えつこのマンマダイアリー

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護憲のつどいに参加して

2014年05月24日 | 雑記

 先日こちらの記事でご案内した護憲のつどいに参加してきました。多摩市で開かれた劇映画「渡されたバトン さよなら原発」の上映と、元東電社員や小森陽一氏の講演です。備忘録を兼ね、ここに紹介させていただきます。

 

  「渡されたバトン さよなら原発」

 この映画は、以前こちらの記事で紹介した映画「日本の青空」に続く「平和憲法シリーズ」の第3作に当たる作品です(因みに、第2作は劇映画「いのちの山河 ~日本の青空 II~」です)。
 1960年代に始まった東北電力の原子力発電所の建設計画を、何十年という歳月ををかけ、住民が粘り強く展開した反対運動によって撤回させた実話に基づいています。(制作側が作ったあらすじはこちらで見られます。)

 1960年代終わり、東北電力は新潟県の角海で浜(かくみはま)巻原子力発電所の建設計画に着手しました。地元住民が計画を知らされたのは、土地の買収がある程度進んでからの数年後のこと。町は過疎化による閉鎖の危機に瀕しており、町長は、町有地の売却と多額の補償金で町の復活を図ろうとし、計画を推進します。
 住民は推進派と反対派に分かれて対立します。原発について理解のない町民の多くはお金に目がくらみ、推進派と化します。少しでも土地を高く売って儲けたい推進派の中には、反対運動に見せかけで加わって地価を釣り上げる者もいました。漁協が中心の反対派は最初は少数で、村八分の扱いを受けていたのです。

 ところが、1979年にアメリカで起きたスリーマイル島原発事故によって反対運動に火がつき、さらに、1986年に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故によって運動は激化していきます。でも、武力や荒々しい行動に訴えるのではなく、子を持つ母親達を中心に、折り鶴に反意を込めて町長に送りつける「折り鶴運動」を展開。役場に折り鶴があふれ、折り紙も尽きた後は、メッセージを書いたハンカチをそこかしこにくくりつけ、反意を表わしていきます。
 1996年、反対派は、推進派の圧力を尻目に自らが実行に持ち込んだ住民投票で圧勝、東北電力に突きつけますが、計画が撤回されるまでにはさらに8年の月日を要しました。計画が公表されてから、30年以上が経っていました。

 物語は割烹旅館を営む家族を軸に展開しますが、家族の中でも推進派と反対派に二分され、家族の関係はぎくしゃくします。
 それでも、時間をかけ、丁寧な議論を積み重ねることにより、家族は気持ちを一つにしていきます。自分と反対の意見に対し、ただ自分の意見を主張して押しつけるのではなく、相手の持論にも耳を傾け、静かに議論しようとする姿勢が印象的でした。
 最初から反対派だった三姉妹の三女の言葉に、映画の主題が込められています。「私たちは、先祖から歴史というバトンを受け継いできていると思うの。でも、そのバトンには、大気汚染とか原発とか、いろいろな物がくっついているんじゃないかしら。だから、受け継いだまま次に渡していいかどうか、考えなくちゃいけないと思う」と。

 ときには観客の失笑を誘うユーモアが盛り込まれ、ときには涙を誘われる場面もあり...全編を通して人への温かさが満ちていて、重い主題のドラマですが、見ていて救われる思いでした。
 また、30年という時の経過を、この三姉妹の結婚式の写真撮影で表わしていました。そんなしゃれた味つけが、折り鶴やハンカチとともに、このドラマを柔らかく品の良いものにしていると感じました。

 現代生活はIT化によって物流が速くなり、その分、私達の物の見方もとかく近視眼的になりがちだと思います。そんな眼には、30年以上に亘る取り組みなんぞ気が遠くなるようですが、過去・現在・未来に通じ、長期的に見通す視点に立ち、行動していきたいと思わされるドラマでした。草の根の活動、諦めない気持ち、子孫を思う気持ち、歴史に学ぶ姿勢、原点に立ち返る思考...そういうことが大切で、そういうものに裏打ちされたバトンを子孫に渡していきたいと...。

 

 元東電社員 I氏の話

 1962年東電に入社。在職中は、労働組合員として原発に反対の姿勢をとっていた。
 会社側は会社への批判勢力を許さず、さまざまな妨害・攻撃・嫌がらせを行い、村八分にして追い詰め、果ては賃金差別に追い込んだ。辞める者も多く、会社に対してYes manばかりの職場だった。

 1976年、東電を相手に、社員の人権侵害・賃金差別撤廃訴訟を起こし、19年2ヶ月の時をかけて勝利和解に持ち込んだ。そんな中、巻原発への反対運動が起こり、応援した。42年間の在職の大半を、訴訟で過ごした。

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 I氏は元東電副社長の加納時男氏を痛烈に批判していました。加納氏は、2011年5月5日朝日新聞の取材にこう答えています。
 「原子力賠償法には『損害が異常に巨大な天災地変によって生じたときはこの限りではない』という免責条項もある。今回の災害(管理人補足:東日本大震災のこと)があたらないとすると、一体何があたるのか。全部免責しろとは言わないが、具体的な負担を考えて欲しい」
 「低線量の放射線は『むしろ健康にいい』と主張する研究者もいる。説得力があると思う。私の同僚も低線量の放射線治療で病気が治った。過剰反応になっているのでは。むしろ低線量は体にいい、ということすら世の中では言えない。これだけでも申し上げたくて取材に応じた」

