ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

099. マヨルカ島のメルカド

2012-10-31 | エッセイ

 急にマヨルカ島への旅に行くことになった。
 というのは、なにげなく旅行エージェンシーのガラス窓に張ってあるパンフレットが目に付いたのだ。

 マヨルカは地中海に浮かぶスペインの島。
 昔、私達がスウェーデンに住んでいたころ、夏や冬のバカンスに格安のチャーターフライトがスペインのマヨルカ島やイビザ島、カナリア島とか、ギリシャのロードス島やミコノス島などに飛んでいた。
 周りのスウェーデン人たちはそういうのを利用して2週間から一ヶ月というバカンスを満喫していたようだ。
 そのころから航空運賃、ホテル代、2食または3食付のパックツアーがあり、格安の代金を支払い、北欧では決して味わえない強烈な太陽と暖かい海、そして格安の物価での買い物などを楽しんでいたのだ。

 それは40年経った今でもずっと続いている。
 いや今はますます多くなっているようだ。
 

 私達の決めたマヨルカ島のパックツアーも、航空運賃、7泊8日の三ツ星ホテル代金、朝夕の食事つき、空港とホテル間の送迎、期間中の保険、医者の手配など、いたれりつくせりの内容で、一人の料金が350ユーロ。約3万5千円ほど。
 ものすごく安い!これはチャンスだ。

 マヨルカ島はジョアン・ミロのアトリエと美術館がある。
 ミロの母親がマヨルカ島の生まれで、ミロは50歳代から90歳で亡くなるまでの晩年をマヨルカで送った。その美術館を見たいと以前から思っていたし、ショパンとジョルジュ・サンドが一冬を過した修道院もある。
 ビーチはどうでもよいが、このふたつはぜひ行ってみたい。

 チャーターフライトはたしか1970年代に活躍したF1レーサーのニキ・ラウダが作った航空会社でラウダ航空といったが、一度潰れてエアーベルリンとなった。
 でもニキ・ラウダはまた再び新しい航空会社を作り、ニキ航空として就航していて、私たちはそれに今回初めて乗る。
 オーストリアのウィーンを拠点にヨーロッパのあちこちに飛んでいる。
 リスボンからは乗り換えなしの直通でマヨルカ島に行けるので楽だ。

 パルマ空港はびっくりするほどスケールが大きい。リスボン空港もかなり広くなったが、それよりもずっと広い。

 ホテルの部屋は冷蔵庫もなく、驚いたことにTVもない。
 最初びっくりして、部屋にTVがないとフロントに問い合わせたら、ちょっと恥かしそうに、「どの部屋にもTVは付いていないのです」と言った。
 TV用のコンセントはあるから、たぶんアナログからデジタルに替わったために、デジタルTVを取り付けなかったようだ。ホテルの全部屋のTVを取り替えると、莫大な費用がかかるのだろう。

 このホテルの支配人やレストランのスタッフはどの人もにこやかで、気持ちの良い応対をしてくれる。部屋の掃除も毎日してあった。

 TVがないと夜に退屈かもしれないと、ちょっと心配した。
 それにこのホテルはカン・パスティーラというパルマの代表的なビーチにあり、しかも空港の滑走路のすぐ近くに位置しているので、きっと騒音がすごいに違いない、それで格安料金なのだ~と思っていた。

 でも現実はまったく違った。
 夕食後、ベランダに座っていると、暗くなった空にポッと燃える火の玉が現れて、ゆっくりと降りていく。
 その後から次々と弱い光が現れたかと思うと次第に強い光になり、降りていく。
 それが飛行機の着地する様子だと判ったのは、しばらく経ってからだ。
 驚いたことに、2分置きぐらいに着地する。しかも不思議なことに、音はまったく聞こえない。
 その間に、反対側から2分置きぐらいに小型の飛行機が発進する様子が手に取るように見える。
 部屋を5階に替えてもらったので、ベランダからの眺めがよく、毎晩まるで花火大会のように楽しめた。
 
 ホテルの周りはホテルやリゾートマンションだらけで、ホテルから3分ほど歩くとバス停があり、パルマ行きや空港行きなどのバスがひっきりなしにやってくる。
 バス停で待つのはほとんどドイツ人。
 ドイツは今頃もう冬の寒さだろうから、海やプールで泳げるマヨルカは別天地なのだ。

 パルマまでバスで20分ほど。料金は1ユーロ50セント。市内はすべて同じ料金だから、バスは使いやすい。
 
 朝食をたっぷり食べて少し休憩したあと、バスで毎日、パルマ市内まで通った。
 途中から通学や通勤する地元の人々が乗り込んできて、市内に着くまでに満員になる。私達外人旅行者は始発に近いバス停から乗りこみ、みんな座っているので、立ったままの地元の人たちに気の毒だ。
 
