『PERSONA3 THE MOVIE #4 Winter of Rebirth』を観て来た。
#1 Spring of Birth
#2 Midsummer Knight's Dream
#3 Falling Down
#4 Winter of Rebirth
僕が#1を観た時、全く予備知識無しで観に行った。ゲームをプレイしたこともない(今も)。
そんな状態でふらっと入ったTOHOシネマなんば・別館。
パンフレットがすんでで売れ切れて悔しかった。思えばこの時から結構ハマッてたのだ。
生を忘れた少年、結城理。
彼に閉じ込められていた滅び。世界の滅び。全ての死。
その滅びは理が生を感じる度に彼の中に押さえ込むことが出来なくなり、そして解き放たれた滅びは全てのものに等しくやってくる。
死、死、死。
みんな死ぬ。僕もあなたも、そしてあなたが想う大事な誰かも必ず死はやってくる。
もし、死がなかったとしたら、僕らはどんな風に生きるだろう。
僕はそう思う。一定の長さ、例えば100年として、その中で生きることは「Life/100年」という濃度を持つ。でも、100年が1000年、1000年が10000年になったとして「Life/10000年」はとても薄いものになっていく。
生の希釈。
死がない生は存在はとてもとても薄くなるんだと思う。それは既に死んでいるのと何も変わらない。
ディラックの海という理論がある。
真空は負のエネルギーを持つ電子で満たされており、そこに正のエネルギーを持つ電子がボイドのように存在しているという考え方だ。
僕らはこの死というディラックの海に浮かんだボイドとしての生なのかもしれない。
元来、この世界は死に満たされていて、いつでも簡単に滅びに向かってしまう。
生きたい。
そう思い、抗わなければ僕たちはディラックの海に飲み込まれてしまう。
結城理は滅びを外に出すことで自分と仲間の生に対して執着を持った。彼はディラックの海から浮かび上がってきた。
ここから、仲間と大事な人と一緒に桜を見たい。
そのためならば、自分の中のPERSONAを滅びに捧げよう。
死の向こう側にある本当の生を掴みにいこう。
時の間の塔の頂上に手を伸ばそう。
時は跳ぶ。
季節は春。理はアイギスの膝の上で眼を覚ます。
機械なのに、彼女の膝は、振れる手は温かい。彼女には魂が宿っている。もう、機械には戻れない。
理は疲れている。世界を滅びから救ったのだから当たり前だ。
ぼんやりとした視界の中、彼を呼ぶ沢山の声がする。
さぁ、みんなで桜を見よう。
綾時。もちろん君も一緒だ。
死は等しくやってくる。だから綾時が居なくなることはない。
でも、今はとにかく桜が綺麗だ。今はとにかく生きている。
それでいい。
Happy Re-Birthday
この世界の物語は大変興味深いものでございました。
娯楽施設には洗練されたダンスがございました。念願の飲食物も楽しむことが出来ました。
人生を楽しむためには苦しみがある、と言うことを教えてくれる遊戯まで堪能することができました。
そして、結城理。思わず少し背中を押してしまいました。
ですが、彼が命の答えに辿り着かれたのは彼ご自身の力。素晴らしいことでございます。
ですが、時に終わりはございません。
この世界の契約が、ただ終わっただけのこと。
終わりのない時はこれからも続きます。死が無尽にあろうと。滅びが何度訪れようと。
さぁ、新たな時の間の扉が開かれました。
今度の世界はどのようなところで、どのような物語を見せていただけるのか。
今から、とても楽しみでございます。
それではまた、お会いできることを心より願っております。
舞台挨拶に行ってきた。
#2 Midsummer Knight's Dreamのときにも観に行ったけれど、
今回は石田彰さん、緒方恵美さん、田口智久監督に加えて豊口めぐみさんと能登麻美子さんが登壇。
先回、石田彰さんがどれだけ頑張ってたかがよく分かった。先回凄い喋ってたもん。
「こんなに喋ってる石ちゃん見るのははじめて」と緒方さんが言ってた理由がよく分かった。
20分程度の尺をたった3人で埋めるのは、さぞかし大変だっただろうな。。。
という訳で今回は盛り上げるところはしっかり盛り上げつつ、作品の最後を飾る章ということもあってか、すこし厳粛な舞台挨拶だった。
この最終章は言われて見ると、色と光を意識した作品だと感じた。
