えつこのマンマダイアリー

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新聞記事より ~集団的自衛権行使容認に物申す~

2014年07月06日 | 雑記

 2014年7月1日...日本の歴史に、またまた汚点を刻む記念日ができてしまいました。安倍普三氏が首相に就いて以来、次々と汚点記念日を刻んできましたが、今回は最悪かもしれませんね。

 その最悪の汚点、集団的自衛権行使容認の閣議決定...早晩この日が来ることはわかっていましたが、それでも悔しくてなりません。安倍政権は、国民の反対の声も、国際社会の懸念も、何より、憲法の最高性を謳う憲法98条と、憲法順守義務が定められた99条(「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」)をも無視し続け、自らの論理の破綻を覆い隠すべく、詭弁を弄し続けて強行しましたね。公明党にも失望です。大きな弱みをネタに脅されでもしたのか、あるいは、シナリオ通りの芝居を打っただけなのかと、勘ぐりたくなります。

 東京新聞は7月2日の朝刊に、「本音のコラム」欄の執筆者7名全員による特別コラム、「集団的自衛権行使容認に物申す」を掲載しました。普段は7名が日替わりで執筆しているのです。

 コラムの前文として、映画監督の故伊丹万作氏の「戦争責任者の問題」という一文を紹介しています。戦後、皆が「だまされていた」と口を揃えることへの違和感から説き起こした一文だそうです。引用します:
   「だますものだけでは戦争は起きない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起こらない。
   だまされたといつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるであろう

 また、7月3日の読者の声欄に載った投稿(東京都八王子市の会社員 寺田暁弘氏の「政権に媚びる大学にあきれ」)の中で、ジャーナリストのむのたけじ(武野武治)氏の言葉が紹介されていました: 「弾圧より自主規制によって言論は封殺される

 この2つの名言に共通することは、騙される側や圧力を受け入れる側の人間にも責任があるということですよね。私たち国民は、歴史上の過ちを受け入れ、過ちから学ぶことで、同じ過ちを繰り返さないようにしなくてはなりません。同じ過ちを繰り返すのなら、虚しい戦争のために命をなげうった何百万という人たちの御霊が浮かばれません。

 前置きが長くなりました。くだんのコラムより、全員分の投稿を引用します(※以下、段落間のブロック分けはブログ管理人によります)。

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 「殺し殺される情景」  竹田茂夫 (法政大教授)

 国民を欺いてまで海外派兵に弄(はし)る政権と自民党、党是を曲げて権力にしがみつく公明党、失語症の民主党。憲法九条を新三要件で解釈し直すのなら、拡大解釈もお手のものだろう。ただ、戦争を始めたら、想定外の連続でおいそれとはやめられない(ベトナム戦争やイラク内戦を見よ)。戦争の霧の向こうに、日本人が殺し殺される情景だけは見通すことができる。

 自衛隊志願者が激減するから、徴兵制が敷かれるという声もあるが、国民が承知しまい。だが、いい手がある。非正規層から志願兵を募るのだ。生殺しの非正規で働くより、戦争がしたいと言ってのけた若者がいた。命を削るのは職場か戦争か、究極の選択だ。
 さらに戦争の外注化も得策で、民間軍事会社や軍需産業を成長戦略で支援すれば、財界は大喜びだろう。原発、戦争、時間外ただ働きが新しい三本の矢だ。

 覚悟の戦死者は首相が靖国で弔ってくれるから安心だが、敵の戦死者、巻き添えの現地市民、報復テロの犠牲となる日本の「子どもたちやお母さん」の魂はどこに行けばよいのか。

 

 「7月1日忘れない」  鎌田慧(さとし) (ルポライター)

 「再び戦争をしない」。世界から孤立して敗戦を迎えた後、日本の固い約束であり、矜持(きょうじ)だった。
 歴史的には一瞬の存在にすぎない自公政権が、批判の叫びに包まれた密室の談合で、人類普遍の理想をドブに捨てた日として、わたしは7月1日を忘れない。

