この記事に出てくる(週刊誌記者)もそうですが、
例えばいじめであったり、進学の問題、友達関係や家族関係が上手くいっていないことと、彼・彼女が自殺を選んだことが結びついていることに誰も違和感を抱いていないのが一番怖いんだと思います。
いじめられている→もうダメだ死のう。
とか、
友達が出来ない→もうダメだ死のう。
っていうのが正常な思考の経路だと思いますか?
僕はそう思えません。僕は躁うつ病ですから、いわゆる普通の思考を出来ていないのかもしれない。
だけど、それにしたって飛躍がありすぎて違和感ありまくりの考えだと感じます。
ところが、この記事の記者も出てくる週刊誌記者も、「なんとなくだけど、そうだよね。そりゃ、そういう状況になったら自殺もしちゃうよね」とどこか納得してしまっている。さらに、「ネットに依存している人ってちょっとアブナイよね」という感じも受けます。
”友達がいなくて、家族関係が悪くて、ネットに依存している。だから、自殺したんだ。”
と、問題を彼女個人のレベルに矮小化して事を済ませようとしている。普通の人にはこんなことは起こらないんだ、と思っている。せいぜい矛先を変えて言えたのが、ネットの規制だけじゃ駄目だということ。
じゃぁ、どうしろというんだ?何を変えろというんだ?と言われると、僕にも答えられません。
でも、この国では年間約3万人、つまり15分に1人が自殺していること。
年間1万人以上の特異家出人と呼ばれる自傷や事件事故に巻き込まれた可能性があり、行方が分からなくなっている人たちがいること。
こういうことを考えると、どうしても個人の問題だけと考えてしまうのはおかしいと思うんです。
彼女を助けてあげられる場や人がいなかったのは、本当に残念です。
ですが、
当日の放送は開始時点で自殺が心配されていたらしく、配信中に少女が急に部屋から飛び出すと視聴者たちは止めるために「危ないよ!」「あほ、やめろ」「部屋に戻りなさい」などと必死にコメントを送った。(記事引用)
と、記事にはあります。
「ほら、みてごらん。こういう人たちもいるんだよ」、と声をかける誰かがいただけでも結果は変わったのかもしれません。
そして、自分がそうすることで、結果は変えられるのかもしれません。
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