【少女たちの日々へ】という写真集(青山静男撮影)がある。
1,2巻で、どーしても読みたくて、そこそこの大枚をはたいて買った。
タイトルどおり、少女たちの写真が掲載されている。
面白いのは、被写体が全て、普通の公園で遊んでいるような少女たちであること。
彼女たちは、自分が可愛いという事を知っている。どうすれば可愛く見られるかを知っている。
「まるで、お人形さんみたいでしょ?」
とその眼は語りかける。あどけなさの奥に、あざとさが影を落とす。彼女たちに、僕は恐怖さえも感じる。
ポートレートを撮るときは「ハイ撮るよー」なんてやっていたら確実に顔が引きつる。
何もいわず、ここだという時にシャッターを切る。それが一番自然な表情で人を撮る方法だと思う。
でも、そこには何もいわなくてもシャッターを切ってもいい、という信頼関係があってこその話。
青山と言う写真家は、撮るよりも長くそこに時間を割いたんだろうなと思う。
たぶん今撮ろうとしても撮れる作品ではない。
今の世の中では少女にカメラを、それこそ一眼レフを向けたりなんかすれば、即通報ものだ。
関係を築くことも、もう難しかろう。
唯一無二の作品になったのかもしれない。
1,2巻で、どーしても読みたくて、そこそこの大枚をはたいて買った。
タイトルどおり、少女たちの写真が掲載されている。
面白いのは、被写体が全て、普通の公園で遊んでいるような少女たちであること。
彼女たちは、自分が可愛いという事を知っている。どうすれば可愛く見られるかを知っている。
「まるで、お人形さんみたいでしょ?」
とその眼は語りかける。あどけなさの奥に、あざとさが影を落とす。彼女たちに、僕は恐怖さえも感じる。
ポートレートを撮るときは「ハイ撮るよー」なんてやっていたら確実に顔が引きつる。
何もいわず、ここだという時にシャッターを切る。それが一番自然な表情で人を撮る方法だと思う。
でも、そこには何もいわなくてもシャッターを切ってもいい、という信頼関係があってこその話。
青山と言う写真家は、撮るよりも長くそこに時間を割いたんだろうなと思う。
たぶん今撮ろうとしても撮れる作品ではない。
今の世の中では少女にカメラを、それこそ一眼レフを向けたりなんかすれば、即通報ものだ。
関係を築くことも、もう難しかろう。
唯一無二の作品になったのかもしれない。
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