 「武力による威嚇又(また)は武力の行使」は「永久に放棄する」「国の交戦権は認めない」。この潔い決意とともに、わたしたちは68年を生きてきた。「限定」「特定」などは、安倍政権特有のひとを欺く説法だが、この欺瞞(ぎまん)で見知らぬ「敵」を実際に殺さなくてはいけないのは、若き自衛官である。

 「閣議決定」は憲法に背いて、安全装置を勝手に解除した行為である。自衛官が「危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努める」と宣誓したのは「平和憲法」を信じていたからだ。武器を構え、海外へ出動して他国のために戦い、恨みを買うのは憲法違反である。
 武器は執らない。ひとを殺さない。それが憲法の精神である。これから自衛官の訴えが多発する。わたしは退職や提訴を支持すると決意している。

 

 「権力のたくらみ」  楊 逸(ヤンイー) (作家)

 1950年に起きた朝鮮戦争。南北朝鮮間での戦争に、韓国の後ろ盾である米国が参戦したため、「真の狙いは中国だ」と恐れる中国は志願軍を朝鮮に派遣した。
 その際、中国政府は人民を戦争に動員するのに「唇亡歯寒」(唇を失えば、歯が凍えてしまう)ということわざを使った。隣国の戦争にわが国の存亡がかっているという宣伝だ。今回、日本の「武力行使の三要件」である「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより、わが国の存立が脅かされ...」と同工の異曲ではないか。

 三年間続いた朝鮮戦争。五百万人を超す犠牲者を出したといわれるが、中国志願軍の死傷者についてはいまだに正確には発表されていない。戦争の発端について、金日成が南朝鮮半島を奪おうとして起こされたという説もある。
 歴史の真相なんて、国家権力が絡むと分からなくなる。だが、「唇亡歯寒」の宣伝文句によって、国を守る一心で、大勢の中国兵が命を落としたのは事実だ。権力の宣伝文句には、往々にして別のたくらみが伴っている。

 

 「事態変えられる」  山口二郎 (法政大教授)

 日本には「泣く子と地頭には勝てぬ」ということわざがある。安倍首相は、泣く子がそのまま地頭になったようなものである。集団的自衛権の行使を正当化する閣議決定は、それを必要とする新たな問題に対処するものではない。安倍首相が駄々っ子のように、「僕、これ欲しいんだもん」と言い張って、決められた。

 だから、論理は皆無である。政府与党は、集団的自衛権が必要となる理由を一応あげて、国民を説得しようとした。それらの事例なるものはことごとく机上の空論であり、詭弁(きべん)である。そのことをわれわれが指摘し、集団的自衛権は有害であることを論証しても、相手は泣く子である。いくら道理を言い聞かせても、無駄である。

 しかし、諦めるわけにはいかない。泣く子と地頭には勝てぬとは、権力に従順な日本の政治文化を表している。今こそそんな文化を変えなければならない。閣議決定をされても、本当の政策転換はこれからである。長い戦いが続く。安倍首相が単なる泣く子だということを国民に理解してもらえば、事態は変わる。

 

 「代償は大きい」  斎藤美奈子 (文芸評論家)

 しまった。解釈改憲なんてマヤカシの用語をいわれるままに使うんじゃなかった。集団的自衛権の行使とは「大国と結託して他国に戦争をしかける権利」のことだと、もっとハッキリいうんだった。

 政府与党は憲法九条の解釈を変えたのではない。九条を「廃棄処分」したのである。
 それでどうなるの?
 ①国内の都市がテロの標的となる。
 ②テロ対策に莫大(ばくだい)な予算と人員が割かれる。
 ③必然的に福祉予算は削減される
 ④海外、特に中東での企業活動や非営利活動がしにくくなる。
 ⑤対中、対韓関係はさらに悪化し、東アジアの緊張が高まる。
 ⑥自衛隊員に戦死者が出て、士気が下がる。
 ⑦応募者が漸減し、徴兵制が現実味を帯びる。
 ⑧デタラメな法の解釈を許した以上、もう法治国家ではない。
 ⑨国民の合意なく決定した以上、国民主権はないも同然。
 ⑩学校で教える憲法の三原則もうそになる。

 半世紀以上かけて築いた「戦争をしない国」のブランドをむざむざ捨てた代償は、私たちに跳ね返ってくる。どこか遠い戦地の話じゃないのである。

 