 

 元「フクイチ」労働者 M氏の話

 1945年生まれ。20年以上都内の検査会社に勤務。
 2003~2007年、福島第一原発の非破壊検査業務に携わる。非破壊検査とは、原子炉にできたヒビや穴から洩れる放射能汚染の有無を超音波やレントゲンで検査し、補修するもの。原子炉タービン建屋の検査場所は、当時から高い放射線量だった。
 できてから40年経つ原子炉は、至る所で劣化が進んでいる。東電は、津波によって福島第一原発が壊れたと説明しているが、地震によってすでに配管などが壊れていたのではないかと、検査経験のある自分は考えている。

 

 小森陽一氏の話

 「昨日、5.15は日本国民にとって特別な日となってしまいました」という、安倍首相の解釈改憲に関する会見を憂える言葉で口火が切られました。講演の要旨は次の通りです。

 70年もの間、歴代首相が変えなかった集団的自衛権行使の解釈を変えるという表明を、安倍首相はした。
 しかし、安保法制懇の解釈改憲を提言する報告書は何ヶ月も前から出ていたのに、秘密保護法案を強引に通したりしたことで国民の支持率が下がったため、今回の表明が先送りされてきた。これは国民の草の根の反対運動が実を結んでいることの証だ。今年で10周年を迎える「九条の会」も、全国で7,000を超える規模になっている。この70年で最も危険なときである今は、国民の力で安倍政権を止め、さらに押し返すときだ。

 従来の自衛隊の海外活動は、国連の集団安全保障に基づき、非戦闘地域でのPKO(平和維持活動)しかできない。例えば、ソマリアの海賊への対処活動を行うために、自衛隊はアフリカのジブチ共和国に基地を置き(そばにはアメリカとフランスの基地もある)、海上自衛隊の護衛艦を派遣している。しかし、集団的自衛権の行使を容認すれば、自衛隊が戦闘地域で武力行使ができるようになる。

 さらに、集団的自衛権の行使を容認することと、原発の輸出や再稼動とは一体化、不可分に結びついていて、そのことが問題だ。
 二者が一体化していることは、2011年10月5日号の雑誌『SAPIO』での石破自民党幹事長の発言(「核の潜在的抑止力を持ち続けるためにも、原発を止めるべきではない」)からもわかる。原発を稼動すれば、核爆弾の材料となるプルトニウムを作り続けることになるからだ。
 チェルノブイリ事故後、アメリカでは原発を新しく作ってはいないので、作る企業もないし、人材も育っていない。でも、ノウハウ=知的所有権:特許は持っている。そこで、特許を日本に売りつけてきて、アメリカの原発会社を買収したのが東芝の現社長だ。原発を巡る利益集団、「原発利益ペンタゴン(政・官・業・学・報)」が生まれ、原発輸出を図る安倍首相は、そのトップセールスマンとなっている。

 福島第一原発の現状を知ることが、安倍政権を止めることにつながる。
 小出裕章氏の最新書物によると、「4号機の溶けた炉心はおそらく一箇所に固まってはおらず、散乱していると考えられる。閉じ込めるには石棺しかないだろうが、その前に使用済み核燃料を取り出さなくてはならない。それには10年はかかる」という。しかも、4号機はたまたま点検中で運転していなかったため、水素爆発を免れ、建屋の中を把握することができたが、1~3号機は中を確認することさえできない状態だ。さらに、汚染水を保存しているタンクの耐用年数は3年、しかも、敷地内にもはやタンクの保存場所はない。
 それで福島の原発は収束したと言えるのか。

 

                                        


 5月17日付東京新聞朝刊の一面の記事によると、福島第一原発からの汚染水は外洋に拡散し続けている可能性が高いということです。原子力規制委員会が公開している海水データ「環境放射線データベース」を基に、東京新聞が分析した結果だそうです。

 安倍首相は、事あるごとに「国民の命とくらしを守るために云々」とおっしゃる。そんなに守りたいと思っていらっしゃるのなら、集団的自衛権云々の前に、福島県民の生活と土地の安全をきちんと担保し、その言葉に偽りがないことをまずは証明していただきたいです。「福島の汚染は専用港内で完全にブロックされている」と、世界に向けて平然と大嘘をついた口から出る言葉が真実であることを証明できるのは、国民の誰もがわかる形で実績を示すことだけです。もはや「そのお口からのまやかし言葉」は要りません。どんなに声高々に叫ばれようとも。どんなに美辞麗句を並べられようとも。

 安倍首相の目に余る言動に比し、5月21日に福井地裁が関西電力に下した、大飯原発3・4号機の運転差し止めを命じた判決には、久々に溜飲が下がる思いでした。樋口英明裁判長の判決要旨の中で、特にこの部分には快哉を上げました。
 「被告は原発稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いという問題を並べて論じるような議論に加わり、議論の当否を判断すること自体、法的には許されない原発停止で多額の貿易赤字が出るとしても、豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これをとり戻すことができなくなることが国富の喪失だ

 

 最後までお読みくださり、ありがとうございましたm(__)m

 


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