ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

139. ノッサ・セニョーラ・ダ・カーボ・エスピシェル祭り  Festejo em Honra de Nossa Senhora do Cabo Espichel

2017-10-01 | エッセイ

 大西洋に突き出したエスピシェル岬で9月の末に行われるセジンブラの「聖母祭り」があった。

 今年は9月23、24、25日の3日間、行われた。私は「もうそろそろかな」と思っていたが、詳しい日程は知らなかった。土曜日、ちょうど友人がエスピシェル岬に行ってきたと知らせてくれた。祭りは土、日、月曜日にあるという。

 さっそく私たちも日曜日に出かけた。

 

 エスピシェル岬は600年以上も昔、14世紀の中頃、聖母マリア様の像をお守りするために大西洋を見晴らせる断崖絶壁の台地に礼拝堂が作られた。漁師たちが漁の無事を海から祈願するために。そしてそれを拝みに各地から信者たち巡礼者が訪れる様になり、その巡礼者たちを受け入れる荘厳な教会が1715年に建立され、僧房が建てられた。

 

 

エスピシェル岬の聖母教会とテレイロ広場

 

 教会の内壁と天井に施された様々な色大理石を組み合わせた模様は見事なものだ。教会では今も信者たちで人の絶えることはないが、僧房は今では老朽化が進み、窓はモルタルで塞がれたまま。外壁は今にも崩れ落ちそうで、ところどころは『崩壊危険』などと看板が取り付けられている。

 教会の両脇にアーチ柱が続いているのが僧房だが、その僧房に取り囲まれるように細かな砂利が敷かれた広大な広場がある。テレイロと呼ばれる。そこで毎年、この時期に祭りとミサが執り行われる。

 

 

教会でのミサの後、テレイロで行進が始まった。右側のアーチ回廊は元僧房。

 祭りは20数年前に一度見学したことがあったが、今回また出かけてみた。この地は野の花観察にお弁当持参で1か月に1度は訪れる慣れた場所だが、お祭りの日は全く様子が違いクルマと人で溢れていた。いつもなら羊が草を食んでいる牧場はにわか駐車場となり、羊たちはどこへ避難しているのだろう。そして土産物屋や食事を提供する屋台が何軒も出ている。普通は常設のカフェ・レストランが一軒、屋台が一軒しか出ていないが、祭りのために今回は10数軒の屋台や土産物屋が出ている。地元アゾイア村の特産、ハチミツも売っていた。

 

立ち並ぶ屋台

 

炭火焼きと焼き栗

 

アーモンドやカボチャの種などを砂糖で絡めたカラピン屋。

 

行列の先頭。元僧房の窓はモルタルで塞がれている。

 

まず女性信者たちがマリア像を担ぐ。

 

神父たちの後にマリア像。担ぎ手が男性信者たちに代わっている。

 

町のボンベイロ(消防団)のブラスバンド。

 

岬の突端のエルミダ(礼拝堂)でミサ。

 

エルミダを出発。

 

大西洋の荒波を眼下に。

 

向こうに見えるのは灯台。

 

 祭りは3時ごろから教会の中でミサが行われ、近在の人々がひっきりなしに出入りしていた。エルミダへの行列は5時ごろから始まり、辺りが薄暗くなりかけの頃まで続いた。

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