「近くて遠い有馬温泉」
“いつでも行ける!”
が、関西圏に住んでいる人の 「有馬温泉」 のイメージではないでしょうか。
行こうと思えばいつでも行けるロケーション。もちろん、日帰りでも行けるという
距離感が、行く機会を意外と遠ざけてしまったりするものです。近場にありながら
長い歴史もあり、しかも、カラダにも良い温泉(泉質)であるのに ・・・
( もう一つあるとすれば、“料金が高い” というイメージかもしれませんが ・・・ )
若い頃に一度、
先輩(料理長)に連れて行ってもらった記憶があります。日帰りで料理を食べる
こと(仕事)が目的でした。しかし一応、温泉にも入ったと思うのですが、どこで
お湯をいただいたのかは定かではありません。もちろん、風景や街並みなど
ほとんど見ません(見えてません)でしたので、その時、何の記憶も印象もなく ・・・
今回、
日本三古湯(有馬温泉/兵庫県、白浜温泉/和歌山県、道後温泉/愛媛県)の
一つでもあるその 「有馬温泉」 に向かい、某高級料理旅館で一泊してきました。
とは言っても、某商業施設のくじ引き(ガラガラポン)で当たったもので無料です。
( 今まで、くじ引きで大きなものに当たったことなどなかったのに ・・・ 危ない!? )
「太閤様とねね様」
早目に旅館に着き、
夕食まで時間がありましたので、温泉街をブラブラすることにしました。
太閤橋、そして、ねね橋を渡ります。橋の袂に 「ねね様」 の像があります。
( ねね様の目線の先に、ねね様の方を向いておられる太閤秀吉像があります )
時間があれば、
神社(湯泉神社)やお寺を訪ねたり、有馬の街並みをゆっくり散策したいところ
だったのですが、やはり、1時間程ではそう遠出はできず、散歩レベルで近場を
一周することにしました。
「温泉街の街並み」
みやげ物屋さんや飲食店が並ぶ太閤通りから 「金の湯」 方面へ向かいます。
「金の湯」 の横手にある足湯では、たくさんの観光客の方々が楽しんでおられ
ました。その脇から情緒のある坂道を登ります。「湯本坂」 というらしいです。
赤いポストが目印の老舗昆布屋さんなどが風情を醸す一方で、街並みに溶け
込んだ新しい店舗も点在しています。若いスタッフの姿が見える店舗もあります。
ちょうど、「蜻蛉(とんぼ)玉」 を扱うお店が新規開店の準備に追われていました。
「新旧、相まみえて ・・・」
名物の
炭酸煎餅を目の前で焼いている老舗や店先で温泉饅頭を蒸し上げているような
昔ながらの老舗が、デザイナーズな今風の要素を取り入れているかと思えば、
若い店主たちは街並みを壊さないような表現を心がけながらも、独自性を全面に
打ち出す工夫を施しているのが見てとれます。そういった店舗が共存しながら、
垢抜けた印象の街並みを形成しています。今後の展開に興味が持てる温泉街
の街並みだと強く感じます。( やはり、もっとゆっくり歩いてみたい! )
町全体が
取り組むべき課題は多いのでしょうが、今の時代、無いからといって簡単には
作れませんし、逆に、有るものを簡単に壊すわけにはいきません。いかに、
ソツなく無駄なく、リノベーションできるかが町の活性化に繋がります。それが
建物であれ軒並みであれ ・・・ 特に、バブル期に大型化に向かった旅館・ホテル
が多い有馬温泉にとって、集客ありきのツケが回ってきたことは事実だと感じます。
今後一層、
会社の接待や慰安、お忍びなどの需要を昔のように期待しても無理であろう
ことは安易に予想できるはずです。とすれば、やはり、ちゃんとした集客戦略を
町(温泉)全体が打ち出す必要があるはずです。もっと言えば、今までのような
観光客や旅行会社向けのイメージ戦略だけでは勝機など全くやってきません。
特に、
食事および宿泊施設は、「有馬温泉」 という名前に頼らないで成り立つような
独自色や強みが必要ではないでしょうか。このままでは、危うい施設が増える
ことも ・・・ そして、その濁流が周囲まで巻き込んで流れ出すと、河川の氾濫や
