甲子園きっぷ  yama’s stadium☆彡

~球児たちの あしあと~

統率力が生んだチーム力 ~市立尼崎高校野球部2016前田大輝主将のリーダーシップ~

2017-09-13 | 高校野球



昨夏の選手権兵庫県大会を興味深い内容で勝ち上がり、兵庫県代表として甲子園出場を果たした

市立尼崎の主将 前田大輝選手のインタビュー記事を紹介したいと思います。

あの夏を勝ち上がるまでの道のりには、気付き、取り組む姿勢があって、

そこから繋がる野球、生まれたチーム力を感じる言葉を残してくれています。

前田主将のことについて「統率力」のある主将、前田主将が居なかったら勝てていなかったと

あの夏のエース平林投手が語っていましたが、前田主将の「統率力」とは・・・?

先日書いた収穫の秋 成長の冬 〜夏へ向かう球児たち〜の記事で

「全員野球とは?」「率先力」について自分が感じたことを書きましたが、

前田主将があの夏や高校野球を振り返って残した言葉の意味と共通しているように思いました。

新しい主将を中心に新たな目標に向かって進む新チームですが、先輩がチームから離れ

自分たちでチームを纏め進むことに難しさも感じている選手も少なくないのでは?

チームの先頭に立つ主将の気付き、素直な気持ちで「まずやってみよう」という行動力があったからこそ、

チーム内みんなに率先力が生まれ、あの夏チーム力で栄冠を掴んだことが感じられる前田主将の言葉を

現在進行形の選手たちにぜひ読んでいただきたいなと思います。

個々の率先力、チーム力を深める何かきっかけになればと思う。


その前に、市立尼崎の2016年夏のあしあとに触れてみたいと思います。

兵庫大会では、その春選抜甲子園へ出場した長田を筆頭にした第5ブロックに入った市立尼崎は、

2回戦 9-0 対 夢前、3回戦 3-0 対 福崎、4回戦にその長田との対戦。

長田は2回戦 薗投手擁する六甲アイランドとの対戦、延長10回2-1の大接戦で勝利。

3回戦 宝塚東を7-0(7回コールド)で圧勝し、勢いを増した両校同士の4回戦となりました。

結果は7-3と差を付け市立尼崎が一つの山となる5回戦へ進出した。

西宮今津との5回戦、前半2得点を先取され追う展開の6回、4番藤井選手、6番前田主将の2つの内野安打から

2年生で正捕手の谷尻捕手の2点タイムリーで追いつき、延長15回激戦の末2-2と決着は着かず引き分け再試合に。

再試合では、初回市立尼崎 3番三浦選手のタイムリーで先手を取り、4回に同点にされるも

6回 4番藤井選手が決勝点を挙げ2-1 またまた大接戦を制し8強入を決めた。

引き分け再試合となった対戦のスコアは・・・

市立尼崎 000 002 000 000 000=2
西宮今津 100 100 000 000 000=2

後攻は西宮今津、延長戦へ入ってもゼロが続く戦いに、市立尼崎は常にサヨナラ負けの緊張感の中にいた。

「緊張感のなかで耐えることができて自信になった」と前田主将。

引き分け再試合のスコアは・・・

市立尼崎 100 001 000=2
西宮今津 000 100 000=1

リードした1得点を守り切れたことも大きな自信となった対戦だったと思う。


西宮今津との2日間に渡る24イニング戦い勝ち切り、市立尼崎にとって大きな山場

甲子園へと導かれるきっかけとなっただろう準々決勝 報徳学園戦では、

2回 前田主将がヒットでチャンスメイクし8番木森選手のスクイズで先制。

この1得点を守り切り、エース平林投手が強豪報徳学園に1-0 完封勝利を挙げた。

西宮今津との引き分け再試合を勝ち上がった時点で、「市立尼崎」へ徐々に注目が集まり、

そして、優勝候補とも言われた報徳学園を完封で破り注目の的となった。


「この試合に勝利できたことにより、間違いなくチームが変わり、起点となった試合でした。

