柏原市(橿原南口下車)にある、白州記念館に行ってきました。
ここ数日の寒さも和らぎ、大和川で釣りを楽しむ人、遠くには葛城山二条山が綺麗に見え、
この川が氾濫し、この地域が水害に襲われたなんて、嘘のような、のどかな風景でした。
水害よけに、家の屋根に、波の形をした瓦が、乗せられていました。
江戸時代、大和川は、今の大阪城のあたりを流れ、大阪湾に流れていたのを、堺の海に流れを変えた、と言うのを、
古文書で、習ったことがありました。
大阪平野が度々大和川の氾濫の憂き目をみたので、流れを変えたそうです。
この辺りでは、その頃、川替えの反対運動や、賛成運動の対立とかがあったようです。
古文書で習った時には、大変な工事だったろうな~と思ってはいましたが、
川替えの本当の姿を、聞き、当時の苦労を、感じました。
記念館は、書道家であった白州さん没後、ご子息さま(主人の友人)が、白州さんの遺品を展示されています。
白州さんの生家を改装され、四季ごとに作品を変えて展示されているとのことでした。
私は、書道には、あまり関心がなく(字が下手なので)、過ごしてきました。お茶会の時掛け軸の字を読めずに困ったものです。
そんな私ですが
展示作品を拝見し、書道というものの深さ、芸術としての品位の高さなどを感じました。
ここ数日の寒さも和らぎ、大和川で釣りを楽しむ人、遠くには葛城山二条山が綺麗に見え、
この川が氾濫し、この地域が水害に襲われたなんて、嘘のような、のどかな風景でした。
水害よけに、家の屋根に、波の形をした瓦が、乗せられていました。
江戸時代、大和川は、今の大阪城のあたりを流れ、大阪湾に流れていたのを、堺の海に流れを変えた、と言うのを、
古文書で、習ったことがありました。
大阪平野が度々大和川の氾濫の憂き目をみたので、流れを変えたそうです。
この辺りでは、その頃、川替えの反対運動や、賛成運動の対立とかがあったようです。
古文書で習った時には、大変な工事だったろうな~と思ってはいましたが、
川替えの本当の姿を、聞き、当時の苦労を、感じました。
記念館は、書道家であった白州さん没後、ご子息さま(主人の友人)が、白州さんの遺品を展示されています。
白州さんの生家を改装され、四季ごとに作品を変えて展示されているとのことでした。
私は、書道には、あまり関心がなく(字が下手なので)、過ごしてきました。お茶会の時掛け軸の字を読めずに困ったものです。
そんな私ですが
展示作品を拝見し、書道というものの深さ、芸術としての品位の高さなどを感じました。