 毎日朝10時ごろにパルマ市内に着いて、そこからさらに電車やバスで郊外に出かけた。カン・パスティーラのホテルに帰り着くのはだいたい夕方6時過ぎだった。それでもプールでひと泳ぎできた。
 


 マヨルカは思ったより見所が多い。それにどこを訪れてもわりと満足感がある。
 見所としてはミロ美術館しか期待していなかったが、そのほかの場所でもミロやピカソ、ガウディが見られたのは驚きだった。
 

 
 一応、見たいところは見て回って、はっと気がつけば、残りはあと2日。
 まだパルマの町中を歩いていない。地図を見ると、エスパーニャ広場のすぐ近くにメルカドがある。
 エスパーニャ広場の近くには観光局もバスターミナルもソーイェル行きのレトロ電車の駅もあるし、メルカドもあったのだ。
 

 買い物籠をぶら下げたおじさんが歩いている。彼の後をついていけばメルカドに行けるはず。
 でも彼が足を止めたのは、小さな小屋、トトロット、つまり宝くじ売り場だった。まず宝くじを買ってから、メルカドで買い物をするつもりらしい。
 


 メルカドはすぐ横に入り口があった。
 一歩足を踏み込むと、メルカドの活気に包まれた。



パルマの市場




パルマの市場



 魚屋の台がずらりと並び、真っ赤なエビやカニが数種類もうずたかく積まれている。
 初めてみる魚、黒とグレーの縞々、なにかに押しつぶされたように平べったい顔の魚、皮をはがれてカッと口を開いたアンコウ、鮮やかなピンク色の小さな魚。


金魚のように鮮やかな魚、値段は高い




押しつぶされたような顔の魚




皮を剥がれて抗議するアンコウ



 他の売り場では10センチほどの小さな魚をまぜこぜに売っている。これでソッパを作るらしい。
 
 マルセイユの名物料理ブイヤベースと同じだ。
 でもマルセイユのレストランではブイヤベースは冷凍魚を使っているらしい。始めに目の前に生魚の盛り合わせを持ってきて見せたが、出てきたものはスープ状態で、魚の姿はなかった。詐欺に会ったみたいで、観光客相手のレストランは信用できない~と思ったものだ。
 

 マヨルカでもソッパ・デ・ペイシェ(ブイヤベース)を食べてみたかったが、これはもともと漁師の家庭料理なので、マヨルカのレストランのメニューにあるのかどうか判らない。


ソッパ用の小魚


 私たちは朝夕2食付なので、昼ごはんは軽食しかお腹に入らない。それにレストランに入る時間も惜しい。


 魚売り場の奥に野菜売り場や肉、ソーセージやチーズ売り場などがびっしりと並んでいて、どの店も目を奪われるようなセンスあふれる飾りつけだ。


トマトが束にされて吊るされている




セップ(パリよりかなり安い)、エリンギ、奥にはSHITAKE(シイタケ)(日本の名前そのまま)




マヨルカ産のトマト




たくさんの種類のハム、チョリッソが並ぶ




豊富な種類のチーズ




バカリャウも並んでいる。ポルトガルと同じような料理をするのだろうか。


 メルカドの中だけで寿司屋が3軒もあった。店をやっているのは中国人とブラジル人ではないかと思うのだが、握りずしではなく、巻き物ばかり。
 実際に目の前で巻いていたから、冷凍寿司ではないのは確か。
 パリの中国人経営の寿司屋では解凍したばかりのほんのり温い握りずしが出てきたので、冷凍した握り寿司をそのままチンとしただけなのが明らかだった。

 売り場の隅では地元の買い物客が立ったままで、巻物をつまんでいた。
 マヨルカも寿司が一般に受け入れられているようだが、日本の料理だという顔はぜんぜん見えない。
 バスの窓からは、日本レストランがいくつも目についた。東京、横浜、京都、名古屋、富士山、そして勝軍(将軍のことか?)、霊気(どうしてこんな名前?)など、首を傾げたくなるネーミングもあった。


スシロールという名の巻き寿司。





買い物籠や素焼きの陶器、パエリア鍋が並ぶ雑貨屋




メルカドのカウンターで注文したタパス


 ひととおり見た後、旧市街を歩き回り、昼頃にまたメルカドに戻って、メルカドの中のバルのカウンターに座り、タパスと生ビールで軽く昼食。
 イカのリングフライ、ミートボール、鶏手羽の唐揚げ、野菜のテンプラ風など。
 

 メルカドの中には同じようなバルが数軒あり、どの店も満席。
 中でも牡蠣屋は生牡蠣や生貝をその場で食べさせるので、観光客が詰め掛けていた。 私たちはもう食事をすませた後だったので、残念だった。

 メルカドのバルは旨くて安い、穴場食堂だ。


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