日本の手話は二種類あります。
先天的な聾唖である人達の間で、自然発生的にできた言語、日本手話。
事故や病気などで後天的に聾唖となった人達のために覚えやすく作られた、日本語対応手話。
硝子が手話の教室に通っているのは、この日本語対応手話を覚えるために通っているんだと思います(逆の可能性も高いですが)。
硝子の母親、八重子は、あえて彼女を普通の小学校に通わせ、「人と自分は違う」と硝子に思い知らせました。あえて疎外感を感じさせたんでしょう。
その上で健常者の中で生きる力を持たせようとしたんだと思います。
結果、ちょっと失敗してしまったところはありますが、母としての愛だったんでしょう。
硝子は先天的な聾唖者の中では1人ではなかったと思います。ですが、健常者からは一定の距離があったんだと思います(これも逆かもしれません)。
だから、硝子は将也に再会するまで独りだったというわけではないんじゃないかと。
それでも、硝子はずっとあの愛想笑いをしていたのかも、とも思います。だから疎外感というか、八重子の教育の影響はあったのかもしれません。
植野はたまたま1人で買い物をする硝子を見ただけ。
いますよね、勘が鋭いけれど短絡的に過ぎる人って。植野はそのタイプなのかもしれません。口は悪いし、独断専行型、好き嫌いが激しいですが言っていることは正しいし、根は悪い人じゃなさそうですけど。
将也は孤独です。独りで何年も孤独と闘って来た。自分で耳を塞ぎ、目を閉じ、疎外感を自ら作ったんですから。自分への枷だ、と思い込んで。きっと家族ともそれなりに距離を置き続けてたんじゃないかな、と思います。
「俺は、死ぬべき人間なんだ」と。
少しそれますが。
硝子の愛想笑いを止めたのは、将也だけなんです。
小学校の時に喧嘩した時。再会した時、告白した時、将也が落ちた時、そして文化祭の時。将也が関わるとあの愛想笑いが消える。本当の感情を出せる。
そして、その将也が「生きるのを手伝って欲しい」と彼女に頼む。
硝子と将也は2人揃うことでやっと立てたんです。
2人は魂で繋がってるようにおもいます。
そして、その繋がりを後押ししたのが、もこもこ頭の永束くんだ、とも思ってます。
長文になりました。
ご期待に沿える文章か分かりませんが、僕の考えはこんな感じです。