という訳で、田口監督、ご結婚おめでとうございます。
#1 Spring of Birth
#2 Midsummer Knight's Dream
#3 Falling Down
#4 Winter of Rebirth
僕が#1を観た時、全く予備知識無しで観に行った。ゲームをプレイしたこともない(今も)。
そんな状態でふらっと入ったTOHOシネマなんば・別館。
パンフレットがすんでで売れ切れて悔しかった。思えばこの時から結構ハマッてたのだ。
生を忘れた少年、結城理。
彼に閉じ込められていた滅び。世界の滅び。全ての死。
その滅びは理が生を感じる度に彼の中に押さえ込むことが出来なくなり、そして解き放たれた滅びは全てのものに等しくやってくる。
死、死、死。
みんな死ぬ。僕もあなたも、そしてあなたが想う大事な誰かも必ず死はやってくる。
もし、死がなかったとしたら、僕らはどんな風に生きるだろう。
僕はそう思う。一定の長さ、例えば100年として、その中で生きることは「Life/100年」という濃度を持つ。でも、100年が1000年、1000年が10000年になったとして「Life/10000年」はとても薄いものになっていく。
生の希釈。
死がない生は存在はとてもとても薄くなるんだと思う。それは既に死んでいるのと何も変わらない。
ディラックの海という理論がある。
真空は負のエネルギーを持つ電子で満たされており、そこに正のエネルギーを持つ電子がボイドのように存在しているという考え方だ。
僕らはこの死というディラックの海に浮かんだボイドとしての生なのかもしれない。
元来、この世界は死に満たされていて、いつでも簡単に滅びに向かってしまう。
生きたい。
そう思い、抗わなければ僕たちはディラックの海に飲み込まれてしまう。
結城理は滅びを外に出すことで自分と仲間の生に対して執着を持った。彼はディラックの海から浮かび上がってきた。
ここから、仲間と大事な人と一緒に桜を見たい。
そのためならば、自分の中のPERSONAを滅びに捧げよう。
死の向こう側にある本当の生を掴みにいこう。
時の間の塔の頂上に手を伸ばそう。
時は跳ぶ。
季節は春。理はアイギスの膝の上で眼を覚ます。
機械なのに、彼女の膝は、振れる手は温かい。彼女には魂が宿っている。もう、機械には戻れない。
理は疲れている。世界を滅びから救ったのだから当たり前だ。
ぼんやりとした視界の中、彼を呼ぶ沢山の声がする。
さぁ、みんなで桜を見よう。
綾時。もちろん君も一緒だ。
死は等しくやってくる。だから綾時が居なくなることはない。
でも、今はとにかく桜が綺麗だ。今はとにかく生きている。
それでいい。
Happy Re-Birthday
この世界の物語は大変興味深いものでございました。
娯楽施設には洗練されたダンスがございました。念願の飲食物も楽しむことが出来ました。
人生を楽しむためには苦しみがある、と言うことを教えてくれる遊戯まで堪能することができました。
そして、結城理。思わず少し背中を押してしまいました。
ですが、彼が命の答えに辿り着かれたのは彼ご自身の力。素晴らしいことでございます。
ですが、時に終わりはございません。
この世界の契約が、ただ終わっただけのこと。
終わりのない時はこれからも続きます。死が無尽にあろうと。滅びが何度訪れようと。
さぁ、新たな時の間の扉が開かれました。
今度の世界はどのようなところで、どのような物語を見せていただけるのか。
今から、とても楽しみでございます。
それではまた、お会いできることを心より願っております。
舞台挨拶に行ってきた。
#2 Midsummer Knight's Dreamのときにも観に行ったけれど、
今回は石田彰さん、緒方恵美さん、田口智久監督に加えて豊口めぐみさんと能登麻美子さんが登壇。
先回、石田彰さんがどれだけ頑張ってたかがよく分かった。先回凄い喋ってたもん。
「こんなに喋ってる石ちゃん見るのははじめて」と緒方さんが言ってた理由がよく分かった。
20分程度の尺をたった3人で埋めるのは、さぞかし大変だっただろうな。。。
という訳で今回は盛り上げるところはしっかり盛り上げつつ、作品の最後を飾る章ということもあってか、すこし厳粛な舞台挨拶だった。
この最終章は言われて見ると、色と光を意識した作品だと感じた。
という訳で、田口監督、ご結婚おめでとうございます。