えつこのマンマダイアリー

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地域協働のきっかけに ~柳澤協二氏の講演~

2016年09月27日 | 雑記

 先週のことですが、地元で開催された「『政治を変えよう、いなぎ市民の会』結成の集い」に参加し、元内閣官房副長官補柳澤協二氏(「柳澤協二の部屋」)の記念講演を聴いてきました。氏は、安保法や集団的自衛権の問題点と安倍政権の危険性について、著書や講演会で発信し続けており、東京新聞でも定期的に意見を発信しています。
 とてもわかりやすく充実した内容だったので、ぜひみなさまにも氏の情報や見解を共有していただきたく、氏のパワポのレジメを補足する形で概要を紹介します。時間の関係で割愛された部分など、補足説明がなくてわかりづらい部分もあると思います&長くなりますが、最後までお読みくださると光栄です。

 

 

 講演タイトル: 動き出す安保法制と自衛隊・国民 いま国民が考えたいこと

 その問題意識は次の2点:
  ①すでに成立した安保法制を廃止するのは現実的にむずかしい。また、ただ批判・反対しても権力に効果はない。
   現実化する法制に対して国民としてどうするかが課題。
  ②「戦争には反対だが、北朝鮮や中国・テロにどう対処するのか。そのためには抑止力が必要ではないか」
   というのが国民の揺れるところ。
   どういう平和を望むのかを考えたい。

<安保法制で何が決まったか?>
 法律事項は次の4つで、本質は日米一体化武器使用拡大
  ①自衛隊の派遣拡大
  ②自衛隊の武器使用拡大
  ③米軍へ支援内容の拡大(弾薬・給油)
  ④自衛隊員の罰則の海外適用
 ※沖縄の高江でのヘリパッド工事で、自衛隊のヘリが資材運搬を行なったが、
  これは米軍支援に当たるので、本来は違法行為である。

<日米一体化>
 
安倍首相の論理:米艦を守れば日米一体化し、抑止力が向上し、日本が戦争に巻き込まれることはない。
 つまり、政府は「巻き込まれないと、アメリカに見捨てられるのではないか」という心配があるため、
 「巻き込まれてあげるから、日本を見捨てないでほしい」という選択をしている。
 しかし、もう一つの論理がある:米艦を守れば日本が敵になり、攻撃を誘発し、戦争に巻き込まれる。
 ゆえに、「巻き込まれずに、見捨てられない方法」を模索したい。

<武器使用による海外任務へ>
 
 ・戦闘地域の後方支援
  ・治安維持
  ・駆け付け警護 例)南スーダンではPKO関係者を警護することになる。
 つまり、「身を守る武器使用から敵をやっつける武器使用」へ転換
 ⇒戦闘リスク・テロの標的リスクが増す

<安保法制と今そこにある危険>
 ◆南シナ海と日米一体化
   安保法制で、米艦護衛が可能に⇒巻き込まれる危険が現実化
 ◆南スーダンと武器使用拡大
   自衛隊が「駆け付け警護」・「宿営地防護」する⇒武装勢力との撃ち合いの可能性
   「一発の弾も撃っていない自衛隊」だからこそ、イラクで歓迎されたのに…

<日米一体化で核問題は解決しない>
 ◆戦争の動機は恐怖と名誉
   北朝鮮の核保有:アメリカが怖いから。
   アメリカの抑止力:覇権(名誉)を守るため。
  日米一体化が進めば、北朝鮮は日本の米軍基地を狙うはず。
 ◆戦争に勝っても問題は解決しない
   抑止力一辺倒ではない安全保障・外交を模索すべき、別の視点で考えるべきではないか。
    例)核の先制不使用(オバマ大統領は反対に会って諦めた様子だが、先制不使用を宣言すれば、
      北朝鮮も核を持つ必要がなくなるのではないか?)