土石流の如く、止められない激流になりうる可能性が ・・・ 。
( 地元の若い力に期待したいですね! )
「金泉と銀泉」
≪ 泉質別の特徴と適応症 ≫
● 金泉(含鉄ナトリウム塩化物強塩高温泉)
1.冷え性、腰痛、筋・関節痛、末梢血行障害などに効果
塩が肌につき薄い皮膜をつくるため保湿効果が持続します。また、メタ珪酸
といわれる物質が多量に含まれているため、肌触りがマイルドになります。
2.感染性皮膚疾患や慢性湿疹に効果
殺菌作用があります。
3.各種アレルギー性皮膚疾患、慢性湿疹、蕁麻疹、傷・やけどに効果
カルシウムイオンが豊富に含まれています。
【適応症】
炎症性および非炎症性のリウマチ疾患、外傷、手術後のリハビリテーション、
慢性附属器炎、機能性不妊症、自律神経系障害、乾癬(かんせん)
● 泉(二酸化炭素泉/炭酸泉)
1.高血圧症、末梢動脈閉塞性疾患、機能性動脈循環障害、機能性心疾患に効果
毛細血管の拡張により血流が増加します。
2.食欲増進の効果
飲用すると、胃液の分泌を刺激します。
【適応症】
高血圧症、末梢動脈閉塞性疾患、機能性動脈循環障害、無治性の傷、
手足の局所的循環障害
● 銀泉(放射能泉/ラドン泉)
呼吸器からのガスの吸入により、全身の組織へ到達し、自然治癒力を高めます。
【適応症】
硬直性脊椎症、関節の退行性症状、慢性多発性関節症、脊椎の退行性疾患、
慢性痛風、関節、筋肉リウマチ、軽度の末梢性動脈血行障害、更年期障害、
気管支性ぜんそく
以上、「有馬温泉公式サイト」 より抜粋
■ 街的興趣 ■
街が
徐々に色褪せていく
街が
どんどん寂れていく
どうも昔から
心配性な一面がある
他人の事なのに
勝手に心配してしまう
余計なお世話だと
わかってはいるけど
付けて治る薬が
今までは無かった
もしかして、
この温泉で治るとか ・・・
第五大成丸
「昔ながらの中華屋さん」
無性に “中華” が食べたくなることがある。
そやけど最近、どうも胃の調子が ・・・
そんな時、
見慣れたチェーンの中華料理は、脂っこうて ・・・ 。 しつこうて ・・・ 。
より一層、胃の調子が悪うなりそで、元気いっぱい暖簾はくぐれないもの ・・・
かといって、
ヌーベル・キュイジーヌ・シノワーズとやらで、持て囃されてるお高い
中国料理店には、Tシャツとサンダル履きで気軽に行けるはずもなく ・・・
やっぱ、
近所でおっちゃんとおばちゃんが昔っからやってる中華屋さんに通うわけです。
メニューのほとんどが手造りで、街場にある昔ながらの中華な味付けなのです。
ピカイチです!
特に、火を入れる料理は絶品。どこにでもあるチャーハンがどこにもない味に。
すべての料理がフワッとした口当たりで、ほんまに柔らかーて胃にやさしい。
たぶん、この街ができた頃から、
この変わらぬ味わいで、この街の人たちに支持されてきたんやろうなぁ ・・・ 。
■ 街的興趣 ■
タウン誌やら
街の情報誌には
載ることのないお店
B級 扱いもされない
C級グルメ 扱いである
しかし、
こんなお店こそが
その街を
その街の人を
その街の人の胃袋を
満たしてる ・・・ 。
第五大成丸
「眼下を見下ろす?」
“高層ビルから眼下を見下ろす”
昔、このビルもそういう表現がピッタリだったような記憶が ・・・
当時(1977年頃)、
このビルの最上階から 「360°パノラマビュー」 しても、大阪市内に
ここより高いビルは、中之島?に1棟あったかどうかだったと記憶しています。
今は、50棟以上あるのではないでしょうか ・・・ 。
「盛者必衰の・・・」
昔は経済成長の象徴のような感慨もあった高層ビルですが、現在の大阪では
南港のWTCのように採算ベースにないビルや街中で活気が薄れているビルは、
少しバツ悪そうにひっそり佇んでいる印象があります。しかし一方で、新たに
建てられたベイエリアやリバーサイドの超高層マンションからは “何が悪いねん?”