 「新たなうねりを」  宮子(みやこ)あずさ (看護師)

 専守防衛から大きくそれうる今回の閣議決定は、自民党を大勝させた民意が後押ししたものである。「決められる政治」を選んだ段階で、面倒な論議や思索は放棄されている。あまりにお手軽、このカジュアルな改憲こそ、民意にほかならない。

 私自身は平和ぼけ上等、憲法九条を死守という立場。ここまで来る間に、ずいぶん状況を見誤ったな、と悔いは残る。たとえば弱者は体制に批判的なはず、という思い込み。これは甘かった。
 精神病院の訪問看護室に働き、生活保護を受給する精神障がい者の方と日々会っている。気心が知れると、時に政治の話も出る。意外に、自民党の支持者が多い。弱者も多様なのだ。政治的なテーマで、なかなか一枚岩になれない時代。このばらばらの先に、今があると痛感した。

 でも、閣議決定はしょせん、閣議決定。あえてそう思うことにする。カジュアルな再改憲の道は開かれている。大事なのは新たなうねりの作り方。きっぱりしすぎたスローガンに頼らない、実のあるつながりを求めたい。

 

 「悪い政治主導」  佐藤優 (作家・元外務省主任分析官)

 この内閣は、国民から白紙委任状を得ていると勘違いしている。
 もっとも閣議決定だけでは、ホルムズ海峡の機雷除去には参加できない。なぜなら国際航路帯はオマーンの領海を通っており、海峡封鎖をするには、同国領海内に機雷を設置しなければならない。領海内への機雷設置は宣戦布告と見なされるので、その状況で自衛隊は出動できない。米国が「イスラム国」を排除するために日本にイラクへの自衛隊派兵を求めても、この閣議決定では不可能だ。

 この過程の内容ならば、外務省と内閣法制局の頭が良い官僚ならば、個別的自衛権で理屈をつけられることもできた。
 今回、創価学会を母体とする公明党が連立与党に加わっていなかったら、即時、戦争ができる閣議決定になっていたと思う。今後、政府がいくつもの踏み越えをしないと、実際に集団的自衛権を行使することはできない。
 悪い意味での政治主導が強まっている。戦争への流れを阻止するうえで、今後も公明党が重要な役割を果たす。

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 閣議決定後の安倍首相の記者会見を見ながら、反射的にTV画面に向かって拳を振り上げていた私...むしゃくしゃして新聞を広げたとき、ふと目に飛び込んできたのは、地元の友人、M.H.さんの顔写真でした。彼女は集団的自衛権行使反対のデモに母娘で参加し、東京新聞のインタビューに答えていたのです。「反対の声に耳を貸さない首相のやり方に怒りが湧き、何かせずにはいられなかった」と。

 また、同紙の読者の声欄に定期的に掲載される、「応接室だより」という編集者によるコラムにも、今年になってから馴染みの氏名を見かけるようになりました。高校の同級生、T.S.君が書いているのです。これを機に、彼とは久々にメールを交わし、政治のこと、介護のことなどで共感し合いました。

 知っている人が同志だとわかると、それだけで勇気が湧くものですね。
 M.H.さんにもメールを入れたところ、こんな返事が返ってきました。「記事を読んだY(デモに一緒に参加した娘さんの名前)のおともだちのお母さんがその日に『Yちゃんの記事に励まされたから自分も今日官邸前に行きたい』と連絡くれて、結局2日連続で行ってきました」と。

 「何かせずにはいられない」という気持ちを行動に表わすことで、その気持ちを人に伝染させることができるということですよね。漠たる気持ち、でも、切羽詰まった気持ち...それが人を動かすのでしょうね。
 その「何か」は人によって違うでしょう。私にとっては「このブログにこうして記事を書くこと」なのです。みなさんにとっての「何か」は何でしょう? もし、もやもやっとしているものがあるとしたら、ちょっぴり勇気を出して行動に移してみませんか? それが周りの人に伝染するかもしれませんよ(*^_^*)

 長々とおつき合いくださり、ありがとうございましたm(__)m ブログに書くだけじゃなくて、やっぱりデモにも参加するぞ!のtakuetsu@管理人でした。

 


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