<南シナ海と尖閣は別の戦争>
 
◆覇権の戦争と主権の戦争
   南シナ海:米中の覇権争い=優位を維持する戦争
   尖閣諸島:日本の主権を守る=ナショナリズムの戦争
  アメリカが守るのは海洋秩序であり、他国の主権ではない。「日中の岩をめぐる撃ち合いに巻き込まれたくない」
   という本音が、ある日の『Stars and Stripes(星条旗新聞)』に読み取れた。
 ◆覇権の戦争に加担すれば、日本の防衛が手薄になり、日本の基地が攻撃対象となる。
  自国の主権を守るのか? 他国の主権を守るのに加担するのか

<ミサイルからどう守るか? 何を守るか?>
 ◆ミサイル防衛は万能ではない。実験では90%台だが、実戦ではもっと低くなるだろう。
 ◆北朝鮮がミサイルを撃つのは、アメリカに対する抑止力のため。
  アメリカからの報復を覚悟して本気で戦争するときは、近い米軍=日本の基地を攻撃するだろう。
 ◆日本は「過ちは繰り返しません」と言いながら、アメリカの核の傘下を選んでいる
  =核の傘への信頼核を使え、という論理
  日本に核が落とされなければ、他国に落とされてもよい、ということか? 

<武器を使えば安全か?> ~自衛隊のイラク派遣の教訓~
 ◆イラク派遣では…
   ▼任務の限定・武器使用の抑制・非戦闘地域(サマワ)での人道復興支援のみ
    にも拘らず、リスクはあった 例)宿営地に砲弾・IED(即席爆発装置)・群衆との摩擦
   ▼小泉首相「一発も撃たない、これが大事」 そして、実際に一発も撃たなかった
    しかし、イラクでの行為以上のことをすれば、戦死者が出る

<リスクは増えない?> ~自衛隊員のリスクとどう向き合うか?~
 ◆政府答弁:「平時でも危険」「訓練で局限」
  実際には…:撃てば撃たれる
 ◆「殺されるリスクから殺すリスク」へ
  至近距離で人を撃つのには相応の覚悟が必要であり、人に向かって撃つ訓練が必要となる⇒新たなリスクの発生
  ・イラク派遣隊員の自殺は29人/1万人
  ・米軍帰還兵の25%がPTSDに苦しむ=MORAL INJURY

<現場へのしわ寄せ> ~武器使用と武器行使の違い~
 ◆戦闘行為:国際紛争としての殺傷・破壊
   国家の意志で戦闘行為を行えば、武力行使 
   個人(自衛官)の意思で行えば、武器使用
  しかし、武力行使を憲法9条が禁止しているので、その代わりとして、
  自衛官個人が武器使用の権限=憲法違反の任務を与えられているという現実
 ◆殺したらどうなるか?
   軍隊ではなく個人の行為とみなされる⇒殺人として自衛官個人の刑事責任が問われる、という不条理
  「今まで一発も撃たなかったから、撃たれなかった」という理屈になぜ気づかないのだろうか?

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<戦争を防ぐ市民常識を作ろう>
 ◆戦争を知らない日本
   国家像の問題:何を守るか=どういう国でありたいか?
   国民意識の問題:「戦争は嫌だが、中国・ミサイル・テロは怖い」という主権者としての
   選択の迷いがある。
 ◆戦争とは何かどんな平和を望むのか? 

<戦争と平和を考えるキーワード>
 ◆戦争と抑止と平和
   戦争:暴力による国家意志の強制 
   抑止:暴力による戦争意志の抑圧
   対立があるから抑止するというのは安全ではない。
 ◆平和とは何か?*
   戦争がないから平和(軍隊による平和)か?
   対立がないから平和(政治による平和)か?
   「政治による平和が大事で、まずそれをスタートとしたい。     

<国家はなぜ戦争するのか?>
 ◆戦争の要因:利益・恐怖・名誉
   ・世界大戦の時代:国家の生存・軍事的優位・民族の栄光が同じ方向を向いていた。
   ・核の時代:異質な体制の対峙・核の恐怖による抑止
   ・グローバル化の時代
     プラス面) 相手の破壊は自分の不利益となる
     マイナス面)ナショナリズムと過激主義の台頭 例)南シナ海をめぐる覇権争い
    戦争しない条件と戦争の契機が併存する状況で、何を活かすか?    

