以前から何度か言及しているように、私は被爆者二世です。母が広島で入市被爆したからです。
母の体験を何とか後世に語り継ごうと、妹が一昨年『ピンク色の雲 ―おばあちゃんのヒロシマ―』という絵本を、日本語・英語・ロシア語の3ヶ国語で出版しました。
また、その出版をきっかけに集まったメンバーで「平和を語り継ぐ三世代の会」を作り、私もその一員として、戦争のない平和の大切さを伝える活動を、ささやかながら行っています。全国各地でこの絵本の原画の展示会を開いたり、年に一度地元で平和のつどいを開いたり、依頼に応じて市内の公立小・中学校で朗読やスライドによる生徒との交流会を持ったりしています。
先週も市内のある公立小学校で、卒業を真近に控えた6年生(2クラス、40余人)との交流会がありました。旧校長が現校長に我々の会の活動を紹介してくださったことにより昨年から始まったもので、今年が2回目になります。
(裏画像はありません)
平和を語り継ぐ手段としては、体験者に語ってもらうのが最善なのでしょうが、諸般の事情からなかなかむずかしく...両親たちでさえ戦争とは無縁の今の子供たちに、さほど重くはなく、でも何らかの形でしっかりと心に残るように伝えたいということで、私たちはこの絵本の原画をスライドで映写しながら朗読を聴いてもらう形をとっています。
被爆のため白血病に侵されながらも、平和への願いを込めて折鶴を折り続けた佐々木禎子さんの紹介もします。
そして、この↓のスライドは今回初めて用いたものなのですが...
アメリカ人の写真家が被爆直後の長崎で写した、日本人の男の子の写真です。歯を食いしばるようにして、裸足の彼は何を見ていると思われますか?
戦争で犠牲になった屍を灰にする現場で、自身がまだ幼く見える彼は順番を待っているのです。背中に負われ、首をたれているのは、すでに冷たくなった彼の弟か妹なのです。彼が一人でそこにいるということは、両親もすでに亡くなっているということなのでしょう...。
スライドを示しながらそう伝えた本人は、広島で胎内被爆し、父親を被爆で亡くした男性です。
「戦争とはこういうものなのですよ...」 そう語りかけられ、説明された6年生たちには、一瞬にして緊張した静寂の波が訪れていました。
最後に折鶴を折る時間を設け、禎子さんのために作られた広島の「原爆の子の像」の元に届けています。
今や、一人で鶴を折れる子は少ないのですね。びっくりです。
(裏画像はありません)
妹が著者として語りかけたこと...
「平和活動と聞くと、何か大変なことで、『自分にできることがあるのだろうか?』と身構えてしまうかもしれませんが、大袈裟に考えなくてよいのです。自分の身近なことに目を向け、自分のできることから始めてみてください。
困っている友達に『どうしたの?』と訊いて、心配してあげるだけでも、平和につながるのです。『おはよう!』と挨拶するだけでもいいのです。友達や家族に優しくしたり、大切にしたりすることが、大きな平和につながっていくのです......」
交流会の最後に、日直の男の子が代表で感想を述べてくれました。「友達を大切にしたりという、自分の身近なことをやることで、平和につながるんだと聞いて、それなら自分にもできると思うので、やってみようと思いました」と言ってくれました。
これを聞いただけでも、私たちがこの日ここにいた甲斐があったというもの...。S小学校の6年生のみなさん、どうもありがとう...お父さんやお母さんにも、感じたことを伝えてくれているといいな......。
母の体験を何とか後世に語り継ごうと、妹が一昨年『ピンク色の雲 ―おばあちゃんのヒロシマ―』という絵本を、日本語・英語・ロシア語の3ヶ国語で出版しました。
また、その出版をきっかけに集まったメンバーで「平和を語り継ぐ三世代の会」を作り、私もその一員として、戦争のない平和の大切さを伝える活動を、ささやかながら行っています。全国各地でこの絵本の原画の展示会を開いたり、年に一度地元で平和のつどいを開いたり、依頼に応じて市内の公立小・中学校で朗読やスライドによる生徒との交流会を持ったりしています。
先週も市内のある公立小学校で、卒業を真近に控えた6年生(2クラス、40余人)との交流会がありました。旧校長が現校長に我々の会の活動を紹介してくださったことにより昨年から始まったもので、今年が2回目になります。
(裏画像はありません)
平和を語り継ぐ手段としては、体験者に語ってもらうのが最善なのでしょうが、諸般の事情からなかなかむずかしく...両親たちでさえ戦争とは無縁の今の子供たちに、さほど重くはなく、でも何らかの形でしっかりと心に残るように伝えたいということで、私たちはこの絵本の原画をスライドで映写しながら朗読を聴いてもらう形をとっています。
被爆のため白血病に侵されながらも、平和への願いを込めて折鶴を折り続けた佐々木禎子さんの紹介もします。
そして、この↓のスライドは今回初めて用いたものなのですが...
アメリカ人の写真家が被爆直後の長崎で写した、日本人の男の子の写真です。歯を食いしばるようにして、裸足の彼は何を見ていると思われますか?
戦争で犠牲になった屍を灰にする現場で、自身がまだ幼く見える彼は順番を待っているのです。背中に負われ、首をたれているのは、すでに冷たくなった彼の弟か妹なのです。彼が一人でそこにいるということは、両親もすでに亡くなっているということなのでしょう...。
スライドを示しながらそう伝えた本人は、広島で胎内被爆し、父親を被爆で亡くした男性です。
「戦争とはこういうものなのですよ...」 そう語りかけられ、説明された6年生たちには、一瞬にして緊張した静寂の波が訪れていました。
最後に折鶴を折る時間を設け、禎子さんのために作られた広島の「原爆の子の像」の元に届けています。
今や、一人で鶴を折れる子は少ないのですね。びっくりです。
(裏画像はありません)
妹が著者として語りかけたこと...
「平和活動と聞くと、何か大変なことで、『自分にできることがあるのだろうか?』と身構えてしまうかもしれませんが、大袈裟に考えなくてよいのです。自分の身近なことに目を向け、自分のできることから始めてみてください。
困っている友達に『どうしたの?』と訊いて、心配してあげるだけでも、平和につながるのです。『おはよう!』と挨拶するだけでもいいのです。友達や家族に優しくしたり、大切にしたりすることが、大きな平和につながっていくのです......」
交流会の最後に、日直の男の子が代表で感想を述べてくれました。「友達を大切にしたりという、自分の身近なことをやることで、平和につながるんだと聞いて、それなら自分にもできると思うので、やってみようと思いました」と言ってくれました。
これを聞いただけでも、私たちがこの日ここにいた甲斐があったというもの...。S小学校の6年生のみなさん、どうもありがとう...お父さんやお母さんにも、感じたことを伝えてくれているといいな......。