と悪態を吐く言葉さえ聞こえてきそうで、そのギャップに何故か、腹立たしさや
虚しささえ感じてしまいます。
世の中の常ですが、旬なモノは脚光を浴び威風堂々たる姿形に見えるものです。
しかし、全てのモノに旬があるかどうかは別として、大なり小なり必ず盛衰はあり、
持て囃されたあと、往々にして厳しい現実に遭遇するものです。ほとんどのケース
が時間的な価値の目減りです。しかし、人の場合はその人の継続努力や新たな
魅力を発揮して “捲土重来を期す” ということもできるのですが、ビルの場合、特に
雑居でテナントを集めているケースでは、そのテナントの要素が間接的にビルの
価値まで動かしかねません。この辺りに虚しさを感じるのかもしれません ・・・ 。
( “沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあわはす” )
「大阪パワーを!」
写真中央は、JR大阪駅の改修工事の様子です。
さて、どんな表情でお目見えするのでしょうか ・・・ ?
個人的には、「大阪らしさ」 を “これでもか!” というほど発揮・発信するような
大阪パワー溢れる駅(駅舎)にしてほしいのですが、まあ、無いでしょう ・・・ ね。
■ 街的興趣 ■
目線を上げれば
それが目標となる
目線を落とせば
そこに支えがある
同じ目線でライバルと
激しく競い合う時ほど
自身の手元 足元は
見詰め直すべきである
街は
そう、語りかけている
街が
そう、語りかけてくる ・・・
第五大成丸
「異常気象です!ね。」
天気がおかしいです!
関西はまだ梅雨が明けません。関東は梅雨が明けたと聞いたような ・・・ ???
とにかく、梅雨が明けるとか明けないとかの問題ではなく、日本各地で風雨による
大きな災害が起こっています。地震や台風の時のような被害が出ています。
テレビ番組である女性コメンテーターが “人間が環境破壊とかしてるから、
地球が怒ってるんじゃないの(笑)” と、異常気象や災害について発言します。
気持ちはわかりますが、どう見てもあなたもその一人です!と周囲は目線を送って
いたように見えたのは私だけでしょうか ・・・ 。( 天気の前に空気を読もう! )
早く、
太平洋高気圧が大きく張り出して、暑い暑い夏がやって来ることを願いましょう!
( これ以上、 人や 建物や そして作物の被害が広がりませんように ・・・ ! )
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「エルニーニョの夏」
皆様ご存知のとおり、エルニーニョ現象が発生しています。エルニーニョの夏は、
天候不順になりやすいです。日本に盛夏をもたらす太平洋高気圧の勢力が弱く
なるためです。このため北日本・東日本・西日本は気温が低くなる傾向があり、
北日本では日照不足も加わり、冷夏になる可能性があります。さらに、北日本の
太平洋側と西日本の日本海側は雨の量が多くなり、過去にも、九州北部や山陰で
「○○豪雨」 と呼ばれる豪雨がありました。今年の夏もいまのところ近い現象が
起こっていますね。北日本は低温と日照不足が続いていますし、先日、命名された
「平成21年7月中国・九州北部豪雨」 もありました。太平洋高気圧が弱いということ
は梅雨明けが遅れるわけですが、来週は西日本ではズラッと晴れマークが並んで
います。いよいよ?しかし、南の海上の熱帯低気圧の動きによって天気が変わり
そうなので、今の所は判断ができなさそうです。 (日本気象協会HPより抜粋)
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「街的興趣」
明日、
晴れでも 雨でも
街は変わらず
存在するだろう
ただ、
晴れなら晴れの
雨なら雨の
街なりに
用意もあるもの
“あした、天気になあれ!”