<国家はどのように戦争するのか?>
 ◆戦争の三位一体クラウゼヴィッツ戦争論より):
   戦争を支配する三要素:感情の主体である国民・技能の主体である軍隊・理性の主体である政府
   
その3つのバランスがとれている状態が三位一体
   戦争を始めるためには、国民の熱狂が必要 ⇔ 戦争を防ぐためには、国民感情の鎮静化が必要。
   本来は、政治が国民感情の鎮静化を図るべきであるのに、現在の日本政府は反対の方向。
   (戦争の危機をちらつかせると、政権の支持率が上がるから。)
 ◆判断を決める「時代精神」が、平和主義と戦争の恐怖(中国・ミサイル・テロ)との間で揺れている

<テロと日本の国家像>
 ◆イラクで自衛隊はなぜ歓迎されたか?
   日本は原爆被爆国から経済大国になった国
   一人も殺していないという「日本ブランド」
 ◆ソマリアの海賊はなぜいなくなったか?
   マグロを海賊から買いつけたことに起因(マグロで利益をあげられれば、人質をとる必要なし)
 ◆アフガニスタンの灌漑設備
   復旧のために、ケシ栽培から野菜栽培へシフト
 これらの例から、自衛隊派遣が唯一の回答ではないことがわかる。

<国民はなぜ戦争するのか?>
 ◆戦争は国家の行為、しかし、戦場に行くのは国民
   国民が戦争に行くのは、「殺したいから」ではなく、「死んでもいい」から。
   自己犠牲の正当化国家>家族>自分「大義のために死ぬ」という自己実現(自爆テロと同原理)
 ◆主権者の選択:「他人事ではない」という考えを持とう。 
   自分がやらないことを他人にやらせていいのか? その葛藤がなければ、人間性を喪失する。
   自分のこととして考えたらどうなるか? 自分のこととして考えてほしい。

<自衛隊を支える「国民の負託」>
 ◆自衛隊員の服務の宣誓:
   「私は、わが国の平和を独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し…(略)…
    事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。」 
  つまり、
  ・自衛隊に対する国民の意志は、日本を守るために命を懸ける
  ・自衛隊は政治の命令によるのではなく、国民の負託によるもの  
  ⇒何を負託するか、決めるのは国民
 
   自衛隊を主権者としてどう使うのか? 同時に、主権者としての責任を考えるべきだ。

<戦争は誰のものか?> ~若者に考えてほしい戦争~
 ◆戦場に行くのは若者
   国家の戦争、しかし、行くのは若者
   戦争は若者の権利=戦場に行かない権利もある
   国家優先の論理:国家>家族>自分=英霊の思想
 ◆母親に何と言うか?
   過去の戦争で本当に必要な犠牲だったのか?
   真偽はともかく、「ソ連を崩壊させたのは母親たち」という説あり
   ⇒母親たち(自分の問題としてとらえ、考えられる存在)のパワーをどう活かすか?
 ◆老人が始める戦争
   戦場に行かない老人が若者に行かせるのは正義か?
   「戦争に行かないのは臆病」という考え⇒行かない人間は臆病でいなければいけないのではないか?

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 *平和の定義については、こちらの過去記事:「新聞記事より ~「積極的平和主義」と「戦争できる国」~」をぜひご参照ください。また、この記事の終わりで、2012年当時の自衛隊の現状について引用しています。

以上

 なお、柳澤氏の過去のシンポジウムの内容を、氏のくだんのサイトで見ることができます。

 

 冒頭の画像でもわかるように、柳澤氏の話は、穏やかながら&時折ユーモアを交えながらも、強い意志と思いが感じられるものでした。要点を押え、わかりやすく論理的に展開されました。
 また、この日は生憎の雨模様だったにも拘らず、この集いへの参加者は優に100名を超えていました。権力への地域での共闘に対する熱い意思が感じられ、心強く思いました。
 さらに、私にとっては嬉しい再会もありました。8年前、共に実行委員として取り組んだ「憲法ミュージカル in 多摩」の仲間の女性弁護士さんと、4年ぶりに再会したのです。若い人ががんばっているのを見ると、勇気が出ますね。いろいろな意味で参加してよかったです。 

 先日の9月19日は、安保法制が成立した「9.19」から1年目でしたが、廃止を訴える23,000(主催者発表)もの人々が、雨の中、国会前でデモを繰り広げていましたね。それに行けなかったので、代わりの意味も込め、この記事を作りました。冗長、あるいは逆に言葉足らずで、わかりにくい部分もあるかと思いますが、行間を読み、ご自分で考えることで補っていただけたら嬉しいです。
 最後までお読みくださり、ありがとうございましたm(__)m

 


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