(↑神奈川県立「相模原公園」にて2024年4月29日撮影
※記事内容には関係ありません。)
だいぶ前の記事で恐縮ですが、東京新聞朝刊の2024年4月5日付社説「国の指示権拡大 地方自治を後退させる」を紹介します。
なお、記事内容が「ショック・ドクトリン」に関するものではないことを予めお断りしておきます。ブログ記事タイトルをこうした理由には、新聞記事を紹介した後に触れます。
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「国の指示権拡大 地方自治を後退させる」
*日弁連会長の声明は、こちらの「地方自治法改正案に反対する会長声明」で見ることができます。
※東京新聞は、この法案について4月11日付朝刊記事でも触れています。こちらの記事「非常時、国が直接指示 地方自治法改正案『上意下達に変える恐れ』」をご参照ください。
自然災害、自民党の裏金問題、紅麹事件など、世間が惨事や事件に耳目を奪われているときは要注意ですよね。この「地方自治法改正案」など、往々にして重要な議案が国会で淡々と通過したりするからです。
「改正NTT法」は4月17日の参院本会議ですでに成立してしまいました(こちらの日経新聞記事をご参照ください)。NTTを完全に民営化し、外国人役員を取締役全体の3分の1未満まで認めるよう緩和する(=外資に開放する)という、とても重要な改正(改悪!)でした。また、4月9日に衆院を通過し、17日に参院で審議入りした、特定秘密保護法の経済安保版である「重要経済安保情報保護法案」も、重要な案件であるにも拘わらず、核心部分は成立後に政府の運用基準で閣議決定されることになっており、東京新聞は度々この法案について記事を掲載しています(こちらの記事やこちらの記事をご参照ください)。
でも、これらの法案についてはテレビや新聞で報じられているだけまだましです。WHOが来月末に目指そうとしている「パンデミック条約」採択(正式には条約ではなくagreement。外務省の仮称的?便宜的?翻訳です)と「国際保健規則」改訂承認、レプリコンワクチンの日本国内生産と普及など...日本政府が着々と進めようとしているにも拘わらず、表のメディアに決して客観的には報道させない重要な政策について、枚挙に暇はありません。(因みに、去る4月13日に池袋で行われたパンデミック条約締結と国際保健規則改訂に反対するデモには2万人が参加したそうですが、大手メディアは報じておりません。) どれを見ても、為政者がグローバリストに忖度し、全体主義への道を着実に踏み固めていっている/いこうとしていると私は感じます。
ここでようやく、タイトルに採った「ショック・ドクトリン」の登場です。カナダ出身のジャーナリスト・活動家のナオミ・クライン氏が定義した言葉で、彼女が著した『ショック・ドクトリン』では「惨事便乗型資本主義」とも表現されています。国際ジャーナリストの堤 未果氏の『100分 de 名著 ショック・ドクトリン ナオミ・クライン』(NHK出版)から引用すると、「戦争、津波やハリケーンのような自然災害、政変などの危機につけこんで、あるいはそれを意識的に招いて、人びとが呆然自失から覚める前に、およそ不可能と思われた過激な至上主義経済改革を強行すること」です。
年頭から各地で度々地震に襲われ、次々と政治問題や社会問題が取り沙汰され、国民の耳目や気がそちらに奪われている一方で、国会では重要な法案が次々通され、報道されないところではWHOの蛮行(だと私は思います)を政府が受け入れようとしている現在の日本は、まさしくこのショック・ドクトリンが遂行されている最中と言えるのではないでしょうか? そう感じたので、記事タイトルに「ショック・ドクトリン」を入れました。
(※堤氏(こちらの過去記事で、私が聴いた彼女の講演会の内容が見られます)がくだんの書物でクライン氏についてこう紹介しています。「今世界で最も影響力のある政治思想家」であり、「彼女の立ち位置は、一貫して、グローバリズムの影の部分に対する告発です」と。)
堤氏の解説でのクライン氏によれば、ノーベル賞受賞者であるミルトン・フリードマンの三大ドクトリン(規制緩和・民営化・社会保障削減)を、独裁政権下のチリを皮切りに、「フリードマンチルドレン」が惨事や政変に便乗する形で世界中で実行してきたと。日本でも、中曽根康弘政権下で始まり、竹中平蔵氏とタッグを組んだ小泉政権下では「小泉チルドレン」が各地で暗躍...その後政権は変われど、今日に至るまで着々と進められてきましたよね。