街を
訪れる人のために ・・・
第五大成丸
「昔の剣、今の菜刀」
昔は
剣として使われていたものが、今ではせいぜい菜切り包丁にしか使えないの
意から、また、昔は剣がもてはやされたが、今では菜刀のほうが実用的で
重宝がられるの意から ・・・ かつて、優れた働きをした人も、歳をとって時代に
合わなくなれば、役に立たなくなるということ。また、昔いくら良かったものでも、
今の役に立たなくては仕方がない、たとえつまらないものでも現在役に立つ
ものの方が良いということ。
これは
辞書にあった解説ですが、まるで自分のことを言われているようで ・・・
しかし、町家の窓の木枠にあった鍵(極太捻締り錠)は、まだまだ現役でした。
たぶん、私より年代ものです。やはり、負けていてはいけませんよね ・・・ 。
【 類語 】
騏りんも老いては駑馬に劣る
昔千里も今一里
■ 街的興趣 ■
いかに 便利か
いかに 容易か
いかに 利得か
すべての判断が
この程度の分別で
新しいものにあっさり
移行してしまう時代
そして、
数少なくなると惜しくなり
無くなってから欲しくなる
人間とは何と
勝手な生き物なのか ・・・
第五大成丸
「町家(町屋)で街の活性化」
昨今、
古い町家(町屋)の淳良さが見直され、大阪市内でも数年前から、若い世代の
プランナーや店舗経営者を中心にリモデルやリノベーションが積極的に行なわれる
ようになっています。そして、各種飲食店やショップ、理美容店などに様変わりして、
次々とリリースされています。中には人気店も生まれ人通りも増えて、街の活性化
にも一役買っている店舗もあるようです。
「現在と違う目新しさ」
もちろん、
京都などに見られるような単体で歴史ある大きな町家もあるのですが、やはり、
大阪市内でメインとなるのは、駅から少し離れていて開発が進まなかった街外れの
町家(町屋)がほとんどです。戦前、あるいは戦後間もなく建てられた、昭和な匂い
のする長屋のある街並みを歩くと、私たち世代は郷愁(ノスタルジア)に駆られます。
今の若い世代にとっては、“現在と違う目新しさ” を感じるという程度の視点なの
かもしれませんが ・・・
「形あるものいつかは壊れる」
“形あるものはいつかは壊れる” ものです。だからこそ、昔の雰囲気だけ切り取って
使い潰すのではなく、新たな街づくりに取り組むという感覚で、使いながら守り育てて
いくという姿勢をもってプランニングしてほしいものです。そして、その街を訪れた
人々が、郷愁とともに新しい息吹きを感じ、“また、この街に来たい!” と思える
ような、街ぐるみでの取り組みも必要かもしれません。
「規制は既成事実?」
もうすでに、
福島など、こうした動きが起こってから長い年数を経て熟成の域に入っている街
もあります。一方、茶屋町など再開発の渦中にある街は身動きが取れなくなって
いるケースもあります。空堀や上町大地、天六から中崎町にかけての地域などの
動きが活発になっているようなイメージもあるのですが、福島や茶屋町と根本的に
違うのは、その街の町家(町家)で普通に生活している人々がまだまだ多いという
ことです。その為、その生活圏の中で街の住民と共存しながら、プランニングして
デベロップメントしなければならないという、ある意味、規制を強いられるわけです。
「今後の展開に期待」
最近は、
こういった町家(町屋)を専門(優先)に扱う不動産業者や店舗開発業者もある
ようですが、できれば、地上げなどの手を使わって街ごと買い占めるようなことは
せずに、街(地域)と共存できるようなエコな開発に期待したいものですね ・・・ 。
■ 街的興趣 ■
街には
昼にない表情と匂いが
夜を漂うことがある
真夜中まで
ネオンを放つ繁華街なら
そんな二面性は月並み
暮れ泥む夕刻
白熱色の丸い外灯が
玄関上にほんのり灯る
住宅地では
当たり前の風趣だろう
ただ、それを
大切にしたいと思う
第五大成丸
「七夕まつり」
昨日、
役所に用事があって立ち寄りました。玄関ホールには大きな竹笹が ・・・
( 短冊が置いてあり、自由に願い事を書いて吊るせるようになっています )
そう言えば、毎年、わが家ではベランダに葉竹を立て、子どもたちが短冊に
願い事を書いておりました。しかし、今年は ・・・
「七色の短冊」
嫁さんに
“今年は、七夕(たなばた)せえへんの(飾らないの)?” と、軽く聞いてみます。
