戦争。ベトナム戦争。湾岸戦争、イランイラク戦争、イラン戦争。9・11テロ。幸いなことにこれらでは、致命的な核ミサイルは使われなかった。
戦争の毎に技術は革新していくが、これらの戦争もご多分に漏れず。”パブリック”な戦争になっていった。兵士の精神的ストレスを下げるために、フライトシミュレータを使った戦闘機。リモート操作の兵器が増えていく。「兵士の命のため」というが、結局それは戦争を公的な物に、責任を希釈するために行っていること。
日本国内では、政府が自衛権の拡大をねらい、(一部の)市民側がそれに反発している。どちらが正しいかはどちらかの狙いに沿った災厄が襲うまで続くだろう。
戦争は平和を生み出す。なぜなら、人が戦争に飽きてくるから。多角的に仕掛けられる暴力。命が狙われるという感覚。これらに飽きてしまうのだ。
そして、平和は戦争を生み出す。なぜなら、人が平和に飽きてしまうから。刺激がなく、ただただ単調に続く毎日。それに飽きてしまうからだ。
常に人は、飽き続ける。
人間の脳は退屈に絶えるように設計されていない。



先天的に欲求を欠いた肉体を持ち、その社会で産まれた御冷ミァハ。魂と欲求が真の地獄の中で産まれた少女。
普通の家庭に産まれた、霧慧トァン。強烈に御冷ミァハに憧れた少女。そして、御冷ミァハに追いつけなかった少女。
普通の家庭に産まれた、零下堂キアン。御冷ミァハに憧れながらも、彼女の危うさを止めたかった少女。そして、3人の誰よりも生府に適合している少女。

harmonyプログラム。
脳の全ての欲求の発生を止め、合理的な行動のみを選択していく社会が実現できるプログラム。
本能の停止。理性だけの世界。
御冷ミァハが産まれた世界の姿がそこには産まれる。彼女はそのharmonyプログラムを発動させるために、社会を混乱させていく。そうすればharmomyプログラムを使わざるを得なくなるから。
全てがパブリックな世界。
そこには魂の、精神の選択はない。
理性で泣き、理性で笑う。見た目は同じでもそこには魂はない。
究極の調和。社会安定のための最終手段。
食糧難が襲えば、合理的な解決策を、世界全体で行うのだろう。
例えば、食事の量を減らす。
例えば、性行為を減らす。
例えば、高齢者を殺す。
少子化が進めば、合理的な解決策を、世界全体で行うのだろう。
例えば、性行為の奨励。
例えば、試験管を使った命の生産。
例えば、寿命の延長。
そして、そこには争いはない。
戦争どころか隣近所の諍いすら起こらない。非合理的だからだ。

harmonyプログラムは墓標なのだ。
調和のための魂を殺す。
霧慧トァンは、3人の少女の内、唯一のharmonyの世界の住人になった。
零下堂キアンは自殺。
御冷ミァハは自分の手で。
「愛してる」
そう言ってトァンはミァハを殺す。
合理的ではない。
でも魂があるからこそ出来ること。
私の、私の愛したミァハを私だけの物にしたい。
「一緒に行こう。ミァハ」



<null>
わたし
</null>



伊藤計劃は、どう考えていたのか。どんな世界を考えていたのか。もう分からない。
でも、僕は思う。
御冷ミァハのように、先天的な遺伝子の変異により欲求を欠いた人間が産まれるのなら、その逆もあるはずだ。
魂を持った、理性だけでなく本能を持った人間が産まれるはずだ。
それが幸せなことなのか不幸なことなのかは分からない。
ただ、御冷ミァハと霧慧トァンと零下堂キアンが友人になれたように、本能を持つ者と持たない者はきっと友人になれるはずだ。
harmonyプログラムはそこで機能を終える。

<harmony/>




<valid>
わたし
</valid>


<reply>
おかえり
</reply>


 
 
 
 
 
 
 

2015年11月13日のつぶやき

2015-11-14 00:00:00 | twitter



  • うおー!きたー!
    Posted at 03:11 PM




  • 産経「SEALDsは目の前で恋人を殺されそうになっても守らないのか。それでも憲法九条を読み上げると言うのなら、どうぞご勝手に」 : オレ的ゲーム速報@刃 https://t.co/clPzGmurHu
    Posted at 02:52 PM




  • RT @shiru: しかしやはり本家春麗の太ももは究極にして至高
    Posted at 02:51 PM




  • でも『虐殺器官』を先に観たかったなー。。。
    Posted at 02:50 PM




  • もう直ぐ『<harmony/>』観れる。
    グッズは買ったぜ!

    Posted at 02:49 PM




  • 『100000年後の安全』で観た。結局、こうするしかないのだ。
    火を生み出すのはプロメテウスだけで良い。 https://t.co/KoMKYuq1Rm

    Posted at 02:13 PM




  • 「新たなナショナリズム=「国民連合政府」への幻想」
    https://t.co/vDphWuoWAq
    理念の前にビジョンを描こうとする。それどころか、最高法の憲法までがインスタントなのだから、何を言ってもどん詰まりにしかならない。
    日本は独立国家になるまで鎖国した方がいい。

    Posted at 02:07 PM



  • https://twitter.com/kaoritokuyama