ここで話が飛びますが...高校3年次の英語のリーダーの授業で、ジョージ・オーウェルの『Animal Farm』をテキストとして1年間勉強させられました。人間社会を動物社会に置き換え、「民主主義が全体主義や権威主義へと陥る危険性、革命が独裁体制と専制政治によって裏切られ、革命以前よりも悪くなっていく過程を痛烈かつ寓話的に描いた物語」(Wikipediaより)です。大学受験のこと、いえ、それより、留年しないようにすることしか頭になかった当時の私には、オーウェルの深遠な寓意まで到底理解することはできませんでしたが、現在の日本や世界の動きを見ると、フリードマンドクトリンが新自由主義の名の下で世界にグローバリズムを浸透させ、民主主義を全体主義へと移行させつつあるように思えてなりません。まさに、オーウェルが80年近く前に描いた世界が作られつつあるように感じるのです。
閑話休題...堤氏がくだんの書物の中でこんなことを言っています。社会を民主的に維持していくためには、人や状況を俯瞰して見る視点が不可欠で、その視点とは、
・歴史的ファクトを丹念に拾っていくこと
・世界規模で現象を見ること
・お金の流れに焦点を当てること
だと。
「現実の中で起こった事象を点として見るのではなく、点と点をつないで線にする。そして視野を世界全体に広げることで、その線を面に広げる。そこに時間軸の歴史的視点を入れて立体的に見た時に、初めて浮かび上がってくるものは、私たちを立ち止まらせ、深く考えさせ、人間として確かにしてくれます。」
「起きていることを多角的に、俯瞰して見るスキルを身につけると、目に映る世界が本当に変わります。少ない情報でも、未来が見えるようになると、主権者としての自分の立ち位置がクリアになっていくのを実感できるでしょう。」
「物事を深く、長く、広く見る力を失い、自分の頭で考えることを放棄してしまった時にこそ、ショック・ドクトリンは牙を剥き、私たちはいとも簡単に餌食にされてしまうのです。相手は人間ではなく、果てなき欲望を現実化するための『方法論』に他なりません。それを打ち負かせる武器はたった一つ、物事を俯瞰して眺め、本質をすくい上げる、人間の『知性』なのです。」と。
現在の為政者の暴走、全体主義への移行を止めるのは、やはり国民一人一人がどこまで民主的社会を維持することにがんばれるか、いつまでその意識や意志を持ち続けられるか...そこにかかっているのではないでしょうか。そのためのたゆまぬ努力と諦めない気持ちを持ち続けないと、日本が、世界が、オーウェルの描いた『動物農場』や『1984』(これも今の監視社会を予言していたかのような内容!w(☆o◎)w)のようになってしまいかねないと私は思います(^^; キーワードは「物事を俯瞰して眺め、本質をすくい上げる、人間の『知性』」ですね(^^)v
またまた長くなりました。具体的に言及できないため何を言っているのかわかりにくかったり、途中を端折っているため論理が飛躍していると感じたりする部分があるかと思いますが、お許しくださいませ(膨大な解説が必要になるため、割愛しております。疑問点はぜひご自分でお調べください。)。最後までご清聴、ありがとうございましたm(__)m
堤さんの調査力と分析力に基づく慧眼を信頼している&私の主権者としての立ち位置はブログで意見を発信することだと考えているtakuetsu@管理人でした。
堤氏の『堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 』も併せてご参照ください。
そんな話よりNTT法だのパンデミック条約を考えてほしいけど考えないのはこの党だけじゃないし…
ジョージ・オーウェルやアシモフの小説をもし若い頃に読んだとしても
「いくら作り話ったってほどがある」なんて思ったでしょうね。
コロナ騒ぎが始まった頃、
『1984年』と『はだかの太陽』を初めて読みましたが、
2020年のことでした。
しかもそれを続けようとしてるとしか思えないですねぇ
(-_-)
※
アレがとてもアレなので打ってない人でもレプリコンの事を知らなかったですよ。
もう安全地帯に居るという安心感かなぁと思いましたよ。
パンデミック条約について触れているのは、オレンジ色の党くらいじゃないでしょうかね。
『1984年』を読まれたのですね。オーウェルが生きていたら、今の世界を見て何を思うでしょうね。さらに何十年か先を読み、次の小説を書いていたかな。ある意味、それを読んでみたかったです(^^;
『Animal Farm』で最も印象的だったのは、豚のsupervisorのいやらしさでした。この単語を覚えたのもこのときです。
今思うと、オーウェルがこの単語を選んだ意図がわかるようですね(^^;
※
>アレがとてもアレなので打ってない人でもレプリコンの事を知らなかったですよ。
もう安全地帯に居るという安心感かなぁと思いましたよ。
そうなんです、私より先駆者だった人がレプリコンは知らなかったりするんです。シェディング(これについての考えは人それぞれでしょうけれど)のことを考えると、決して安全地帯にいるとは思えませんけれどね(^^;