“安くてええ葉竹が無かったねん。ええやつは3,000円もするねん。” と、言い放ち
“(買えるかい!)” という眼つきでこちらを睨みます。私は目をまったく合わさずに
“ちょうどええやん、ここで短冊に願い事でも書いたら ・・・” と、苦しい展開です。
“今まで、散々願い事したけど、何一つ叶わんし!!” と、嫁さんからトドメの一言。
私にとっては更に苦しい展開です ・・・ 。
「恐怖の願い事」
と言いながらも、
嫁さんは短冊に願い事を書いて吊るしています。見て見ぬ振りしながら、
チラっと見ます ・・・ その内容に、思わず、私は短冊から目を逸らせます。
( 内容は言えません。それは今の私に対する凍りつくようなメッセージでした ・・・ 。)
「子どもの願い事?」
行儀良くはないのですが、
嫁さんが吊るした短冊のまわりにある他人の短冊に目がいきます。その中でも
特に気になった願い事があります。どうやら子どもの願い事のようですが、本人
は小さいのでしょうか、お母さんらしき大人の字でシッカリと代筆されています。
その黄色い短冊には ・・・ 「新しいウルトラマンになれますように!」 とあります。
「親の期待! ・・・ まさか、目論見?」
昔なら、
“ウルトラマンのように強くなれますように!” というニュアンスだったはずです。
しかし今は、現実的なニュアンス(スタンス)になっているということなのでしょうか。
“新しい” とは ・・・ 過去(既存)ではなく、未来(新規)のウルトラマン(ヒーロー)を
目指せ!という、親の強い願い(子どもへの期待!親の思惑?まさか目論見?)
が込められているような気がして、少し怖さすら感じてしまいました ・・・ 。
( 私の考え過ぎでしょうか ・・・ ??? )
私たちのヒーローだった
「ウルトラマン」 は、今の時代の子どもたちにどう見られているのだろうか ・・・
■ 街的興趣 ■
役所の休憩所
傍には大きな自販機
缶コーヒー飲んで
くつろいでいるのは
仕事のないオッサンと
学校帰りの女子高生
絵にはならない
でも、ブログネタになる
これも
現在の街風景なのか ・・・
第五大成丸
「じめじめした季節の記憶」
天気図に梅雨前線が ・・・ いつの間にか梅雨に入ったのですね。
この季節になると、映画 「曽根崎心中」 がブームとなった1978年頃、昼も夜も
この曽根崎界隈をウロウロしていたことを思い出します。学校(専門学校)が近くに
あったのですが、ほとんど授業には出ず、毎日、この街をアテもなく彷徨っていた
記憶があります。
「雨が似合うお初天神あたり」
私の記憶に残っているのは、
朝、「前夜の酒臭が残る飲み屋の草臥れた入口と蓋の外れたゴミ箱」
昼、「学生とサラリーマンがインベーダーゲームに興じる大きなゲーセン」
夜、「いかにも怪しげな街角に立つおニイさんとおネエさんの不吉な微笑み」
そして、「ひっそりと佇む雨の露天神社(お初天神)」 です。
お初天神の記憶は、
なぜか、いつも雨模様なのです。“雨が似合う寺社仏閣” であると思うと同時に、
300年前にあった出来事の主人公、“お初と徳兵衛の涙雨では ・・・ ” という思いが、
知らず知らず私の脳裏を駆け巡っているのかもしれません。そして、いまだに
欧陽菲菲の 「雨の御堂筋」 を聴くと、♪小糠雨降る御堂筋 ・・・♪ という歌詞は、
♪小糠雨降る露天神社(お初天神) ・・・♪ の間違いではないかと思うのです。
■ 街的興趣 ■
雨降りの似合う街
そうは無いだろう
もの悲しさを覚える
遣り切れなさもある
そんな街だからこそ
深く深く記憶に留まる
ただ、その記憶に
一度も傘の登場はない
何故なのか ・・・
第五大成丸
「カンバンでっせ!」
“もう看板でっせ(営業終了しまっせ)!”
と 店の奥からオヤジ(店主)の声がします。
“まだ、「のれん」 が、出・でてるやん!”
と 表(玄関)を指さしながらシドロモドロで切り返します。
“「のれん」 は、ちゃんと店の中に入れてますやろ!!”
と 目を三角にして(口元はちょい笑いながら)怒ってます。
“おっとぉー、ほんまやねぇ~。いつの間に ・・・ ”
と 年甲斐もなくおどけてみせます。
「ピンボケやないよ!」
酔った頭でファインダーを覗き込みます。
クルマの赤いブレーキランプにピントが合います。
強めにシャッターを切ります。 “ハイ、泥酔ベストショット!”
