上海城市新聞Vol.23『10年後の上海』(その4)はこちらです⇒ http://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/2f6fc736cf6153a3186e45431219662a
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2階建て観光バス「陸家嘴旅游環線」を「東昌路渡口」で下車すると、目の前にフェリー乗り場があります。
上海市の中央を流れ、長江(揚子江)に流れ込むのが「黄浦江(英語名:HuangPu River)」です。
上海市内は、この「黄浦江」の東側が「浦東(PuDong)」、西側が「浦西(PuXi)」と呼ばれています。
「浦東」と「浦西」を結ぶ、トンネル・橋・地下鉄 が出来る前は、フェリーが主要な交通手段でした。
フェリーは、今でも市民の足として、また観光客にも親しまれています。
隊長は、上海に来たばかりの2004年の春頃までは、フェリーの存在を知らずに、「外灘(ワイタン、英語名:The Bund)」と「陸家嘴」を行き来するのに、「観光トンネル」を利用していました。
当時の料金は、確か30元(約490円)だったと思いますが、他の手段を知らずに止むを得ず使っていました。
料金2元(約32円)のフェリーの存在を知ってからは、「外灘」と「陸家嘴」の行き来は、専らフェリーでした。
その懐かしい、フェリーが「浦東」側を離れたのは、15:00。フェリー2階の甲板からは、対岸の「外灘」側が良く見えます。
甲板から撮った動画を、こちらでご覧いただけます⇒ http://youtu.be/rnCqQkIUsHk
約10分の乗船で「浦西」側に付きました。「黄浦江」に沿った遊歩道の上から「浦東」側を眺めます。
上海に住んでいる時に、この光景を何回、見に来たことでしょうか。
遊歩道を降りると、以前来た時には工事していた「気象信号台」附近も綺麗に整備されていました。
ここから、地下鉄の駅までは、かなり遠いのでタクシーでホテル に帰る事にしました。
本当は「外灘」をもう少し散策していたかったのですが、渋滞に巻き込まれるといけないので、「気象信号台」前で15:21にタクシー を捕まえました。
タクシーは「外灘」の先の「延安東路入口」から「延安高架(高速)路」に乗りました。
上海に住んでいる頃は、タクシーで移動中に「延安高架路」で何回渋滞に巻き込まれたことでしょうか。
この日は、ラッシュアワーの時間帯前だったので、15:44にはホテルに戻る事が出来ました。
乗車料金は11kmで、料金は39元(約635円)でした。
ホテルで休憩をしてから、夕食に出かけました。この日の夕食は、「中山公園」の附近と決めていました。
「中山公園」附近には、2003年12月~2004年11月と 2006年11月~2008年1月迄の2回、計2年3ヶ月住んでいた、上海で最も懐かしい場所です。
ホテル最寄駅の「婁山関路(LouShanGuanLu)駅」又は「延安西路駅」から「中山公園駅」まで、地下鉄で1駅の距離ですが、疲れていたので、ホテルからタクシーで向かいました。
タクシーに乗車したのが17:49、「龍之夢」の前で下車したのが17:57、運賃は初乗り料金の14元(約230円)。
「龍之夢」は、ホテル、商業施設がある高層ビルで、隊長が初めて「中山公園」に住んだ2003年12月には勿論、建っていませんでした。
この夜の「龍之夢」はイルミネーションが輝いていて、とても綺麗です。
「龍之夢」の前を走る「長寧路」を東に進むと、「巴黎春天」のビルです。
ここもホテルと商業施設がありますが、この中にある「柏華麗豪華公寓(英語名:Belvedere Service Apartments)」は、上海に来て初めて住んだ場所です。
”サービスアパートメント”とは、家具付きのホテルタイプのアパートです。
「柏華麗豪華公寓」には、フロントがあり、部屋の掃除が週3回あり、シーツやタオルも洗濯してくれます。
単身赴任の隊長には、地下鉄の駅も近くにあり、このアパートから離れたくなかったのですが、家賃が会社の規定をオーバーしていて、賃貸契約が切れる1年で止むなく引越しをしました。
その懐かしい「柏華麗豪華公寓」も、まだ同じ場所にありました。
==続きは『10年後の上海』(その6)で==
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