8.
こうして、放射線療法、ホルモン療法ともに、治療を受けながら共通の大きな疑問に私は突き当たったのだ。「どうしてM先生もY先生も、副作用の説明が不充分だったのだろうか?」 その理由を考えてみた。
まずは大前提として、副作用というマイナス面を差し引いても、これらの治療から充分な効果が期待できるという事実があるだろう。
それから、放射線療法もホルモン療法も、抗がん剤治療ほど劇的で目に見える副作用が少ないため、医師も患者も副作用を軽視しがちなのではないだろうか。実際、治療前にある程度勉強していた私でさえも、手術が終わった時点で治療の大半が済んだような錯覚に陥ったし、抗がん剤治療が避けられたことでかなり気持ちが楽になったものだ。それでも、放射線療法もホルモン療法も、目に見えないところで着実に副作用が起きているのが現実だ。さらに言えば、副作用が目立たない分、対処が厄介だといえるかもしれない。
次に、「自分が医師ならどうするだろうか?」と自問してみた。どんな治療でも、効果と副作用とを天秤にかけながら選択されることを考えると、副作用より効果を前面に押し出したくなるのが、医師側の心理かもしれない。患者をしてより前向きに治療に取り組んでもらおうとすれば、なおさらだろう。ましてや、ものの書物には、女性の更年期障害の症状は200種類もあると記されている。それだけ千差万別、個人差があるということだ。だとすると、それだけの起こり得る副作用を事前に説明するのはむずかしいし、患者に先入観を持たせないためにはかえって不要、場合によっては邪魔になるかもしれない。
そう考えてくると、医師側は症状が出たら対応するという対症療法しかできないことになる。しかも、Y先生が繰り返し口にする一般的な「エビデンス」と治療のガイドライン、そして自分の臨床経験に基づいて。そう、それが西洋医学と東洋医学との大きな違いなのだ。東洋医学は、医師の目の前にいる特定の患者の体そのもの、しかも体全体を診る治療であるのだから。
ここで患者の立場に戻ると…医師が対症療法しかできないとなれば、患者は自覚した不快な症状を医師に伝えていくしかないではないか。患者からの訴えがなければ、医師は治療が順調だとみなすだろうから、とにかく訴えて、匙加減を細やかにしてもらうしかない。そうだ、訴えるが勝ちなのだと、私はようやく悟った。
それからの私は、医師に気を使って遠慮したり、医師を喜ばせるために元気なふりをしたりする“ぶりっ子患者”を返上し、“わがまま患者”に徹することにした。誰がなんと言おうと、どこにも説明がなかろうと、がんに関係あろうがなかろうが、自分が感じた不快な症状は主治医に伝えていこうと決めた。1人のエビデンスのために99人が不要な治療をすることもあり得る西洋医学のもとでの治療を選んだ以上は、どんな副作用が起こっても不思議ではないし、起こった場合は速やかに訴えて対症療法をしてもらうよりないのだから…。
こうして、放射線療法、ホルモン療法ともに、治療を受けながら共通の大きな疑問に私は突き当たったのだ。「どうしてM先生もY先生も、副作用の説明が不充分だったのだろうか?」 その理由を考えてみた。
まずは大前提として、副作用というマイナス面を差し引いても、これらの治療から充分な効果が期待できるという事実があるだろう。
それから、放射線療法もホルモン療法も、抗がん剤治療ほど劇的で目に見える副作用が少ないため、医師も患者も副作用を軽視しがちなのではないだろうか。実際、治療前にある程度勉強していた私でさえも、手術が終わった時点で治療の大半が済んだような錯覚に陥ったし、抗がん剤治療が避けられたことでかなり気持ちが楽になったものだ。それでも、放射線療法もホルモン療法も、目に見えないところで着実に副作用が起きているのが現実だ。さらに言えば、副作用が目立たない分、対処が厄介だといえるかもしれない。
次に、「自分が医師ならどうするだろうか?」と自問してみた。どんな治療でも、効果と副作用とを天秤にかけながら選択されることを考えると、副作用より効果を前面に押し出したくなるのが、医師側の心理かもしれない。患者をしてより前向きに治療に取り組んでもらおうとすれば、なおさらだろう。ましてや、ものの書物には、女性の更年期障害の症状は200種類もあると記されている。それだけ千差万別、個人差があるということだ。だとすると、それだけの起こり得る副作用を事前に説明するのはむずかしいし、患者に先入観を持たせないためにはかえって不要、場合によっては邪魔になるかもしれない。
そう考えてくると、医師側は症状が出たら対応するという対症療法しかできないことになる。しかも、Y先生が繰り返し口にする一般的な「エビデンス」と治療のガイドライン、そして自分の臨床経験に基づいて。そう、それが西洋医学と東洋医学との大きな違いなのだ。東洋医学は、医師の目の前にいる特定の患者の体そのもの、しかも体全体を診る治療であるのだから。
ここで患者の立場に戻ると…医師が対症療法しかできないとなれば、患者は自覚した不快な症状を医師に伝えていくしかないではないか。患者からの訴えがなければ、医師は治療が順調だとみなすだろうから、とにかく訴えて、匙加減を細やかにしてもらうしかない。そうだ、訴えるが勝ちなのだと、私はようやく悟った。
それからの私は、医師に気を使って遠慮したり、医師を喜ばせるために元気なふりをしたりする“ぶりっ子患者”を返上し、“わがまま患者”に徹することにした。誰がなんと言おうと、どこにも説明がなかろうと、がんに関係あろうがなかろうが、自分が感じた不快な症状は主治医に伝えていこうと決めた。1人のエビデンスのために99人が不要な治療をすることもあり得る西洋医学のもとでの治療を選んだ以上は、どんな副作用が起こっても不思議ではないし、起こった場合は速やかに訴えて対症療法をしてもらうよりないのだから…。