今、何時?
ええっ、雨が降ってるやん ・・・
■ 街的興趣 ■
光陰、矢の如し
歳月、人を待たず
街に時間が流れる
人にも流れが及ぶ
いや、時間の流れが
街や人を呑み込んでる
昔より
早い、早い、時の流れ ・・・
第五大成丸
「商売とはつくづく ・・・」
大手スーパーダイエー発祥の地である大阪市内にある商店街は、細くて長い
路地を歩いているような風情がある。道の両脇には安くて庶民的な店舗が200
以上も軒を並べている。通りには地元のおばちゃんやおっちゃん、若い子たちの
姿も多く、大阪らしい活気があり明るい雰囲気を醸していた。
その商店街からスパイラルに繋がっていて隣町に向かうこの商店街(写真)は、
買物客もまばらであった。そして、隣町に近づけば近づくほど人気や活気がなく
なってしまう。前述の商店街とほぼ同じ形状のアーケードで、しかも道幅は1.5倍
ほども広く、明るいはずの商店街だが ・・・ 活気がないからか、暗くて重たい感じ
が漂っている。
道幅だけでなく、個々の店舗面積も幾分大きい。ただ、その大きさが寂しさを
一層際立たせているかもしれない。店内を覗いても店人が見える割合は少ない。
“(お客に来店してもらうことを)あきらめてるのか?” と思ってしまうほどだ。一方、
前述の商店街では、スタッフの方から歩いているお客に視線を送り、“どうぞ!”
と誘引しているではないか。商売というのは、この違いだとつくづく感じる。
商売は、むずかしい。特に、商店街は連帯でもあり、確かに、むずかしい。ただ、
言い過ぎかもしれないが、結局のところ、個々にやる気がアルかナイかだろう ・・・ 。
■ 街的興趣 ■
街を歩けば
街の表情に出会える
表情とは
街の人々そのものだ
その街に
暮らす人に出逢えば
その街での
暮らしが垣間見える
だから、
街歩きは面白い ・・・ 。
第五大成丸
「クルマ離れが ・・・」
“クルマ離れが ・・・ ” という記事やニュースに触れるたび思うことがあります。
私たち世代は昔(30年前?)、18歳になるやいなや、挙って教習所に通い免許が
取れれば、即座にローンを組んでクルマを買ったものです。もちろん、目的は人
それぞれです。メカとしてのクルマそのものが好きだったヤツ、贅沢(ブランド)品を
ステータスとして所有(購入)したかったヤツ、ひたすら走りたいと考えていたヤツ、
そして、見知らぬ町をドライブしてその空気を吸ってみたいと考えていたヤツ ・・・ 。
( 私は、最後の “空気” パターンかもしれません )
確かに、クルマは必要性を感じなければ非常に高価な贅沢品でしかありません。
特に、今の若者世代にとっては、時代背景も含め価値観の多様化という観点から
必需品のランク付けや物欲の分散が起こっていることは事実であり、クルマもその
渦中で例外ではなくなったということです。ただ、PCやAVと同じ土俵で取り扱われて
いることに関しては、私たちオヤジ世代にとっては寂しい限りなのですが ・・・ 。
( クルマに足や箱の機能しか求めない方には、PC・AVの優先をおすすめします! )
「昔の記憶の底」
昔、
“○○で××時に!” と前日、友人と約束をして○○という喫茶店で待ち合わせる。
町のメインストリート、そしてメインの交差点の一角に、その喫茶店はあった。今風
なカフェではなく、昭和な佇まいの喫茶店だった。しかし、何とも言えない 「存在感」
があった。一時、自分たちの聖地でもあった。2人で待ち合わせるとクルマが2台、
3人だと3台、5人だと5台のクルマが駐車場に並ぶ。(注:暴走族ではありません)