もうそこから押せ押せでチーム全体で負ける気がしない状態でした。

完封できたことにより、周りから凄いと声を掛けてもらえ自分の自信にもなった試合です。」

と、平林投手が言葉を残している。


「報徳学園に勝った後、もうどこが相手だろうと負けないと確信していました。

根拠なんてありませんが、全員が同じ気持ちだったと思います。」

と、甲子園出場まであと二戦を残し前田主将はこのように思っていた。


「市立尼崎・・・来たな・・・凄い!」

そう私自身もこの結果にフトそう思ったことを思い出す。

そして決勝進出を懸けた社との準決勝では、市立尼崎の初回

2死から3番三浦選手のヒットに、4番藤井選手がライトオーバーの先制三塁打を放ち、

続く5番平林投手のタイムリー二塁打で2得点を先取し好スタートを切った。

中盤4回、再び藤井選手のタイムリーで1得点、6回には死球、犠打で1死2塁から

三浦選手が三盗を決め、平林投手の試みたスクイズが空振りとなるが

ワイルドピッチが重なり、三浦選手の積極的な足技が大きな4得点目を生んだ。

9回には谷尻捕手のタイムリーで貴重な5得点目。

終盤、社は8回に1得点、9回には2得点を還す追い上げを魅せるが、またまた強豪社を破り決勝へ進出。

決勝は、昨年の悔しさを晴らすため強い気持ちでここまで勝ち上がってきた好投手エース吉高投手を擁する明石商業。

市立尼崎の3回、相手ミスが重なり先制点を挙げると、その裏エース吉高投手の犠牲フライで直様同点とされ、

4回には6番栃谷選手、7番藤原選手の二連打で逆転される。

その後、中盤はどちらも好機を逃し、市立尼崎へ流れを呼び込んだように思う7回がやってきた。

1死後、1塁にランナーを置き、谷尻捕手の犠打で二進、四球が絡み2死1、2塁となり、

1番飯田選手が放ったレフトヒットに走塁妨害が絡んでしまう。

このプレイにより2-2の同点。

そしてその直後、市立尼崎の8回

明石商業はエース吉高投手から継投策。

3番三浦選手の犠打で1死2塁を作り、平林投手の2塁打で3得点目を挙げ甲子園出場を決めた。


私はこの対戦をテレビで観戦しました。

市立尼崎の夏は残念ながら私が行った球場では観ることはなく、この決勝戦で初めてでした。

だからどんな雰囲気のチームなのか?全く知らず先入観も無くホワイトな気持ちで観ることができたのですが、

決勝戦が始まり両校の持っているチーム全体の空気が対照的だなと感じました。

あの7回、8回の継投、チームのみんなが決勝戦を戦うことを楽しんでいる雰囲気・・・

前田主将や平林投手が後に残した言葉のように、

「負ける気がしなかった」・・・あの時、私もそのように感じたことを覚えている。

根拠はないが、遡ること2013年 95回大会、西脇工業が優勝を果たした時の決勝戦を思い出した。

あの決勝戦でも、西脇工業へ「負ける気がしない」と同じような感覚があった。

野球の技術や力の差とは違う「チームの雰囲気」に勝利を結び付ける何かを感じたあの夏。

西脇工業の選手たちが創りあげていたチームの雰囲気と、市立尼崎の雰囲気は共通していた。

もちろん雰囲気だけで勝ち抜けるものではないけれど、確かにあの創り出すチームの雰囲気が

勝利を近付けたことは間違いないと、これは自分の根拠ない感覚ですが・・・。

市立尼崎 谷尻捕手の出身地は山崎なのですが、たまたま谷尻捕手をよく知る山崎の方から、

チームの雰囲気や、前田主将がこの夏ベンチ入りを果たせなかった3年生の仲間へ何より向き合っていたことを伺っていました。

この決勝戦でのチームの雰囲気を自分の目で見て、そしてその後の前田主将のインタビュー記事を読んで、

やっぱりこのチームが創る雰囲気の根拠は前田主将にあったんだなと、前田主将の言葉を借り「確信した」。


野球ドットコム インタビュー記事より

前田 大輝(市立尼崎ー日本体育大学) 

