「平和百人一首」とこのシリーズについての解説は、初回記事と2回目の記事をご参照ください。前回記事はこちらで見られます。
なお、かなづかいや句読点、誤字や脱字等は原文のままとするので、読みづらい点はご了承ください。
平和百人一首
みどりよりみどりに暮るるわが家は 草ぶきなれど心やすけし
横浜市港区大場町 宮地 佑閤
自分は昭和16年から戦争は聖戦でなく侵略戦争であるから1日も早く終戦となることを日本の為に宣伝した。その為に宮地は米国のスパイなりと喧伝され県の特高が来るやら所轄署の特高が来るやら、その結果当時の隣組から追立てを食はされて昭和16年から20年の終戦までに、居を転々とすること7回、遂に人里離れた山中に電燈もない現在の処に住んでいる。然し当時半信半疑で居た農民等も、自分が予言した如く日本は敗戦国となつて四苦八苦の憂目を見たので、今日では何か問題が起きると頭を低くして解決を依頼に来る。自分は彼等のために、無報酬で働いてやつている。
真に人里より5丁余も離れているので、朝から夕日が落ちるまで楽しい小鳥の音楽を聞くことが出来る。今自分はこの小屋で平和小説の長編を執筆しているが、その心境をこの平和百人一首の歌として歌つたものである。
(佑閤)