その友人たちとそれぞれのクルマ、そしてその喫茶店、というシチュエーションが
脳裏に焼き付いている。すべてが個性的で、すべてがオリジナル。当たり前だが、
友人それぞれは顔も性格も立場(仕事や家庭環境)も違う。乗っているクルマも
それぞれ個性的、そして、その一緒に遊んでいる友人たちのクルマは、全部違う
車種である。誰一人、他の誰かと同じクルマに乗りたいとは思わなかった。今の
私の個性重視、オリジナルのすすめは、この時代に培われたものかもしれない。
この喫茶店の店名はもちろん、外観・内装・メニューなど、未だに記憶に残っている
のは何故なのか ・・・ 自身の記憶にインプットされた1コマ1コマを紐解くと、やはり
オンリーワンの存在だったからではないかと思う。これがもし、ナショナルチェーンや
ブランドショップの一つの支店(○○カフェ××店)であったら、ここまで深く記憶に
残っただろうか ・・・ 。お店のマスターの性格やバイトの女の子の表情、常連客の
仕草なども含め、それぞれのすべての存在が強い想い出となっている。
「不幸な時代」
今、
ナショナルチェーンやブランドのカフェで待ち合わせ友人と時間を過ごせば、将来、
過去を振り返った時には、“昔、あのカフェで ・・・” と想い出話はできるでしょう。
ただし、場所なり支店名を付けなければなりません。もちろん、良いこともあります。
知らない人とも “俺は××店へ行って、よく□□コーヒー飲んでた。” “私は△△
店の雰囲気が好きだったわ” と、店の雰囲気や好きなメニューなど、共通の話題に
変化させることはできるでしょうね。
しかし、その時、その場所に居た者にしかわからない共通項で想い出を語る ・・・
この感覚をどれだけ持てるか(持っているか)が大きい気もします。実際、私の
頭に深く残っている記憶や印象の90%は、幼少から20代までで覆われています。
幼少期から思春期や青年期の多感な好奇心が、それぞれの印象を強くしていた
ことは否定しません。しかし、それを差し引いても、ここ最近の印象の薄い人生は
何を意味するのか ・・・ と悩むこともあります。
“人生” までは大袈裟だとしても、生活の中に快適さや無難さを取り込んだことで、
苦労や刺激が少なくなり、印象に残るものが減ったような錯覚が起こっているの
かもしれません。また、情報の氾濫で、行く前、行う前に、ほぼ見えてしまうことで、
感激や感動に至らず、妙なストレスさえ感じてしまう時代になっている気がします。
「存在感」 すら作られてしまう(演出されてしまう)こともあり、“不幸な時代” だと
私は感じています。
( 今の若い世代は、何に存在感を感じ、何を想い出にするのだろうか ・・・ )
「存在感を放つ」
先日、ルミオンでふと立ち寄った田舎町は夕間暮れ。
交差点の一角、「存在感」 を放っていたのはこの有名コーヒーチェーンでした。
「ふと、思うこと。」
ふと思うことがあります。
私がクルマを持っていなければ ・・・
そして、この交差点に立ち寄らななければ ・・・
一生、この情景には出会わなかったのだろう ・・・ と。
「もっと、思うこと。」
すべてが目的化、目標化される時代。
逆に言えば、目的や目標がなければ動けない(動いてはいけない)時代になって
いるような気がします。それゆえ、“無駄が利益を押し潰している” という観点も
生まれてきたのではないでしょうか。間違いではありません。しかし、「無駄」 とは、
“益のないこと” であって、すべてを悪いと定義づけるのはどうなのでしょうか?