「選手と同じ立ち位置で、みんなの先頭に立って進んでいく」

click ~人間としてどうあるべきかを意識~より抜粋


市立尼崎に入部した前田選手。2年秋の新チーム結成時に、まずは副主将になったという。

「1年生の頃から練習試合に出させてもらっていたのでチームを引っ張っていきやすいだろうということで任命されました。

でも、主将を務めていた選手が不調に陥ってチーム全体に目を配る余裕がなくなってしまったため、

10月下旬頃からキャプテンへ昇格することになったんです」

だが「キャプテンになったばかりの頃はチームがバラバラになりかけていたのに、どうしたらいいのか分からなくて、

何かを変えるにしても特別なことが思いつきませんでした」

そんな前田選手に対し、市立尼崎の竹本 修監督は

「野球以外のことでもいいから、自分たちができることを考えて、その決めたものを毎日きちんと実践すること」を提案した。

「以前から監督には『野球は人間がやるスポーツなのだから失敗があるし、何が起こるか分からない。

そのなかで最後に良い思いをするには、人間としてどうあるべきかを意識していなければならない』と、言われていました。

そこで、大谷 翔平選手(日本ハム)の『ゴミを拾うことは運を拾うこと』という考え方を取り入れて、

チーム全体では『ゴミを拾うこと』を決め事にし、さらに各個人でそれぞれもう一つ決め事を作って行動するようにしました」



こうした活動に選手全体で取り組むようになってから、チームはどんどんまとまっていった。

「自分たちの代は部員が15人しかいなかったのですが、人数が少ない分、仲が良くて、その同級生たちがとても協力してくれたんです。

もちろん、自分もリーダーとして率先してやらなければと思っていたので、学校でも通学路でもゴミを拾うようにしていました。

そうやって習慣づいてくるとゴミがすぐに目に付くようになりますし、監督が見ていないところでも無視して通り過ぎることができなくなるんですよね」



また、キャプテンといえばチームを代表して監督に叱られる役割になってしまうこともある。

「最初は、なぜ自分が怒られるのか納得いかない時もありました。

でも、ゴミ拾いをやるようになってからは『監督を信じて、どんなことでもやる』と腹をくくっていたので、

理由を理解していなくても、まずは監督に言われたように行動してみました。

そうやって、いざ動いてみると、逆に怒られていた理由が分かったりするんです」



click ~甲子園に行けるという確信はなかった~より抜粋

「監督に言われる前に、自分たちで考えて行動するようになりました。

練習は監督がグラウンドに来てから始めることになっていて、

監督が学校の業務で遅れた時は何もせずにベンチで待っていたのですが、

自然とその時間は掃除にあてるようになっていったんです。

だから、グラウンド周りはかなりきれいに保たれていました」


「昔からの伝統で、トイレ掃除は裸足でやるんです。

冬場は寒いので靴を履きたかったんですけれど、一度でもルールを破ってしまうと、

これまでの努力が無駄になってしまう気がしたので、ずっと裸足でやり続けました」


春季大会はベスト32で敗退。この時期はまだ「大差で負けてしまう試合もあり、チームに波があった」

練習試合では死球を受けて、右手首を骨折。

夏の兵庫大会に間に合わないかもしれないという重傷を負った。

「たとえ治らないとしても最後までやりきりたい」と、決して後ろ向きにはならなかった。

「その時の自分にできることはケガを治すこととキャプテンとしてチームをまとめることしかなかったので、

放課後は患部の電気治療を受けたら、すぐにグラウンドへ戻って声を出していました。

そうやってキャプテンが声を出していると周りの選手も声を出しますしチームの雰囲気が良くなって、

練習試合で強豪校と対戦しても競り合えるようになっていったんです

 
この時、前田選手は「正直、甲子園に行けるという確信はなかった」という。

ただ、「チームには『甲子園に行くことが一番の目標。でも、負けたとしても、その時に良かったと思えるような夏にしよう』と言っていました。

できないことをやろうとしても無理なので、自分たちのできることを完璧にやって、それで負けたのなら悔いはないはず。

だから、『初戦から一戦一戦を全力で戦おう』というのが共通認識になりました」


click~キャプテンが率先して行動することが大切~より抜粋

「甲子園という場所で仲間とプレーすることができ、これまで野球をやってきたなかで一番、楽しかった」

「自分はキャプテンをやったことで、自分のことだけじゃなくチーム全体のことが考えられるようになりました。

そのおかげで人間的にとても成長できたと思います」と、高校時代を振り返っている。

そして最後に、新チーム結成とともにキャプテンになった選手に対してのアドバイスをいただいた。

「先程も言いましたが、キャプテンはまず自分が最初に行動をとることが大切です。

動くことで、こうした方が良いのではないかというアイデアも出てきますから。

自分はそれに気付くのが遅かった。

もっと早く気が付いていれば、センバツにも出られたんじゃないかと思っています。

そして、何をするにしても輪の中心にいてコミュニケーションを取ること。

自分一人でやっているだけでは周りは付いてこないので、必要な時はミーティングを開いて、

やるべきことをチームで共有しなければいけないと思います。

もちろん、後輩とコミュニケーションを取ることも大事で、

僕らの代は人数が少なかったこともあって甲子園に出場したレギュラーのうち6人が2年生だったんですが、

野球に関しては先輩、後輩の壁を崩して、下級生でものびのびとプレーできる雰囲気作りに努めました。

そのおかげでミーティングでは、2年生も意見が言えるようになっていましたね」

そして、言葉の使い方にも気を配った。

「キャプテンが他の選手に対してキツい言い方をしても良くないと思います。

もちろん締めるところは締めなければいけませんが、上の立場から指示をするのは監督や部長先生の役割であって、

キャプテンは選手と同じ立ち位置で、みんなの先頭に立って進んでいくものだと思います


尼崎旅~あまたび~より

【市立尼崎野球部】平林弘人君インタビュー

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