自分にとっては、無駄で益のないことであっても。自分がそれを行なうことで、他人
の益になる(役に立つ)こともあり得るはずです。すべてに利益や自身の得だけ
を考えての選択や行動をいつまで続け、それを正しいとするのでしょうか ・・・
インパクトのある人や物との出会い、また、印象的な場所やシチュエーションでの
人や物との関わりが、その時間や空間も含め、ある種 「特別」 に感じることがある
ものです。そして、その記憶の一端が年月を経ることで、自身の中で掛け替えの
ない存在(想い出)として、心に強く刻まれていることは紛れもない事実です。
個性的で オリジナルな 存在感のある人間 でありたい ・・・ 。
■ 街的興趣 ■
今日、見える風景
毎日毎日、見ている情景
初めて、見た風景
もう一度、見たい情景
今、心にある風景
いつも、心に存在する情景
第五大成丸
■ 街的興趣 ■
街には
大きなビルが立ち並んでいるイメージがある
交差点
斜向かいには 見慣れたビルが聳え建っている
そう言えば
マジマジと見詰めたことなど無かった気がする
立ち止まり
ゆ~っくり フロア階数を人差し指で数えてみた
次の瞬間
ビルはフェードアウトし 目前に大きな木が現れた
“風景がいつもと違って見えた”
と言えば大袈裟だが 紛れもなくそういう気分だった
今、見えている風景が 昔、見えていればと思う
今、望んでいる風景は 何故、見えないのだろう ・・・
第五大成丸
「埠頭の匂い」
“潮の香りのしない海” ・・・ この表現はちょっと夢がないですかねぇ。
でも、これが私の好きな海なのです。( 正確に言えば 「港」 ですが ・・・ )
貨物船やフェリー、土砂運搬船などが港内を行き交い、埠頭の岸壁に横付けされ
停泊している船舶のある風景が好きです。エンジンや汽笛の音が好きです。そして、
港で作業をしている人々が好きです。自然が広がる美しい海や白いクルーザーが
並ぶ港も良いのでしょうが、私はこうした仕事の匂いのする港湾の景色が好きです。
写真は神戸の摩耶埠頭です。
昔、仕事(海中工事/港湾整備)の為に毎日通っていて、それなりに思い入れが
ある港(埠頭)です。何らかの形で今のこの景色に自分が携わったことを客観的に
捉えると不思議な気持ちになります。あの頃、そんなことは考えもしなかった。
六甲の山手をクルマで走ります。しかし、どうも居心地が良くありません。そこから
坂道を転がるように、一気にこの港に降りてきます。すると、えも言われぬ安堵感が
広がるのです。まるで、迷子になった子どもが親を見つけた時のように ・・・ 。
■ 街的興趣 ■
潮の香りを消してしまうほどの
汗のにおいに覆われている気がする
人の汗だけじゃないかもしれない
船や岸壁が流した汗もあるかもしれない
山から見える埠頭は
青くて潮の香りがするのに ・・・
第五大成丸
「印象の良し悪し」
夜の幹線道路をクルマで走ると、明るいネオンサインで彩られた店舗ロゴや
洒落た間接照明を施した会社の大きな看板が次々と目に飛び込んでくる。
仕事柄、“これは良い印象を受ける” とか “これはマイナスになっているかも”
という良し悪しだけの両極で判断していたことが多かったと気づく。
「素敵な表情に自信が伺える」
想起しながら道の両サイドを見やると、何気ない素敵な表情に出会うことがある。
派手でも奇抜でもないのに、その表情には色艶があり、存在感があり、自信に
溢れている。もちろん、その表情や存在感を醸すのは新参者には難しいだろう。
自信を滲ませるにはある程度の歳月が必要なのだと感じる。
「本質と表情のギャップ」
飲食店は業態やグレードによって、店舗の表情や醸し方が似通ってしまうもの。
それでも、開店当初はその存在や個性をアピールするために、ややオーバー目に
見せたり、逆に高級感を意識し過ぎて構えてしまったり、気軽さを出しすぎて勘違い
されることがあったりする。しかし、店舗がひと回りする(落ち着く)と、必ず本質が
問われ、その本質と表情にギャップがあれば、他人はアッという間に冷めてしまう。
「街の表情に配慮する心」
何が良いとか悪いとかではなく、やはり、店舗の色合い(目指している方向)を素直
に表現して訴えることが、他人に自身を正しく認識してもらうという意味では最大の
近道だといえる。そして、もう一つあるとすれば、その “街の表情に配慮する心” を
持つということ。「街があるから ・・・ 街に人が集まるから ・・・ 店舗が構えられる」
という根本を大事にするということ。そういう店やスタッフを他人は見ている。いや、
そういう考えて商いをしている店に人が集まらないわけがない。
「街に溶け込む」
“街に溶け込む” とは、その街の色合いやその街で生活している人々の波長や
その街にやって来る人の興味にフィットするということなのだろうと、思いながら
その街を通り過ぎていく私。どうも、お洒落な街には溶け込めそうにない ・・・ 。
■ 街的興趣 ■
味わい深い街がある
街が醸す味わい深さ?
これって深い話なのか?
いや、
味わいのある街の話。
いずれにせよ、
一朝一夕では叶わない ・・・
第五大成丸